講堂
講堂は思った以上に広かった。何も置かれていないこともあって、ガランとした印象を受ける。
グラウが講堂の窓を次々に開くと、磨き上げられた板張りの床が光を反射し、広々とした雰囲気をさらに感じさせる。
大人の肩ほどの高さに作られたステージは、塔よりはちょっと狭い。
軍の結団式とかに使われるらしいんだけれど、舞台の脇に当たる両側の壁面には大きく窓がいくつも作られているので、風と光をよく通す建物になっている。
「詰めれば、千人くらいは入るはずです」
「千人!」
驚きの人数だ。いやいや。そんなには、入らないだろう。百人来てくれたら、大満足だと思う。
「ステージの上に上がらせていただいてもいいですか?」
「どうぞ」
私は、ゆっくりとそでの階段を上り、ステージに立つ。
がらんと何もない空間が、思ったより広い。
もちろん、何もない空間に向かい続けた二十二年だったけれど、目の前に広がっているのが『森』と、『屋内の風景』では、気分が全く違う。
「広いですね」
気後れしてしまいそうだ。大きく息を吸い込んで、瞼を閉じる。
「あー」
魔力を入れずに、声を出してみた。
屋内なので、音が多少、反響する。こんな静かな状態なら、どこにいても私の声は届くだろうけれど、音ずれがおこりそうな気はする。
「将軍、あの、一番奥に立ってもらえますか?」
私は、ステージから一番遠い場所を指を指した。
グラウは頷いて、壁際まで移動してくれた。
「あー」
もう一度、声を出してみる。
「どうです? 綺麗に聞こえます?」
「……少し、反響してます」
グラウが大きめの声で返答してくれる。
グラウの声も少し響く。気になるほどじゃないけれど。
やっぱり、呪歌の方が無難だ。
「ちょっと、歌ってみます」
私は、魔力を込めた発声に切り替え、目を閉じたまま、初歩の呪歌とされている『春』を歌う。
この曲は、聞いているひとの、生きていることの喜びを増幅させるもので、非常にシンプルな曲だ。
呪歌を歌う者の多くは、この曲を一番最初に歌い、場の雰囲気を確認させながら作っていくことが多い。
聞いているのはグラウだけだから、独演会と雰囲気は違うけれど、舞台から感じる光や風が旋律と混じりあう感じを確かめる。
森とは違う、不思議な空気だ。周りを満たすものは、魔のモノとは違う、人間の想い。
歌い終えると、拍手が起こった。それもたくさんだ。
え? 正面にいるのは、将軍だけだけど、開けられた扉の向こう、つまり講堂の外にたくさん人がいる。
ああ、そうか。呪歌って、わりと広範囲に届くから、講堂の外にも聞こえちゃったんだ。
森に向かって歌うのと同じだけ魔力を込めたら、そりゃあ、そこら中に聞こえて当然。
本番は防魔力の高い素材で壁を囲ってもらったほうがいいかも。
私の視線に気づいたグラウが、扉の外に目を向けると、慌ててみんな去って行った。
ごめんなさい。勤務中なのに、呪歌が聞こえたら、何事かと思いますよね。はい。魔力こめすぎました。
ちょっと反省する。
「どうでした?」
私は舞台を降りて問いかける。
「素晴らしいです」
グラウは満面の笑顔だ。
「楽団を従えての歌唱も素晴らしいですが、ソフィアさまの独唱は、本当に素晴らしい。ずっと聞いていたいくらいです」
「嬉しいわ」
私はホッとする。
「昔から、将軍に褒めてもらえると、私、勇気が出るのです」
思えば、人生の節目節目に、グラウは私の傍にいてくれた。
もちろん、私が『聖女』で、彼は私を守るための『騎士』だからなのだけれど。
「独演会も、見ていただけますか?」
「当然です。権力を振りかざして、周りに非難されたとしても、絶対に見ますから」
「あら。怖いのね」
うそぶくグラウに、私は肩をすくめてみせる。
「この国一番の剣士と誉れの高い将軍が、権力を振りかざしたら、みんな怖がるでしょう?」
「……たぶん、すでに手遅れだと思いますよ」
グラウは、自嘲めいた笑いを浮かべる。
「私は公私混同の激しい男ですから」
「まあ」
そんなことはないと思う。そんな人間は将軍にはなれない。彼に人望があることくらい、私でも知っている。将軍には彼個人が強いことより、周囲の信頼が必要なのだ。
騎士ではあったものの、グラウはそれほど名家の出身ではなかったはずだ。将軍まで出世したというのは、本人の実力があったからこそ、なしえたことである。
「では、私も聖女の権力を振りかざして、将軍にお願いをしようかしら?」
私もちょっとだけ、悪ノリをしてみる。
「なんですか?」
「全てが終わったら、魔の森の奥まで、行ってみたいの。もちろん、魔のモノは怖いわ。でも、二十二年もずっと私の歌を聞いてくれたから、お礼を言いたいの。絶対に彼らと意思の疎通はできないと言われているけど、私にはそう思えなくて。だから、その時は、あなたにいっしょに行ってもらいたくて」
グラウの目が大きく見開かれる。あ、やっぱり、無理ですよね。
「……って、ごめんなさい。冗談です」
私はあわてて、意見を引っ込める。冗談にしては笑えない。調子に乗って、何を口走っているのだ。
顔に熱が集まってくる。
グラウは、そんな私を静かに見つめ、そして、こほんと咳払いをした。
「もしあなたが、心からそれを望むなら」
丁寧にひざまづいて、私の手を取りそっとキスをする。
「私は、軍をやめてでも、どこまでもついていきます」
大きな瞳が私の姿を映している。
胸がドキリと音を立てた。
ダメだ。
私ったら、なぜ、冗談にしたって、こんな突拍子もないことを言ってしまったのだろう。
グラウの忠誠心を試しているみたいで、本当に恥ずかしい。
彼はこの国の大事な将軍であって、私の私兵ではない。いくら実現不可能なことにせよ、ここまで言わせてしまった私は強欲すぎる。
そして彼がくれた言葉に、舞い上がりそうな自分を必死に落ち着かせようとする。
私はもう『聖女』じゃない。グラウの忠誠を無条件に受け取れる立場じゃないのだ。
「あ、あの……そろそろ戻りましょうか」
私は顔をそむけて、話を逸らす。
「お手間をかけさせて、申し訳なかったわ。ごめんなさい」
「いえ。私は、ソフィアさまの歌を拝聴できて、光栄でした」
にこやかに、グラウが笑う。
「役得です」
「……なら、いいのですけど」
講堂の窓を閉めるのを手伝って、講堂を出ようとすると、外に若い騎士が困った顔をして立っていた。先ほど案内してくれた、ザナだ。その隣に、二十歳くらいの綺麗な女性が立っている。
「ヴィアンカ、お前、なぜこんなところに?」
グラウが女性を見て、片眉を吊り上げた。
「すみません。将軍。ヴィアンカさまがどうしても、聖女さまにお会いしたいとおっしゃって……」
ザナがおろおろと頭を下げる。
どうやら、この女性はグラウと親しい間柄のようだ。
「奥さま、ですか?」
私は恐る恐るたずねる。そうだ。聞いたことはなかったけれど、グラウも四十歳を過ぎていて、しかも将軍職という責任ある立場の人間だ。家族がいて、しかるべきだ。
先ほどまでの高揚感がすうっと引いていく。
そうだ。グラウが私に向けているのは、忠誠心。
家族がいても、不思議はない。
「とんでもない。ヴィアンカは、私の養女ですよ」
グラウが苦笑する。確かに、奥さまにしては、ちょっと若いかも。
「義父がいつもお世話になっております」
ヴィアンカは丁寧に私に頭を下げた。