参謀長
会場となる兵舎というのは、広い講堂があるらしい。
私はグラウに案内されて、軍の敷地を歩く。執務室や控室のある建物を出ると、各種訓練施設が立ち並んでいた。
活気ある訓練中の兵たちの声があたりに響いている。
「ごめんなさいね。将軍に案内させてしまって」
「いえ。わざわざご足労いただけるとは、本当に光栄でございます」
将軍と歩いているからなのか、それとも聖女の法衣のせいなのか。
やたら視線を感じて、ちょっと落ち着かない。塔にいた時はこんなことはなかったように思う。
よく考えてみると、塔に聖女が居るのは当たり前だけど、ここに聖女がいることはない。珍しいものが入り込んでいるって感じはあるだろう。
「私、すごく気楽に考えてしまっていて。一人で、パッと見て、パッと帰るくらいのつもりでした。ネイマールにもすごく怒られたのですけど」
まさかこんな風に、遠巻きに自分が注目されながら歩くとは思ってなかった。
武闘場で訓練中の兵なんか、訓練の手を止めて、私が歩き去るまで、敬礼してるし! ごめんなさい。私、すごく邪魔しています。はい。
「当然です。お一人で、軍の施設に来るのは、絶対にやめてください」
グラウが顔をしかめた。
「軍は、ほぼ男所帯なのですよ?」
「それはそうですけれど、私、オバサンですよ?」
『境界の塔』ならいざしらず、帝都には、街に出れば、若い娘さんはたくさんいる。軍にいる兵たちのほとんどは、私より若いのだ。
何も好き好んで、こんなオバサンに無体なことをするはずがないと思う。
「年齢がどうであれ、絶対にいけません。そもそも、お一人で外出なんてとんでもないことです。必ず護衛をお付けください。お申し付けいただければ、私が参上いたしますので」
グラウにじっと見つめられ、ついドキリとする。
いけない。こんなことで動揺していてはだめだ。そもそも、私、今、注意をされているのだ。叱られているのに、ドキドキするって、私はおかしいのかもしれない。
「帝都はやはり窮屈ですのね」
内心の動揺を隠すために、愚痴ってみる。
もちろん、皇帝の妹だから、ある程度は仕方ない。ネイマールやグラウの方が正しいのだ。それはわかっているのだけど、やっぱり閉塞感がある。
「帝都だから、ではありません。『境界の塔』にいた時のあなたは、もっと周囲を警戒なさっていたはずです」
グラウの顔は厳しい。
「そうでしょうか?」
「そうです!」
なぜか言い切られてしまった。
確かに、考えてみれば、塔にいた時に警備兵の宿舎に行こうとか思ったことはない。用事もなかったけれど。
自分の生活圏から出ず、外に行く時は細心の注意を払っていた。
私は、聖女で、たくさんの命に関わる使命を帯びていたから。そして、それが誇りでもあった。
「なんか、緊張の糸が切れちゃったのかもしれません」
思わず苦笑する。
「もう、国家のために歌わなくてもいいって思うと、すごく解放的になっていました。そうですね。私は、陛下の妹ですもの。私自身の価値がなくなっても、政治的には意味があることを忘れてはいけませんね」
もっと若いならともかく、分別ついてしかるべき年だ。兄の治政が落ち着いているとはいえ、何もない保証はない。
「価値がないなどありえません。聖女でなくても、皇族でなくても、あなたは賢く美しい。言ってはならない言葉を言いたくなってしまいます」
グラウの顔が悩ましげにゆがむ。
「言ってはならない言葉?」
どういう意味なのだろう。
「今、申し上げられるのは、ひとつだけ。その服をまとっている間は、あなたは、聖女だ。誰よりも素晴らしく尊い方です」
彼はそっと頭を下げる。
何故だろう。少しも嬉しくない。だけど、独演会が終わるまでは、聖女としての仕事が残っている。
「そうね。まだ私は、聖女だわ」
まだ空っぽになるには、早い。気合いを入れていかないと、せっかくの独演会をダメにしてしまう。本当に観客が来るのかは、まだわからないけれど。
様々な訓練所の建物が立ち並ぶ敷地を抜けると、ちょっとした庭園にでた。
「ソフィアさま!」
「あら」
庭園のベンチで休息中だったらしい人物が、慌てたように立ち上がって敬礼する。四十代半ばの将校だ。
「ブルガ参謀長?」
「はい! お久しぶりです」
ブルガは、グラウほどではないが、頻繁に塔に軍役で来ていた。年は、グラウより少し上だったように思う。
「以前お会いした時より、お顔が丸くなられましたね」
「お、お恥ずかしい限りです」
太っているわけではないが、痩せ気味でキツい目をしていた男は、やや丸みのある体つきとなり、優しい目になっていた。
「参謀長は、三年前に結婚をしまして」
グラウが横から口を挟む。
「あら。おめでとうございます。お幸せなのですね」
「えっと、はい」
ブルガはチラリとグラウに目をやる。
「ずいぶん迷った上での結婚でしたが、良き家族に恵まれました」
「よかったですわね」
私の笑みに、ブルガは複雑な笑みを返す。なんだろう。何か変なことを言ったかしら。
「本日は、なぜこちらに?」
「独演会の会場のご視察だ」
私が答えるよりも先にグラウが答えた。
「そうでしたか。引き継ぎの儀式を見ることが叶わず、非常に悔しい思いでおりました。とても楽しみです」
ブルガは、なぜかグラウの方を睨みつけている。
「嬉しいわ。誰も来なかったら寂しいなあって思っていましたの」
それなら、少なくとも、覚えている顔は、来てくれるのかもしれない。ちょっと嬉しい。
「何を仰っておられるのです! むしろ会場が小さいと危惧されております」
ブルガはブンブンと首を振った。
「現役だけでなく、退役軍人も見たいと問い合わせが相次いでいて、抽選にするべきだとまで言われておるのです」
「まあ。それが本当なら、私は、幸せですね」
行きたいって言っても実際には来ないこともあるから、期待しすぎは危険。もっとも、人間相手だけに歌うことって、それこそ聖女になる前のこと。ちょっと不安だ。
「講堂でしたら、私がご案内いたしましょう。ちょうど休憩時間ですし、将軍もご多忙でしょうから」
「それには及ばん。貴重な休憩時間だ。参謀長はゆっくり休め。ソフィアさまは私がご案内する」
ブルガの提案をグラウは間髪入れずに、拒絶する。
「え?」
なんだろう。えっと。これってどうすればいいのだろう。
私が戸惑っていると、ブルガは苦笑を浮かべた。
「仕方ありませんな。将軍には、勝てません」
「あの?」
よくわからないけれど。これは、解決済みって、ことで良いのかしら。
「ソフィアさま、独演会、楽しみにしております。私に出来ることがあれば、いつでもお申し付けください」
ブルガは、敬礼をする。
「行きますよ、ソフィアさま」
「ええ」
グラウに促され、私はブルガに笑んで彼の後を追う。
何となく、グラウの横顔が怒っているように見えるのは、なぜだろう。
「あの。どうかされました?」
「いや。ずいぶんと参謀長と親しいのですね」
「え?」
思いもかけない言葉に驚く。
「さすがに何度も赴任された方は覚えています」
いくら他人と関わらないようにしていたとはいえ、最低限の人付き合いは、こなしてきたつもりだ。
「みんな、幸せを帝都に置いて、塔に来ていたのですね」
ブルガの幸せそうな様子を見て、改めて思う。
「皆がみな、そうとは限りません」
「そうね」
私には、帝都に兄はいるものの、両親はもう居ない。家族を得ることも難しいだろう。
「独演会が終わったら、私は帝都で何をすれば良いのかしらね」
こんな質問、グラウに答えられるわけはない。職務の範囲を越えている。
「ごめんなさい。変なことを言って」
兵舎と思われる建物にたどり着き、グラウが扉を開ける
「何をなさるにせよ、私は、いつでもあなたをお守りいたしましょう」
それは、私が皇帝の妹だからなの? と、聞くことは出来ない。もし彼に頷かれたら、二十二年の年月を後悔してしまう気がした。