視察
正直に言えば、十八歳の時から塔にいたので、帝都にそれほど知り合いはいない。
今はともかく、昔は妾の子として「腫れ物」扱いされていたし、性格的にも社交的とは言い難いから、社交の場に出ても、壁際にいるような娘だった。
そんな私が、いきなり独演会をやれと言われても、準備なんか自分でできるはずがない。
威張って言うことではないが、無理。
『境界の塔』での聖女の役目は、呪歌を歌うこと。赴任してきた楽団をまとめたり、たまに新曲を作ったりとかもしたけど、一から楽団の人間を集めたりはしなかった。そんな権限もないし。
楽団は、宮廷魔術師の管轄する楽師たちで構成されていて、軍の軍役のように、中央で任命された者たちだった。期間は軍役より少し長くて、一年交代。たまに、何度も赴任してくるひともいたけれど。
この前まで、一緒にやってきた仲間は、『境界の塔』に残ったまま。
結局、楽団は宮廷魔術師のネイマールに手配してもらうことにした。
だから、本当は、ネイマールに手をかけさせたくはないのだけれど。
こっそり、部屋を抜け出そうとしたところに偶然、ネイマールが来るとか。タイミングが最悪である。
「そのような格好で、視察でございますか?」
ネイマールが渋い顔をする。
そのような、と言われるほど、ひどい格好をしているわけではない。貴族の女性が外出するときに普通に着ているドレスだ。かなり前に作ったドレスだから、年齢にあってないとか、流行遅れとか、そういうことはあるとは思うけど。
しかたない。ドレスを作ろうにも、『境界の塔』には仕立師がいなくて、半年に一度、御用聞きに来てくれる程度なんだから。
こっちに戻ってきて、ドレスの採寸はしたけど、まだ新しいドレスはできていない。
「全ては、この私にお任せくださると、おっしゃったではありませんか?」
ネイマールは不満げだ。
柔らかい日の光りが窓から差し込んできている。
ここは、宮廷の客間。昔、私が使っていた部屋は、今、姪っ子が使っているらしいから、こっちにと言われたのだ。二間続きの広い客間は、執務室を兼ねられるので、ある意味ありがたい。
客間なので、窓から美しい庭が見える。境界の塔から見える、広大な森とは違う、人工的で、計算された庭園だ。
「ほら、やっぱり、会場くらい見ておきたいの。兵舎とは聞いているけど、私、軍の施設に行ったことないから」
単純に、暇だから出かけたかった、とは言えない。うん。それはダメだ。何でも素直に言えばいいってものではない。たとえ相手に本音がまるわかりでも。
「どうしてもとおっしゃるならば、私がご一緒いたします」
「え? 会場の兵舎って、宮殿のすぐそばでしょ? 外出のうちに入らないよね?」
もちろん、宮殿自体がとても大きいので、かなりの距離はあるけれど、会場の兵舎は宮殿の隣と言っていいほどの立地だ。街に出るという感じではない。
「ソフィアさま。聖女を引退されても、あなたは皇帝の妹ぎみなのですよ? それでなくても、歴代で最長の『聖女』です。超、重要人物なんです。ご自覚をなさってください」
そうかな。任期が最長だったからと言って、重要ってこともないだろうと思う。
逆に、とうが立って、価値が下がっちゃうんじゃないかな。
「でも、ほら。ネイマールは、激務だし?」
「ソフィアさまがおひとりで行かれたら、大変なことになります」
ネイマールは苦々しい顔をする。
「なんのために独演会が必要なのか、察してください」
「察しろと言われましてもねえ」
私は首をひねる。いままで、軍役で来ている兵たちはみんな親切ではあったけれど、特に親しかったわけでもない。兄の話が本当なのか、どうしてもわからない。実感が乏しすぎる。
「あなたは、もう『聖女』ではないのです。わかりますか?」
「ええ。そうね」
聖女でない私は、もう何も持っていないも同然ではないか。
あるとしたら、陛下の『妹』であるということくらい。
「何もわかっていらっしゃらない」
ネイマールは顔に手を当てて、首を振る。何をわかっていないというのだろうか。
「どのみち、軍で打ち合わせがあります。一緒においでになるなら、すぐにお支度を」
「本当?」
私が立ち上がる。
「ただし、ドレスはダメです。聖女の法衣を着てください」
「え?」
聖女の法衣は、文字通り、『聖女』の証の制服みたいなものだ。
もう着ることはないと思っていたのに。
「聖女では、ないのに?」
「……あなたを守るためです」
ネイマールは大きくため息をつく。
何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
歩いてもそれほどでもない距離なのに、大袈裟な馬車にのせられる。
正直、そんなに治安が悪いのか? って、心配になってしまうくらいの念の入れようだ。
聖女になる前の私は、結構自由だった。たぶん皇族としては冷遇されていたからっていうのもあるのかも。当時は、街に出ても割と許された。もっとも、見つかると『下賤の生まれだから』みたいなことを言われるのが、ちょっと嫌だったけど。
今、皇太后さまは離宮にいて、兄のすることに口を出せないのも関係するかもしれない。
ただ、軍の施設に行ったことなんて、昔もなかったから、案内してもらえるのは助かった。
馬車を降りると、出迎えの騎士が私の顔を見て声をあげた。かなり驚いたようだ。
ネイマールが来ると聞いてはいただろうけど、私のことは予定外だったからだろう。
「お約束していないのに、ごめんなさい。私も同行したくって」
出来るだけ丁寧に頭を下げる。
「い、いえ! 聖女さまをお迎えできるとは! 自分はケビン・ザナと言います! お、お会いできて、こ、光栄であります!」
二十代くらいだろう。ザナは、身体をこわばらせながら敬礼してくれた。
いや、もう聖女じゃないのだけどね、と内心で苦笑する。聖女の法衣は着ているけど。
ああそうか。
私は得心した。この格好していないと、私が誰かわからないってことなのかも。
この格好をした四十歳のオバサンは、私だけだもの。
ネイマールは大げさだ。私は、顔を知られていないくらいで、ショックを受けたりしないのに。
むしろ、遠目でも誰かわかるようで、あちらこちらからの視線を感じて、落ち着かない。
私とネイマールは、緊張のあまりにギクシャクしているザナについていく。
案内されたのは、大きめの執務室だった。彼は、カチコチの動作で、扉をノックする。
「し、将軍、聖女さまとネイマールさまがおみえです!」
声が大きい。
「え?」
だが、さらに中からも驚きの声が上がって、すごい勢いで扉が開く。
びっくりした顔のグラウがそこにいた。
「ソフィアさま?」
私は慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい。ネイマールに無理を言ったの」
急に来てしまったのは、やっぱり迷惑だったかもしれない。
「いえ、ようこそおいで下さいました。どうぞこちらへ」
グラウは、慌てて、部屋の中に私たちを招き入れた。
部屋の奥に武骨な執務机が置かれていて、壁際には書物がならんでいる。
グラウは、私たちに手前に置かれた応接セットのソファに座るようにすすめ、ザナにお茶を用意させた。
「ソフィアさま、先に私の方の用事を済ませます」
「ええ」
ネイマールは持ってきた書類をグラウに渡し、お互いに内容を確認し始めた。
どうやら、いろいろ備品の搬入などの打ち合わせらしい。
私は入れてもらったハーブティを口にしながら、ふたりの話が終わるのを待った。
「ソフィアさまは、会場の視察がしたいとおっしゃっているのです」
「視察?」
グラウは驚いたようだった。
「……無理ですか?」
「全然かまいません」
グラウが頷くと、「では」とネイマールが立ち上がった。
「私は先に戻りますゆえ、後はよろしくお願いいたします」
「へ?」
あれほど一人で行くなって感じだったのに、帰りは放置?
ネイマールの意図が分からず、私はキョトンとする。
「わかりました。おまかせください」
私でなく、グラウが頷いた。
あ、そうか。将軍に護衛を放り投げて、帰るんだ。ネイマールは忙しいし、護衛は将軍の方が専門だ。それに、将軍が自らしなきゃならないってこともない。
「くれぐれも、聖女さまをよろしくお願いします」
念を押すように、ネイマールが頭を下げる。
私には、もう聖女じゃないといったのに。よくわからない。
「承知しております。ソフィアさまのことはおまかせください。約束は守りますから、ご安心を」
グラウの返答に、何故かネイマールは苦い顔をした。