帝都
次の日。私は帝都に戻ることになった。
塔の前に馬が並べられ、出発の時を待っている。
二十二年間過ごした割には、私物は少ない。いや、私物をそろえようにも、店がないってのもあるんだけれどね。私物をまとめたかばんを持っておりていくと、グラウ将軍が、出迎えてくれた。
「昨日は、素晴らしい儀式でした。思わず歓声をあげたくなってしまいましたよ」
かばんを私から受け取り、部下に渡しながら、ねぎらってくれる。
呪歌と普通の歌の違いは、基本、魔力で遠方まで届くようにする効果があげられる。もちろん、それだけじゃなくて、詞やメロディにこめられた感情を聞くものに増幅させて届かせる効果もあったりする。
ただ感情面は、もともとその『曲』が持っている力の方が大きくて、歌い手の『魔力』がどこまで関係しているのかは、研究者にもわかっていない。
だから『呪歌』は歌唱法に近い。人間の場合は普通の歌より感情をゆすぶられやすい、という程度だ。ただし、魔のモノに関して言えば、『魔力』がこもっていないと、ダメなのだ。
それにしても。
魔のモノの物言わぬ反応も嬉しいけれど、実際に『言葉』で褒められるのは、格別に嬉しい。
「ありがとう。リイナは本当に優秀な聖女ね。安心して退けそうよ」
「ソフィアさまほどではありませんけどね」
「お世辞でも嬉しいわ」
私は微笑む。
昨日、一緒に歌って思った。若い子のみずみずしい感性には、かなわない。
まだできると思っているうちに、退くのも大事だなって思う。特に、聖女の仕事は、国の安全がかかっているのだから。
「馬車へどうぞ」
グラウに案内され、そちらへ向かおうとして、ちょっと足がもつれた。
「ソフィアさま?」
倒れそうになったところを、グラウに支えられた。大きなかたい胸の感触にドキリとする。
「大丈夫ですか?」
情けない。
ちょっと、昨日、無理しすぎた気はする。疲れが取れにくくなったのは、年ってことだろう。
「大丈夫よ」
「顔色がよくありませんな」
グラウが私の顔を覗き込んできた。
「うーん。魔力切れ起こしちゃったからね。回復に時間かかるの。若くないわね」
思わず苦笑する。
やっぱり、引退は正解だ。やったことはなかったけれど、昔なら、たぶんケロリと回復していたと思う。
「ご無理は禁物です」
突然私の身体が宙に浮いた。
「えっと? ちょっと、将軍?」
この年で、お姫さま抱っことか、嘘でしょ?
重たいだろうに、グラウは、顔色一つ変えることなく、抱き上げている。
「ごめんなさい。重いですよね?」
「いえ。なんでしたら、帝都までこうしていても構いませんよ?」
申し訳なさに謝ると、いたずらっぽく微笑まれてしまった。
どう答えたらよいかわからない。グラウ将軍は、私をそのまま馬車に座らせた。
「ゆっくりと参ります。体調が悪いようでしたら、いつでもお声掛けを」
「ええ。ありがとう」
ようやくにそれだけ言葉が出てきた。
今のは、騎士なら当然の行動だ。それにいちいち小娘みたいにドキドキしてはいけない。
少し優しくされたくらいで、こんなに動揺してはダメだ。
顔を赤らめて可愛らしい年代とは、もう違うのだから。
やがて。
馬車がゆっくりと動き出す。窓の外の森は静かで、去っていく私を優しく見送ってくれているように思えた。
二十二年。
その間、帝都に戻ったのは、父の葬式と兄の即位式の二回だけ。
石造りの宮殿の外観はそれほど変化はなかったけれど、内装は記憶と随分と変わっていた。
「お待ちしておりました。陛下がお待ちです」
頭を下げて出迎えたのは、ネイマールだった。
見知った顔に、ほっとする。
「ありがとう」
私はネイマールの案内で、謁見室へと向かう。
そういえば、兄に会うのもすごく久しぶりだ。兄、と言っても、腹違いの兄。兄は優しかったけれど、皇妃さまが私を嫌っていたから、兄とは、微妙な関係だった。私の任期がかつてないほど長くなった原因でもある。ただ、嫌いたい気持ちはわかるし、仕方のないことだなって思う。嬉しくはなかったけれど。
皇妃さまは、いまでは皇太后さまで、離宮住まいだそうだ。
ここには、兄である皇帝と皇妃、皇太子などのいわゆる兄の家族が住んでいる。
会うのは即位式のあった五年前以来。
そういえば、あの時、縁談があるから、引退しないかって言われたんだけれど。
魔のモノが侵攻をはじめてしまい、とりあえず私は塔に戻ることになった。結局、そのまま『聖女』の座に居座ってしまって。あの時の縁談は、どうなったのか聞いていないけれど、きっと流れたのだろうなあと思う。
今回みたいに、聖女の選出が済んでいれば、すんなりいったのかもしれない。なんにせよ、過ぎ去ったことだ。
謁見室に入ると、記憶より頭に白いものが混じった兄が玉座に座っていた。
「ああ、ソフィア、ようやく戻ったか」
兄は、心から安堵したようだった。
「長きにわたり、よくつとめてくれた。本当に礼を言う」
「陛下」
「もっと早く連れ戻してやりたかった。俺の不徳の致すところで、それが叶わなかった。許してくれ」
兄は、前皇帝である父が、妃に遠慮して、私を呼び戻さなかったことを、後ろめたく感じているのだ。
「いえ。私、向こうの生活があっていて、快適でしたわ」
兄への気遣いではなく、心からそう思う。
実際、帝都に戻ってどうしようって思ってるのだ。一応、皇族だけど、兄の家族の住んでいる宮殿に今さら同居させてもらうのも申し訳ないし、離宮を建てるのも大袈裟だ。
「お前の今後のことは、ゆっくり考えるとして。実は、戻ってきたばかりのところ申し訳ないんだが……ネイマール、あれを」
「はい」
ネイマールが、兄に頷いて、一枚の書類を持ってきた。
くるくると巻かれたそれを開くと、引退記念独演会と銘打ってあって、どうやらその計画書らしい。場所は、兵舎のようだ。
「ソフィアの任期中、『境界の塔』への軍役に行きたいという兵が多くて、非常に助かってはいたのだが」
「何の話ですか?」
兄は何を言っているのか。
境界の塔は、最前線だし、辺境だし、娯楽もない。ついでに女性も少ない。ここ最近は、大した戦闘はなかったけれど、兵たちが赴任して楽しい場所ではないはずだ。
「さすがに、リピーター希望が多いと、赴任者の平均年齢が上がっていくという問題があってな」
「おっしゃっている意味が、わからないのですけれど」
兄は、コホン、と咳払いをした。
「簡単に言えば、兵たちの前で歌ってくれ。引継ぎの儀式を見れなかった者が、ストライキを起こしそうなのだ」
「へ?」
どういうことなのだろう。聖女は引退したほうがいいって言ったのは、兄ではないのか?
「お前は知らぬだろうが、境界の塔に赴任した兵のほとんどが、お前のファンなのだ。『境界の塔』の聖女交代の『儀式』の護衛は、志望者が多くてたいへんだった」
「そんなバカな」
そんな素振り、誰もしなかったと思うんだけど。いや、まあ、観客は『無反応』でなければいけないルールだ。でも、『良かった』って言ってくれたのは、将軍だけだったし。
「聖女の歌は魔のモノしか聞いておらぬわけではない。当然、塔に配属になった兵も聞いておる」
それはそうだけど。
「とにかく、だ。儀式を見れなかった帝都の兵たちが、不満を抱いている」
兄は頭を抱えている。とても信じられないけれど、本当なのだろうか?
「独演会は一週間後。あと宮廷で慰労パーティがある。本当は、早いとこ聖女を引退してもらわねばならぬ理由もあるのだが、まずはそれからだ」
「わかりました」
引退しないといけない理由って何なのだろう。
それはともかく、聖女って、無観客状態で歌うのが常だ。誰も見に来てくれなくても、ダメージゼロ。独演会をやることで、兄が安心できるのなら、安いものだ。
私は半信半疑のまま、承知することにした。