ファイナルステージ
「おひさしぶりでございます。ソフィア様」
馬から降りて、頭を下げたのは、グラウ将軍。
新しい聖女の護衛と、帰りの私の護衛のために、帝都からやってきたらしい。
二頭立ての馬車と荷馬車が一台ずつ。武装した騎兵が二十騎。そこまでの護衛は必要のない道のりではあるけれど、こういう物々しさは、必要なんだろう。
「将軍自ら護衛ですか?」
私は驚いた。いくら一応は魔界との最前線とはいえ、将軍が新しい聖女を護衛してくるなんて。もちろん、大軍勢を引き連れてきたわけではないけど。
ただ、将軍が来るってことは、それだけ陛下の次の聖女にかける期待ってのが伝わってくる人事だ。
私の時は、将軍じゃなくて、副将軍じゃなかったかなあ。人数的には変わらないけど。
ちなみに、グラウ将軍は、私と同年代で顔なじみだ。目鼻立ちの整った二枚目で、優秀な人物。しかも人当たりが良くて、親切だ。最近は、渋みも増したようにみえる。
私が最初にここに来た時は、まだ普通の騎士だった。
当時、旅なれていない私の面倒をみてくれた。そして聖女の責務に怯える私を随分と励ましてくれもした。
あの時。
「あなたが聖女をやめるときは、きっと誰からも祝福されて辞めることになります。その時は、必ず私が迎えに行きますね」
と、言ってくれた事、今でも覚えている。将軍は忘れてしまったかもしれないけれど。
もっとも、はからずもその言葉が現実になって。私は、彼の言った通り祝福されて辞めるのだと感じる。
そういえば、この『境界の塔』での軍役は、ほぼ半年周期なのだけど、彼は、数年おきにやってきて、しかもくるたびに出世していた。
そんなにエリートなのに、どうしてここに配属されるのか、謎だ。昔聞いた話によれば、ここでの軍役をこなすことは出世に必要ではあるらしい。でも、何回もは必要ないと思う。余程、中央に睨まれているのだろうか。家族も困るだろうに。
理由とかは、聞いたことはない。そもそも、彼の家族構成とか知らない。
たぶん彼は人が良いから、任命されると断れないのだろう。
そんな彼だからこそ、私の『聖女』の仕事の『最初』と『最後』に関わることになった。
恋愛禁止の聖女だから、他人とあまり関わらないように生きてきた。
そんな中で、彼は数少ない友人のように思える。私は何も変わらないけど、彼はもはや将軍閣下。私と違って、いろいろあったのだろう。二十年って、長いのだ。
「引継ぎの儀式、無事に終えられますことをお祈りしております」
「ありがとう」
私は微笑む。
「ねえ。将軍」
空は青く、森の木々は青々と茂る。
「最後の儀式は、あなたも見てね」
思えば、ここへきて、最初の儀式は、兵に守られての歌唱だった。森はざわめいていて、今よりも禍々しい空気を放っていた。
「あなたならできる」
怯える私の背中を押してくれたのは彼だ。
だから、最後も、そばで見てほしい。
「もちろんでございます」
グラウ将軍は、静かに頭をさげた。
将軍が連れてきた、新しい聖女は、リイナという。十六歳で、私の従兄の子供らしい。
ぴちぴちの肌に、大きな目。可愛らしい声。まさしく、聖女の名にふさわしい美少女だ。
本番前に、発声練習をしたのだけれど、小鳥のような優しい歌声だった。技術的にも相当に優れていて、魔力も高い。
「私、きちんと務まりますでしょうか?」
震える声で、緊張を隠せないリイナ。初々しくて、本当に、可愛い。
「大丈夫よ。魔のモノは、音楽に煩いけれど、あなたなら、大丈夫。私よりずっと上手ですもの」
私は、彼女の肩を叩く。
今日は、彼女と私の引継ぎの儀式。
つまり、私の引退歌唱の日だ。そしてそのことは、既に告知済みだ。魔のモノが、それを理解しているかどうかはわからないけれど。
気のせいか、境界の塔の周りの森は、いつになく気配が濃密になっている気がする。
私だけでなく、彼奴等にとっても『特別な日』になっているのかもしれない。
私たちが歌う場所は、塔の屋上。屋上は、円形になっていて、雨除けの屋根が半分だけついている。
聖女のためのステージだ。普段は、警備が二名ほど片隅に立つだけなんだけど、今日は、護衛隊と駐在の兵が完全に観客として脇に座っている。一応、森に向いたステージ正面は、開けた状態なので、劇場感覚でいうなら、脇にだけ客がいて、正面はがらりとした感じだ。
儀式はあくまで、魔のモノに対するもの。人間は歓声も拍手もしないのが、暗黙のルール。
聖女は常に、虚空に向かって歌い続けるのが日常だ。
今日は、私とリイナ、そして、楽団のほか、コーラス要員のフルメンバーがスタンバイした。
歌唱は、日が暮れると同時にはじめることになっている。
普段は、一回に一曲が決まりだけど、今日は私はリイナとのデュエットを含めて、五曲の予定。リイナはデュオをふくめて三曲。計七曲だ。
呪歌っていうのは、普通の歌と違って魔力を消費するから、歌いすぎると倒れてしまうけれど、やらせてほしいって、周囲に頼み込んだのだ。楽団のメンバーも了承してくれたから、今日はかつてない、曲数になる。最後だから。忘れられない思い出にしたい。
やがて、森にゆっくりと日が落ちる。初めに私が四曲を披露し、リイナが二曲歌い、私とリイナのデュオで終わる予定だ。
私は、魔力を使って、ステージに明かりを灯す。
「二十二年間。務めて参りましたが、今宵が最後となりました。聞いてください」
通じているのか、それどころか聞いているかどうかもわからない。それでも魔のモノに私は語りかける。
私は渾身の力を込めて、歌った。
リイナと私が歌い始めると、魔の森に無数の明かりが明滅しはじめた。
魔のモノは、新しい聖女を歓迎し、そして私をねぎらってくれているらしい。
歓声も拍手もない。だが、濃密な魔のモノの気配は、明らかに私たちの呪歌を聞いている。
意思疎通の難しい相手が心を開いているという、初めての体験に、リイナは涙を流し始めた。
そうだよね。うん。わかる。
私も、初めての時、めちゃくちゃ感動したもの。私の時なんて、最初は場が荒れてたから、空気がどんどん変わっていく感じが顕著だった。懐かしいな。
あれから二十二年間。
こんなふうにここまで心を開いてくれることは、めったになかったけれど、だからこそ嬉しい。
「本日は誠にありがとうございました」
私とリイナが歌い終えると、地鳴りのような響きが森から聞こえてきた。
「あれは?」
「たぶん、スタンディングオベーションよ」
私は笑う。
「大満足ってことだと思うわ」
森の明かりが明滅する。満天の星空が、森の中に落ちてしまったかのようだ。
「ソフィアさん、また、御一緒できますよね?」
リイナが私の手をぎゅっと握りしめる。
「機会があればね」
私は微笑む。
帝都に戻って、何をするかはわからないけれど、聖女の仕事に戻ることはないだろう。ここにまた来るとは思えないけれど、一緒に歌いたいとは思う。
「ソフィアさん、もう一曲だけ、歌ってもらえませんか?」
「え?」
私は既に五曲歌っていて、魔力はほとんど残っていない。
「アンコールって、言ってます」
森からの地鳴りがとまらないのは事実だけど。
余力を残しておくのが、この仕事の鉄則。でも、仕事は今日で終わりなのだ。
「わかったわ」
私は、力を振り絞って一曲を歌いあげる。
鳴りやまない地鳴りの音を聞きながら、私は意識を失った。