黄昏のメロディ
本編 三年ほど前。グラウ視点。
一度は手が届きそうになったひとが、再び遠い地に旅立って二年──。
なまじ昇りつめた地位のせいで、側にいることが出来なくなってしまった。
茜色に染まった空を仰ぎ、聞こえるはずのない歌声を想う。
今日の訓練は既に終わり、軍の演習場には人影はなく静かだった。
「閣下、こちらにおいででしたか」
「ブルガか。どうした?」
「執務室にお邪魔しましたら、まだこちらにおられるとの話でしたので」
私が将軍になると同時期に参謀長になった男は丁寧に頭を下げた。年齢は私より三つ上。
結果として私が途中で彼を追い越す形になったけれど、彼もルパート陛下に見出された出世頭である。
「閣下に、ご報告したいことがございまして」
ブルガはにこりと微笑んだ。
「なんだ?」
仕事の話ではなさそうだ。仕事の話なら前置きなどする男ではない。
「実は、結婚することになりました」
「結婚?」
私はブルガの顔を見る。
彼が出世をした理由は私と同じ。つまり、彼がここまで独身を貫いてきた理由も私と同じだった。
決して摘み取ってはいけない高嶺の花に焦がれてきた者だ。
「はい。おかしいですか?」
「いや──おかしくはない」
家のことを考えれば、結婚は当然のことだ。私も親類から何度も説教をくらっている。
養女をもらってからは、周囲も諦めたようだが。
「相手の女性を幸せにできそうなのか?」
「はい。共に歩んで行けそうだと思いました。ようやく、私は区切りをつけることができたようです」
ブルガは言いながら苦笑した。
「そうか」
「根性なしだとお笑いになりますか?」
「いや──根性がないのは私の方かもな」
私は肩をすくめる。
「役職を捨てて塔に行くこともできず、かといって、忘れることもできない」
「役職を捨てられては困りますよ、閣下」
ブルガは呆れたようだった。
「未だ陛下に塔に行きたいと嘆願なさっていると伺っております。くれぐれも自重なさってください」
「してはいる」
今はまだという言葉は、胸の内に飲み込んでおく。
陛下との約束を交わしてから二年。
その約束を心の支えに、その時を待つ。初めて会った時から現在までの時間に比べたら、僅かな時間であるけれど。
こんなにも長い年月の間、あのひとに会えなかったことはない……それが辛い。
そばにいても決して触れることのできない女性だ。
それも辛くなかったと言えば、嘘になる。
本当はあの場所から連れ去って、自分だけのものにしたいと願っていた。届けてはならぬ想いを抱いて側にいることも辛かった。
「ええ。そうですね。それから──陛下は閣下のことをお認めになっているようなのですから、想いは必ず貫いてください。私の分まで」
ブルガは大きく息を吐く。
「あの方が好きでした。あの方の歌声を守るためなら、今でも私は命を捨てられます。でも……私の居場所はあの方の隣にはないと、ようやく気付いたのです」
「ブルガ?」
「日が……沈みましたね」
一番星がキラキラと輝く。
塔では『儀式』が始まる時間だ。
柔らかい風が吹く。
私とブルガは塔の方角の空を見る。
暗くなっていく空の向こうから、優しいメロディが聞こえたような気がした。