聖女になる日
6万ポイント達成しました。
ありがとうございます。
リイナ視点SSです。
私が新しい『聖女』になる。
皇族の血を引くとはいえ、末端に近い私が『聖女』に立候補したと知った、私の両親は泣いた。
何度も止められたけれど、私の決意は変わらない。
今の『聖女』は、父の従妹にあたるひとで、皇帝の妹でいらっしゃる。二十二年もの歳月を、境界の塔で過ごし、この帝国を守って下さっている。
五年前。
私が、十一歳の時のことだった。
戴冠式のために帝都に戻られたソフィアさまの『建国の歌』を聞いた私は、体の中がカッと熱くなり、今まで聞いた歌の全てが色あせるような感覚を味わった。
同じ曲は何回も聞いたことはあるし、私自身も習った曲だ。でも、違う。魔のモノを鎮め、国を守る聖女の歌は、まるで魂を作り変えるかのような歌だった。
あの人のような歌が歌いたい。
ずっと、そんなふうに思っていた。
国を守りたいなどという大きな志があるわけではなく、それだけのために、私は『聖女』になった。
塔に行ってもあのように歌える保証はない。自分の実力がなければ、それは国家の危機になる。そのことに気づいたのは、聖女になることが決まった後だった。
責任の重さを思うと震えが止まらなくなるけれど、この国の最高の音楽は『境界の塔』にある。
小さいころから歌が大好きだった。だから、あの人に近づきたい。
「リイナさま、塔までの護衛を任ぜられました、グラウ・レゼルトと申します」
塔に行くための馬車の前で、私に膝をついたのは、歴戦の勇者であるレゼルト将軍だった。
「ありがとう。よろしくお願いします」
私は頭を下げる。
この人は、何度も『境界の塔』に足を運んでいて、ソフィアさまとも親しいらしい。
「塔は、どんなところでしょうか?」
「かつては、魔のモノとの戦乱もありましたが、今は穏やかなものです。森に囲まれたのどかな場所でございますよ」
将軍はにこやかに笑う。
「私にソフィアさまの代わりが務まるでしょうか?」
今の平和はソフィアさまの力で作られたものだ。
私の歌は、ソフィアさまの域には達していない。
「失礼ながら、ソフィアさまの代わりは誰にも務まりません」
「……はい」
将軍の言うとおりだ。五年前に聞いたあの歌は、誰にもまねができないものだった。
私はソフィアさまの次の聖女になるけれど、ソフィアさまの穴を埋められるものではない。
「リイナさまはリイナさまにしかなれない聖女になればいいのですよ」
将軍の目が優しい光を宿した。
「大丈夫ですよ。思えばソフィアさまも、初めて塔に向かわれるときは不安な顔をしておられました」
「ソフィアさまも?」
「はい。ですから、何の心配もございません」
将軍が頷く。
ソフィアさまの時は、前の聖女が急に辞めてしまって、魔のモノが侵攻を始めていたと聞いている。それに比べたら、私はずっと気が楽だ。塔にはまだ、ソフィアさまがいるのだから。
私は息を整えて、馬車に乗り込んだ。
ソフィアさまは、父と年齢は変わらないはずなのに、ずっと若く見えた。
美しい銀の髪。輝く大きな青い瞳。本当に綺麗で、『聖女』さまって感じだった。
発声練習を一緒にしていただいたのだけど、もう声の伸びとか全然違う。
「私、きちんと務まりますでしょうか?」
ソフィアさまと私では、天性のものも、技術も何もかも『格』が違いすぎる。私も帝都では、そこそこ上手い方だと思うし、だからこそ『聖女』に選ばれたのだけれど。
ソフィアさまのレベルを求められていたらと思うと、身体が震える。絶対に無理だ。
「大丈夫よ。魔のモノは、音楽に煩いけれど、あなたなら、大丈夫。私よりずっと上手ですもの」
ソフィアさまは笑って私の肩を叩いてくれたけれど、私がソフィアさまより上手なところなんて、一つもないと思う。
「二十二年間。務めて参りましたが、今宵が最後となりました。聞いてください」
塔の屋上に作られたステージで始まる、引継ぎの『儀式』。
ソフィアさまの歌は圧倒的だった。歌は魔のモノに捧げるためのものだから、人間の私達は拍手も歓声も許されない。
ソフィアさまが四曲を歌った後、私も二曲歌う。
何もない広がった森に向けて歌い始めた私は、私の歌を聞いてくれている『気配』を感じた。
ソフィアさまに比べたら、かなり未熟だけれど、それでも私の歌も受け入れてくれている。
ソフィアさまと二人で、デュエットを歌い始めたら、森の中に灯が明滅し始めた。
声は聞こえない。
でも、彼らは間違いなく私とソフィアさまの歌を聞いている。そしてこれは、きっと私を受け入れてくれたってことなんだ。
そう思うと、涙が流れ始めた。
「本日は誠にありがとうございました」
ソフィアさまが森に向かって挨拶をすると、地鳴りのような響きが森から聞こえてきた。
「あれは?」
「たぶん、スタンディングオベーションよ。大満足ってことだと思うわ」
ソフィアさまが笑う。意思疎通は絶対に出来ないって聞いていたけれど、それは違うって思えた。
森の明かりが明滅を続ける。満天の星空が、森の中に落ちてしまったかのように見えた。
「ソフィアさん、また、御一緒できますよね?」
私はソフィアさまの手を取った。
「機会があればね」
これで、ソフィアさまはようやく帝都に帰ることができる。だから、またここに来てと言うのはためらわれるけれど、でも、また一緒に歌いたい。そして、次に歌うときはもっとうまくなって、ソフィアさまに少しでも近づきたい。
「ソフィアさん、もう一曲だけ、歌ってもらえませんか?」
森からは地鳴りの音が鳴り響き続いている。
彼らも、私も。ここにいるみんなが、ソフィアさまの歌をもう一度聞きたいと欲しているのだ。
「え?」
「アンコールって、言ってます」
ソフィアさまは驚いた顔をする。ひょっとしたら、ソフィアさまは、自分の歌がどれほど人を動かすのかご存知ないのかもしれない。
「わかったわ」
今日のステージ、本当に最後のソフィアさまの歌が始まる。
ソフィアさまにとっても、私にとっても、そして、きっとそこにいた全てのものにとって、最高のステージになった。