戴冠式
発売日記念!
五年前、ソフィア視点です。
ファンファーレの音が鳴り響いている。
先ほど宮殿に帰ったばかりの私は、慌てて聖女の法衣に着替えた。
髪を結い、化粧をする。『境界の塔』から帝都カルカまでの道のりは、三日。さすがに疲れているけれど、そんなことは言っていられない。
今日は、兄ルパートの戴冠式だ。
私はこの国を守る聖女として、参列する義務がある。
戴冠式が行われるのは、宮殿内にある神殿だ。
そこで神に宣誓をし、正式に皇帝となる。
既に参列者がそろっている中、私は慌てて祭壇の横に立った。大遅刻だけれど、このことを咎めるような人間はいない。本来なら聖女は『境界の塔』にいなければいけないのだ。
父が死去してより、玉座は空席の状態で一年が過ぎた。
もっとも、実際には兄が政治を取り仕切っていたので、空席というのは、あくまでも法律の上での話だ。
面倒な話だけれど、こういうことは、形式がきちんとしていることも大切なのである。
やがて。
宮廷楽師たちが、荘厳な音楽を奏で始めた。ざわついていた参列者たちが口を閉じる。
その曲に合わせて扉が開かれ、兄が現れた。もともと豪奢な金髪をしているから、華やかな印象の兄である。今日は、きらびやかな刺繍の入った黒の礼服に長い朱色のマントのため、神々しいほどだ。兄は、参列者の横を通り過ぎ、祭壇の前に立つ。それに合わせて音楽は止み、静寂が訪れた。
「私、ルパート・グラスリルは、民の健やかな暮らしを守り、育むことを神の御名に誓います」
兄の低い声が、神殿中に響き渡る。
「ソフィアさま」
宮廷魔術師の長であるネイマールがうやうやしく帝冠を差し出す。
参列者の視線が私に向いたのがわかって、急に脈が速くなってきた。
私の役目は、この帝冠を新しい皇帝に授けること。
前皇帝が生きていれば、皇帝がするのだけれど、そうでない場合は、この国の『聖女』がする決まりなのだ。
帝冠をネイマールから受け取り、兄の方を見る。
「この国の民の幸せを守ってください」
緊張のせいで声が上ずってしまったけれど、兄は笑わずに首を垂れてくれた。
震える手で、帝冠を兄の頭の上にのせる。
「新しい皇帝が即位された!」
ネイマールの高らかな宣言と共に、一斉に歓声が巻き起こった。
戴冠式が終わって一息ついていると、兄に呼び出された。
この後は祝賀パーティがある予定なので、その前に話をしたいということなのだろう。
私は明日には『境界の塔』に戻る予定だから、何かを話すとしたら今しかない。
「ああ、ソフィア、よく来た」
兄は戴冠式に着ていた礼服を脱いで、非常にラフな格好をしている。どうせまた、パーティで礼服を着なければいけないのだが、ずっと着ていては息がつまるということなのかもしれない。
「実は、お前に縁談がある」
「縁談?」
私は驚く。私はすでに三十五を過ぎている。もはや、そんな話はないものと思っていた。
「でも、私の後任は決まっていないのでは?」
「うん。それはそうなのだが」
兄の顔が曇る。
「いや、でも数日中に決定するはずだ。そのように指示をしている」
「それは、無理なのでは?」
思わず言ってしまう。
急を要する状態なら、考える余裕もなく選択することはあるだろう。だが、平穏な今の状況では、何もない『境界の塔』に行き、前線に立つ聖女になる踏ん切りはつけにくい。急ぐのではなく、もっとじっくり、時間をかけて決断してもらった方がいい。
その時、急に扉の向こうに足音が鳴り響き、ドアがノックされた。
「どうした?」
「緊急事態です、陛下」
「グラウか、入れ」
入ってきたのは、私も知っているひとだった。
長身で、軍服をまとっている。『境界の塔』警備隊長だった、グラウ・レゼルト将軍。兄の即位に合わせて将軍に昇進したと聞いている。
「魔のモノが侵攻を始めたと、早馬が参りました」
「何ですって?」
私は耳を疑った。今までの感覚だと、十日は儀式を休んでもだいじょうぶだったのだけれど。
「陛下、私はすぐに戻ります」
「しかし、ソフィア」
兄が何か言いたげに、私とグラウの方を見る。
「次の聖女が決まるのを待っていることは出来ません」
「それはそうだが……」
「荷物をまとめて、すぐに出立いたします。馬車の用意をお願いします」
「わかりました。塔へは、私がお連れいたしましょう」
グラウは私に頭を下げる。
「……やむを得まい。グラウ、ソフィアの護衛を頼む」
兄は苦い顔のまま、頷いた。
縁談の相手が気になる気もしたけれど、それより聖女として国を守ることの方が何倍も重要だ。
それに、グラウが護衛についてきてくれるなら、心強い。
「すまぬ」
私とグラウを見つめて、兄が頭を下げた。
「それでは、行ってまいります」
私は大急ぎで、『境界の塔』へ向かう。
その時の縁談の相手を知ったのは、そこから五年の月日がたってからだった。
本日、SQEXノベルさまから発売されました!
ありがとうございます!
書籍の特典等は4/1の活動報告にあります。