独演会
グラウは、私に駆け寄ろうとしていた足を止めた。
刃の冷たさを感じる。
エイミーの顔は青ざめているが、本気だ。冷静に考えれば、私を殺してしまっては、彼女の要求は絶対に通らない。だが、そんなことがわかる状態ではなさそうだ。
「グラウ将軍、私につけ。悪いようにはせん」
公爵は、手を広げにこやかに笑う。劣勢の状態を今からでも逆転できると信じているようだ。
「欲しいものは、なんでもやろう。そなたが、味方になれば怖いものなしだ」
交渉を続ける公爵に対して、グラウは無表情だ。
「何をくださるとおっしゃるのでしょう?」
言葉だけは丁寧に答える。が、グラウは、鋭い目で私を見ていた。エイミーの隙を窺っているのだ。
「金でも、地位でも思いのままだ。知っておるぞ。そなた、『最高剣士』の栄誉の褒賞を受ける権利を持っていながら、未だ、それを授けられていないとか」
「ほう。そのようなことまで、ご存知とは意外ですな」
にやり、とグラウが笑う。褒賞を受け取っていないとは、どういうことだろう。
グラウは、じっとタイミングを待っているようだ。大気が緊張に満ちている。
突然、コウモリが、エイミーの顔めがけてとんだ。
「なっ、い、いやぁ!」
エイミーが思わず声を上げ、手でコウモリを振り払おうとする。
グラウは、その隙を見逃さなかった。あっという間に距離を詰めて、エイミーの剣をたたき落とす。
それが合図となった。部屋に兵たちがなだれ込んできて、公爵たちは身体を拘束される。終わってみれば、あっけない幕切れだ。
「な、何をするっ!」
「すぐに殺されないだけ、ありがたいと思ってください。ソフィアさまをこのような目に遭わせただけで、万死に値する」
冷ややかな目で、グラウが言い放つ。こんな冷徹なグラウは見たことがない。
「きさまっ! 成り上がりのくせにっ」
「そうです。私は成り上がりです。だからなんだというのです?」
グラウは冷笑する。
「私は金も地位も自力で手に入れました。そして、一番欲しいものは、陛下がくださる約定になっています」
「何?」
「その約定を陛下が違えるなら、あなたのお話に乗ったかもしれません。ですが、それ以前に、あなたは方法を間違えた。ソフィアさまに害をなすような輩は論外です。交渉は、相手をよく知ってから、行うことですな」
冷ややかに言い放って、連れて行け、と兵に合図をする。そして、グラウは私の戒めを丁寧に解き始めた。
「大丈夫ですか?」
先ほどまでとは違う、優しい口調だ。やわらかな眼差しに見つめられて、胸が熱くなる。
「ええ。平気です。よくここがわかりましたね」
「軍の施設内で、あなたをさらわれるなんて。本当に申し訳ない」
グラウは、頭を下げる。
「いいえ。油断した私が悪いの。気にしないで」
私は微笑む。グラウが、陣頭に立って助けに来てくれたことが何よりうれしい。
「容疑者は何人かおりましたが、あなたが気を許しそうな人物がいるということで、こちらに探りを入れました」
グラウは、肩をすくめ、天井にぶらさがったコウモリに目をやった。
「こちらの屋敷の上空にやたらとコウモリがおりましてね。不審に思いましたら、ソフィアさまのお声が聞こえたのです。それと同時にコウモリが突然、屋敷に突入しましたので、我々も後に続いたという次第で」
「不思議な話ね」
私はコウモリを見つめる。コウモリであって、コウモリでない気配。
「あなた、魔のモノよね。私に会いに来てくれたの?」
キーとコウモリが小さく声をあげる。
まるで返事をしたようだ。
「魔のモノ?」
グラウが不思議そうにコウモリを見る。
もちろん、森の魔のモノは、こんな形はしていない。異形であり、どこが目か、鼻かも理解できない存在だ。それらは見た目からも恐怖を与える姿をしていて、このような見慣れた生物とは違う。
「たぶん、独演会を見に来てくれたのよ。帝都にいてもおかしくない生き物の形を借りて」
「まさか、そんな」
「だから、私の呪歌に反応してきてくれたのだわ。不思議だけど」
荒唐無稽な話だけれど、私には真実に思えた。私の呪歌に反応して、ここに集まってきて、私を助けに来てくれた。間違いない。
「独演会の観客は、あなたたちが主役じゃない。私は、今まで塔で私を守ってくれてきた人たちのために歌うの。それでもよければ、天井で聞いてくれてもいいわ」
コウモリはキキッと頷くように鳴くと、部屋から飛び立っていった。
明らかに、私の話を理解したように見える。
「まさか、魔のモノが帝都まで追っかけてくるとはね」
にわかには信じがたいようで、グラウが首を傾げている。
「そうね。嘘みたいよね」
グラウに戒めを解いてもらい、私は手足を動かしてみる。問題なく動きそうだ。ちょっとまだ痛いけれど。
「お怪我はありませんか?」
「ないわ。ちょっと痕がついただけ」
頷き、立ち上がろうとしたところを、グラウに抱き上げられた。
「え?」
二度目のお姫様抱っこ。えっと。今日の私は、歩けますよ。たぶん。
「ご無理はいけません」
「あの、でも?」
「ご不快ですか?」
グラウに問われて、顔が熱くなる。
嫌ではない。嫌ではなく、むしろ嬉しい。
「私がこうしたいだけなのです。させてください」
グラウの目に私の姿が映る。ずっと、私だけを映してほしい。そんなふうに思った。
独演会の当日は、信じられないほどの人が押し寄せた。
立ち見はもちろん、講堂の外にまで、席が作られることになった。呪歌はかなり遠くまで届くので、防魔処置をしなければ、場外でも聞くことは可能ということだ。千人越えちゃうとは、本当に驚きで、震える。
天井には、たくさんのコウモリがひっそりとぶらさがっていた。彼らは本当に、私の歌を聞きに来てくれたらしい。不思議だ。
軍部だけという話であったが、兄とネイマールも、グラウとともに最前列に座っていた。
最初は、客が来なかったら、身内だけかなって、思っていたのに。
考えられないほどの盛況な入り。
私は、引継ぎの儀式と同じく、五曲歌う。曲目は楽団の意見を取り入れ、『帝都』で人気があるというナンバーを選んだ。
そのこともあったのだろう。会場は揺れんばかりの熱気に包まれ、私は今までもらったことのない、歓声につつまれた。胸が熱くなる。かつてないほどの高揚感。
二十二年、恋を封じて、己を律してきた。
そんな日々を積み重ねた聖女であったからこその、幸せを全身に感じる。
このあと、どうなるのかはわからない。でも、『今』は誰よりも幸せだ。
最前列にいるグラウの姿が見える。彼とともに過ごした思い出が脳裏に浮かんだ。
間違いなく、私は幸福だ。
「ソフィアさま、アンコールを」
楽団のメンバーが私を促す。鳴りやまない拍手と歓声におされ、私は力を振り絞って、歌う。
「二十二年、勤め上げられたのは、みなさまのおかげです。本当に、ありがとうございました!」
あふれる思いを感謝の言葉でしめくくる。
聖女である『時』を燃やし尽くした、と思った。