引退勧告
久しぶりの帝都からの使者が告げたのは、思ってもいない言葉だった。
「えっと。ようするに、定年ですか?」
「そろそろご勇退の時期、と申し上げました」
うやうやしく首を垂れる宮廷魔術師のネイマール。ネイマールとは私が聖女になる前からの付き合いだ。
まさか、六十すぎたネイマールより、先に引退するとは思わなかった。
私は椅子の背もたれに背を預けながら、思わず、執務室の天井を仰ぐ。
齢、四十歳。そりゃ、最近、無理がきかないなあって思っていたけれど、聖女に定年制度があるとは知らなかった。まあ、外見的に『聖女』って、言葉のイメージがきつくなってきたかもしれないとは思う。
私、ソフィア・モーリアスは、十八の時から、『境界の塔』で、この国を守る聖女として暮らしている。
『境界の塔』は、文字通り、魔界と人間界の境界線にある森の入り口に建てられていて、人間の世界を守るための塔である。
「二十二年もの長き間、聖女の責務をつつがなく全うされ、魔のモノを魅了し続けたこと、後世まで語り継がれましょう。輝かしき功績にございます」
ネイマールの口調は、私の経歴が既に『過去』になったことを示している。
「まだやれるとは思いますけど?」
半ば納得はしつつも、ほんの少しだけ抵抗を試みた。
「常ならば、せいぜい十年の『聖女』職。惜しまれるうちに退かれるのが、華にございますれば」
「華、ねえ」
聖女ってのは、皇族の中で魔力と歌唱力の高いものが選ばれる。
やることは、塔の屋上のステージで、呪歌を歌うこと。魔のモノは、優れた音楽を聞くと、凶暴化しない。
特に、魔力のこもった『歌唱』はてきめんな効果があるのだ。
あと。理由はよくわからないけれど、聖女は恋愛禁止。
恋愛スキャンダルをおこすと、なぜか魔のモノが攻めてくるらしい。理由はよくわからない。
あと、呪歌の音楽性やら、聖女の歌唱力とかに難があってもダメ。
魔のモノは美しい人間界の音楽を求めているらしいのだが、不満があると普通に殺戮はじめて、しかもメチャ強い。そうなったら、こっちは、音楽どころじゃない。
とりあえず、音楽を与えて、落ち着いてもらうのがベターなのだ。境界の塔近くの森は、非常に資源も豊かで、国としても確保しておきたい場所だから。
幸い、私が就任中、そこまで大きい戦いになったことはなかったけれど、ちょっと喉の調子が悪かったりすると、森がざわついたりしたことはある。
彼奴等は、とても耳が肥えているのだ。
でも、まあ。いくら『外見』が関係ないとされているとはいえ、魔のモノも若い女性の方が良いのかもしれない。
ちなみに、この聖女というお仕事。
非常に『名誉』ではあるけれど、それほど人気のあるお仕事ではない。周囲は森だし、お年頃なのに恋愛禁止で、パーティもお店もない。
あの当時、あまり、若い女性に人気のある職場ではなかった。多分、今もそれほどないと思う。
私の先代は、一年で、塔に軍役中の警備隊長とねんごろになって、出来婚スキャンダルでやめてしまった。
そういう事情で、急な話だったから、とにかく誰か行かないとって感じで、私は聖女になったのだけど。
正直、私には居心地よかったんだよね。
三食ついていて、呪歌を歌うだけでいいなんて!
いや、本当、社交界とか、超面倒くさいと思っていたから。
とはいえ。『境界の塔』は、常に魔界との最前線なのだ。
幸い、私は二十二年、大きな戦乱もなく、のりきったけれど。このまま、老いていけば、声も出なくなるかもしれない。
魔のモノは、音楽に煩いのだ。彼奴等にダメ出しされてからでは、遅い。
「老兵は去らねば、ですか」
私は大きくため息をついた。
それにしても。聖女をやめたら、どうなるのだろう。
歴代の聖女は、帝都に戻ると名のある臣下に嫁ぐことが多かったように思う。
ただ、普通に考えて、四十歳の私に、嫁ぎ先はあるのだろうか。
そういえば、五年前に一度、縁談があるから引退しろと言われたけど、魔のモノが動きだしちゃったから、うやむやになっちゃった。
腹違いの兄である陛下も、妹を中途半端な貴族に嫁に出すわけにもいかないだろう。
私の母は孤児で、神殿で育った。神殿の合唱団で、魔力を見出されて、呪歌の歌い手として訓練を受けたのだ。そこで頭角を現して、宮廷に呼ばれるようになったとか。
結果、恋か遊びかはわからないけど、前皇帝のお手がついて、私が生まれたらしい。
つまり直系ではあるけど、身分的には低いから継承権は遠いって、立ち位置だ。
母が亡くなって、宮殿に引き取られたのが十二歳のころ。
そんな私は、陛下の妹であっても、政略結婚の相手として、あまり美味しくない。
「帰っても、する事なさそうだから、ここで新しい聖女のバックコーラスとか、新しい歌の作曲とかでここに残ってはダメですかね」
「何、言ってるんですか。ダメに決まってます」
ネイマールは片眉を器用につりあげた。
「陛下はソフィアさまのお帰りを心待ちにしておいでです。出来るだけ早くお戻りを願います」
「わかりました。後任の方がお見えになったら、引継ぎます」
ネイマールが深く頭を下げるのを見ながら、私は頷く。
「絶対ですよ。ここに残るとかおっしゃらないでくださいね?」
「……わかっていますわ」
そこまで言われなくても、引退しますよ。
それにしても、帝都に帰って、何をすればいいんだろう。
私は大きくため息をついた。