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ゼン・ラー  作者: 淡嶺雲
3/15

第3話 屋上

 朝、学校についたときのことである。

 裕樹が靴箱を開けると、中からなにかがひらひらと舞い落ちた。

 なんだろう、と思い彼がそれを拾い上げる。そしてぎょっとした。

 それは封筒だった。小さな、洋式の。

(ま、まさかこれは……)

 彼は無意識に懐にそれを隠す。そして左右を見回してだれもそれに気づいて無いことを確認すると、すぐにその場を離れた。

 彼が向かったのは男子トイレの個室であった。

 彼はカギをかけると、懐から封筒を取り出した。胸が高鳴るのが分かった。

(こ、これが噂に聞く、靴箱のラブレター!)

 こんなもの実在するのか、そう懐疑的になりながらも、しかし実際に目の前にものがある。ものがあるからにはあるのである。これは疑いようのない事実だ。

彼はごくりとつばを飲み込んで封を開けた。

 中には二折になった便箋がはいっている。そこには、きれいな字で、次のように書かれていた。


「放課後、屋上に来てください。お話があります。

 1年B組 石見紗綾」


 彼は更に自分の胸の鼓動が高まるのがわかった。ドクンドクンという音が聞こえてくる。

 岡田の冗談があたったのだ。やはりこれはラブレターだ。しかも、昨日意味ありげな素振りを見せたあの美少女から!

 彼は呼吸を整えようと深呼吸した。トイレのニオイが鼻腔を満たしたがそんなことはどうでも良かった。かれは再び懐に手紙を入れた。これは宝物となるだろう。

 なぜなら、これこそ、高校デビュー、そしてリア充への道の第一歩となるのだから!


 丹波裕樹はその日授業に集中できなかった。彼の席の斜め後ろの窓際の席には岩見紗綾が座っていたが、彼はその方向を見ること出来なかった。絶対直視できるわけもなかった。彼女はどんな顔で、こっちを見ているのか、それを考えると頭がくらくらしてくるのだ。

 ああ、とにかく放課後が待ち遠しいという気持ちを抑え込みながら、放課後までの時間を過ごしたのである、


 6時間目が終わり、やっと時が来たと思い、荷物をまとめ席を立つ。後ろを振り向くとすでに石見紗綾はいない。おそらく先に行ったのだろうと思った。

「よう、部活見学に行くんだが、一緒に行くか?」

 岡田が話しかけてきた。しかし丹波祐樹にそんな余裕はない。彼はその申し出を辞退した。

「いや、ちょっと用事があって……」

「なんだよ、昨日に続いて」岡田は言った「もしかして、早くも、コレか?」

 岡田は小指を立てて見せた。

「馬鹿、違う!」

 彼は頭を振った。ほとんど当たっていたからである。

「ふーん、まあでも、部活は早く決めた方がいいぜ」

「ほっとけ」彼は言った「帰宅部もあるだろ、最悪それでいいよ。急いでいるから、また明日」

 彼はそういうと教室を出た。

 丹波裕樹は周囲を見回し、だれも周りが自分を見ていないことを確認しつつ、階段を上っていく。最上階から先は用事がない限り立ち入ることはほぼ無いわけであるが、これが今の用事であった。

 彼は屋上に続くドアを開ける。

 そして彼の目に入ってきたのは、少女の後ろ姿だった。風に黒髪が揺れている。

 裕樹はドアを閉めた。そして少女の方に歩み寄る。緊張に、心拍数が自ずと上がる。

「ね、ねえ石見さん」彼は震える声で言った「来たよ。その、手紙を見て。話しって……」

 石見紗綾が振り向いた。クールな瞳が眼鏡越しにこちらを見つめた。

 そして、今度は彼女の方から裕樹に歩み寄る。

 紗綾は、裕樹の手をとった。

(えっ、こ、これってどういう!)

 妄想の範疇だが、しかし実際実際にこう来るとは思ってはいなかった。そんな展開に狼狽している彼の目を見つめて、紗綾は口を開いた。

「お願い!」彼女は裕樹の手を握ったまま頭を下げた「あのことは内緒にしといて! お願いだから。でないと私の立場が……」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 思いがけない言葉に裕樹はさらに狼狽える。

「あのことって何?! いきなり言われても」

「一昨日の公園でのことよ! あれがバレたら……」

「一昨日の公園……ってまさか!」

 裕樹は声を上げた。そして驚きのあまり目を見開いて彼女を見る。確かに彼女の髪はあの時の女と同じくらいだ。背丈も同じ。そして、よく考えてみれば声色も似ている。

「あの痴女はあんただったのか!」

「えっ」紗綾は顔を上げた。きょとんとしている。「まさか、気付いてなかった……?」

「うん、まったく」

 紗綾は顔を真っ赤にする。彼女はあろうことが、人をわざわざ呼び出して、犯罪行為を告白していたのである。

「あ、あ、どうしよ、ええと……」

 紗綾は足の力が抜けるのが分かった。そしてその場にへたり込んだ。

「だ、大丈夫?」

 裕樹が声をかけるが、彼女は今にも泣きだしそうだった。それには昨日や先ほど垣間見たクールさの面影はない。

「ご、ごめんなさい」彼女は震える声で言った「ほ、本当に誰にも言わないで……通報しないで……」

「……ほかの人に見られたことって、ある?」

「ないよ。見られたのは丹波君がはじめて。だから、お願い、通報だけは……」

「通報はしないよ」裕樹は言った。「言いふらしたりもしない」

「本当!? よかった……」

「ただし条件がある」

 紗綾の動きが止まった。もしかしてあれだろうか、きっとあれなんだろうか。そうだ。露出した女子を見逃す代わりに言う言葉は決まっている。エッチな本で読んだあれだ。

 ああ、さらばわが純潔よ、そう彼女は心の中で涙を流しながら、そしてわずかに期待しながら、言った。

「じょ、条件ってなに」

「もう二度とこんなことしないって誓ってほしい」

「へ?」紗綾は予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げた。

裕樹は続けた。

「いつかは見つかるよ。こんなこと犯罪だよ、それに」

「いや、ちょっと待って」紗綾は裕樹の話を遮った「それだけ?」

「それだけって?」

「いや、秘密をばらされたくなければ、アレをアレしろとか、言うんじゃないの?!」

「そんなこと言わないよ!」裕樹は叫んだ。もちろん裕樹とてそういうことがしたくないわけではない。しかし彼には彼なりの矜持がある。「僕を何だと思ってるんだ! エロ漫画の主人公じゃあるまいに! この小説はR-18じゃないぞ!」

「本当に言わないの?」

「言いません!」

「そう、それはよかった」紗綾は胸をなでおろすように言った。

「うん、だからね、あんなことはすべきじゃないよ。やめてくれるんだよね」

「いいえ、それはできないわ」彼女はきっぱりといった。裕樹が自身にいやらしいことを強要するつもりがないことが分かり安心したのか、すでにいつものクールな顔に戻っていた。

「できないって、なんで」

「それが私の生き方だからよ」彼女は髪をふぁっさ~として答えた。

「いやいやそれはだめだよ、生き方って言っても、犯罪行為だよ。僕は君のことを思って言ってるんだ。もしUSBメモリを見つけたのが僕じゃなくて他の人だったら……」

「ちょっと待って」彼女は言った「今、USBメモリと言ったわね」

「う、うん言ったけど」

「なくしたと思ったら、あなたが拾っていたのね」

「うん、あんな写真人に見られたら……」

 それ以上裕樹は続けていることができなかった。紗綾が彼の胸倉を突然つかんだのだ。

「見たの? 中を」彼女は鋭い視線で言う。

「う、うん、そうだよ。もし誰かに悪用されたら大変だよ。言ったんだから、放して」

「あら、ごめんなさい」彼女は手を離した「ちょっと興奮してしまって。丹波君は拾ってしまっただけだものね」

「そうだよ」

「あら、でもおかしいわね。露出に反対で、あの時私だと気づいていなかったのなら、あれを交番に届けてもよかったんじゃない? なんで持って帰ったの? しかも中身を見た」

「そ、それは……」裕樹は狼狽えた。言われたとおりだった。というか拾ったものを勝手に持ち帰るのは犯罪だろうし、不審者のものなら操作の手がかりのためになおさら警察に届けるべきなのである。

 それを、彼は持って帰っていたのだ。

「もしかして興味があったの? 露出に」

「だ、断じて違う! それは、その、出来心で」

「ふーん」紗綾はにやりと笑った「本当にそうかしら。昨日も公園に行っていたくせに」

「ど、どうしてそれを!」

「もちろん茂みから見たのよ、あなたを」彼女は言った「何を期待していたのかしら」

「何も!」彼は否定するように大声で言う。すべてを見透かされているような気がしたからだ。

「どうかしら」彼女は言った。そして裕樹の肩に手を置いた「まあでも、私の秘密を知ってしまったからには、あなたにも共犯者になってもらうしかないわね」

「僕は露出なんてしないぞ!」裕樹は叫んだ。「協力もしない! 石見さん、君が僕の忠告を無視して露出を続けるのなら、黙って見過ごすわけにはいかない。反省してもらう!」

「警察にでも通報するの? さっきと話が違うわよ」

「やめないなら仕方ないよ!」

「ふーん、そう」彼女はそう言った。口元は笑ったままだ。本来ならここでまたやめてくれと懇願してもよいはずなのに、そんなことはしない。

 代わりに、彼女は、裕樹の耳元に唇を寄せた。

 これにはさすがの裕樹もドキッとした。いや、昨日オカズにした少女がこんな近くにいるのだ。理性がなんとか保たれていてよかったとつくづく思うのである。

 紗綾は言った。

「でも残念。あなたは私を通報できない」

「なんで」

「それは、そうするとあなたも道連れになるからよ」

「どういうことだ?」裕樹は言った「僕は何も悪いことしていないよ。そりゃ君のUSBメモリを拾ったけど」

「それよ」紗綾は言った「私はそれをあなたにあげたことにするわ。するとどう、あなたの手元には、女子高生の裸の写真があることになるわ。これは立派な児童ポルノよ」

「児童ポルノ!」裕樹は叫んだ。たしかにあれの被写体は18歳未満だ。

「そう。単純所持で捕まるのが嫌なら、あなたは私に協力するしかない」

「クソが!」裕樹は叫んだ「僕は脅しに屈しないぞ」

「あ、そうそう、あとこれね」紗綾は裕樹の耳元から顔を離した「これはあなたが通報すると言った時のために準備しておいたのだけれど」

 そう言ってポケットからスマートフォンを取り出した。そしてT○itterの画面を映した。

「これ、あなたのアカウントよね」

 そこに映っていたのは紛れもなく裕樹自身のアカウントだった。いやな汗が背中を伝う。

「書いている内容もRTの内容も酷いわね。なにこの『うちのクラスの女はレベルが高い、顔だけでもヌけそう』『テストの残り時間は同じ教室の女子を順番に犯す妄想をして過ごしている』なんていう書き込みは? それにエロ画像ばっかりRTしているわね」

 裕樹は膝から崩れ落ちた。

「ど、どうやってそのアカウントを……」

 裕樹は偽名でSNSをやっていたわけである。もちろん世間にバレないように個人情報などは載せない。十分に注意したつもりだった。

「実際、近所の写真なんかもアップしてるじゃない。家の窓からの写真も、あなたの家からでぴったり」

「どうして僕の家を!」

「緊急連絡網の電話番号から割り当てたのよ」

「ストーカーかよ! というか1日でそこまで……」

 紗綾は、指を二本立てて裕樹の前に突き出した。

「私はあなたの弱みを二つ握ったことになる。一つは児童ポルノ単純所持、そしてもう一つはこの破廉恥なアカウント。もしこれがバレたりしたら」

「お願いします、それだけは!」彼は懇願するように言った「ばれたら、僕の立場が……」

「そう、ならあなたに選択肢はない」彼女は見下ろすように言った「私への協力を誓いなさい」

 裕樹は混乱していた。本当なら脅すことのできる立場にいるのに、なぜか脅されている。おかしい。絶対におかしい。こんなの絶対おかしいよ。

 いや、ここまで用意周到だったのだ。はじめの懇願も演技だったのであろう。

 もはや裕樹に選択肢はなかった。

「……協力、します」

 彼は肩を落として、力なさげに言った。

「そう、ありがとう」彼女は言った「では、行きましょうか」

「行くって、どこへ」裕樹は聞いた。

「私たちのアジトよ」紗綾はそう宣言するのであった。「そう、我々、紫苑学園全裸道部のアジトへ」

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