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ゼン・ラー  作者: 淡嶺雲
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第1話 桜の下

人と妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

(創世記 2:25)


「すっかり遅くなっちゃったな……」

 暗くなった住宅街の街路を一つの影が歩いていく。背丈は170センチほど、体格は中肉中背、ブレザーを着ていた。やや早歩きに、時間を気にしているように見えた。夜はまだ深まってはいないものの、道行く人は少なかった。チカ、チカ、と街頭が点灯する。

 季節はまだ肌寒さの残る4月はじめである。だが彼は額に汗を浮かべていた。

(……駅からの距離を考えると、自転車があった方がいいのかなぁ)

 彼は歩きながらそう考えていた。彼――丹波裕樹は、高校に入学したばかりである。中学校までは町内の学校に通っており、徒歩でも近かった。進学にあたって、隣町にある高校を選んだ彼には、電車通学の必要性が生じたのである。

その電車を1本乗り逃がしたのだ。

 ピーク時を除けば30分に1本程度の路線である。この時間になるとさらに運行間隔はまばらとなる。彼は入学式の後の手続きや部活の勧誘の話を聞いたり、この際だからと学習塾の見学に行ったりしているうちに、時間が遅くなっていたのである。

だからこそ彼はいま早歩きなのであった。決して治安の悪い街ではない。しかし、勉強に部活に疲れたうえで最寄り駅から自宅まで20分も歩くとなるとそれは大変である。楽をできるならしたい。しかし、自転車があれば貴重なこの時間を短縮できる。何より朝、1分でも長く寝ることを至上とする彼にとっては、その方がずっとありがたかった。

 さて、どうやって自転車を買うか、親にどう金の無心をするかと考えながら歩き続けながら、ふと横を見た。

 彼は息をのんだ。

 彼が歩いてきた道は昔の水路に沿う形で作られている。水路自体の幅は数メートルであるが、その水路の両岸は遊歩道が整備され木が植えられて公園となっていた。

 そこに桜が咲いていたのである。やや遅咲きなのか、まだ満開を誇っていた。

 それが、街頭の光に照らされ、あたかもライトアップされた夜桜のようになっていたのである。

(朝には気づかなかったな)

 彼はそう思いながら、せっかくだし見ていこうと思い、水際の公園の方に足をすすめた。

 その時、チリンチリン、という鈴の音が聞こえた。音の方を見ると、自転車が1台走ってくる。

 それは警察の自転車だった。

 そういえば、と彼は思いだした。最近変質者がこの街に出るという噂であった。そのためにパトロールを強化しているのだと彼は思った。

 自転車は彼のそばを走り抜けていった。別にまだこの時間であれば部活や塾帰りの高校生が夜道を歩いていても別に不思議ではないからおそらく気にも留めなかったのだろう。

 さて、気を取り直して、と思い公園に足を踏み入れ、植わっている桜の木に近づこうとした時であった。

 植込みの茂みが、ごそごそ、と動いた。

 かと思うと、何かがその陰から出てきた。まるであたりをうかがうようだ。それは、彼とは反対側を向いている。

「ふう、警察は行ったようね……」

 その影はそうつぶやいた。そしてこちらを振りむいた。

 その姿が、桜とともに、街灯に照らし出される。

 それは若い女性だった。顔立ちや正確な年齢まではわかりそうにない。サングラスをかけ、マスクを着けていたからだ――そして、身に着けているものはそれだけだった。

 光に照らされるその白い肌、黒く長い髪、そして二つの乳房。それがそこにはあった。

 丹波裕樹は固まっていた。いや、正確には動けないでいた。状況が理解できなかった。

 相手も固まっていた。おそらく警察をやり過ごすことに神経を集中させた結果、彼の存在に気が付いてはいなかったのだろう。唐突に全裸で飛び出したところを見られたのだ。

 二人はしばらくにらみ合った――いや、にらみ合うというより、状況を把握するのに精いっぱいであったというのが正確なところだ。

 動いたのは彼女の方が早かった。彼女はすぐさま植え込みの陰に消えた。そして走り去るような足音が響いたのである。

 丹波裕樹が金縛りのような硬直から回復したのは、そのあとだった。

 僕は今何を見たんだ! 彼は思った。彼は今自分の心拍数が明らかに上がっているのが分かった。それはべつに女体を見たからではない。それは股間が熱くなっていないことからわかる。

 いま自分は、変質者と遭遇したのだ!

 彼は状況を理解した。変質者と聞いていたので中年男性が性器を露出させているのだろうと思っていたが、しかし本当は痴女だったなんて!

 彼はゆっくりと彼女の消えた植込みの方に近づいた。そして植込みの裏を見る。

 当然誰もいるわけなかった。彼女はすぐさま逃げ去ってしまったのだから。

「いったい誰なんだ……」彼はそうつぶやきながらあたりを見回した。

 そのとき地面に何かが落ちているのを見つけた。

 それはUSBのフラッシュメモリーだった。

 彼は再び胸が高鳴るのを覚えた。

(いやいや、何を考えているんだ僕は!)

 彼はかぶりをぶんぶんとふった。しかし体は正直であった。

 気が付いた時には、彼はそのフラッシュメモリーを拾い上げていた。

 誰もいないよな、と左右を見る。そしてそれをカバンにしまうと、茂みの陰から出た。

 そこからはあまり覚えていなかった。おそらく傍から見れば挙動不審であったかもしれない。とにかく彼は警戒するように家に急いだ。

 そして家に帰りつくと、夕食も取らず自室に入った。彼は部屋の鍵をかけた。

 彼はカバンを開けると、中からフラッシュメモリーを取り出した。

(持って帰って来ちゃったけど、これ、どうしよう……)

 彼の心臓が心拍数を上げる。手がぷるぷると震えていた。

(これ、あの人のだよね……)

 彼はそう思いながら、彼はフラッシュメモリーをパソコンにさす。そしてファイルを開いた。驚くべきことにパスワードはかかっていなかった。

「うわっ」

 彼は思わず声を発した。予想通りであった。

フラッシュメモリーの中にあったのは、裸の、若い女性の写真であった。

 顔はマスクを着けていたり、もしくは片手で隠していたりしてわからないが、そのみずみずしい体つきは若さを物語っていた。白い肌と程よい大きさ――Cカップぐらいだろうか――の胸、そして整えられた陰毛。それがそこにはあった。

 彼は食い入るように画面を見つめた。写真を次々と見ていく。

 残念ながら女性の顔が映ったものは一枚もなかった。だが場所は様々だ。そのほとんどは家の中――背景から察するにおそらくは8畳ほどの個室だろうか――であった。そして時折外で撮られた写真が混じる。それは先ほどの公園や、もしくは夜の街路であることもあった。全裸のものもあれば、上にコートを羽織って前をはだけたものもある。

 彼は左手でキーボードの矢印ボタンを操作し続けていた。右手は自然と、股間に伸びていた。彼はもはやそれを止める理性を持たなかった。

 そして、すべてが終わって、興奮の波が引いた後、罪悪感と嫌悪感に包まれるまで、5分とかからなかったのである。

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