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磯釣り。あるいは猫の小言。

作者: 日月明

 毎年の夏、じいちゃんの家に行くのが決まりで、ばあちゃんのスイカとじいちゃんとする釣りが楽しみで仕方がなかった。


 従妹は女ばっかりで、じいちゃん家にはゲームもなくて。父ちゃんは他の大人としゃべって酒飲んでしてるから、俺の遊び相手はもっぱらじいちゃんだった。


 じいちゃんは、俺を遊びに誘うときに、決まり文句があった


「おう誠也。じいちゃんのトラックの荷台乗るかぁ」


「乗る!」


「ほな、後ろで釣り竿飛んで行かんように抑えといてくれや」


「おっしゃ任せといて」


 ばあちゃんに「あんた、田舎やからって荷台に人乗せるのはあかんねんでえ」なんて、亀くらいのんびり言ってくる注意を無視して、じいちゃんは僕を荷台に乗せて海へと連れて行ってくれた。


 のんびり屋のばあちゃんが着物の着付けを教えているのも不思議だけれど、ケツに羽が生えているのかってくらい落ち着きのないじいちゃんとずっと一緒にいるのも、僕としては謎だった。


 全身に抱き着いてくるような夏の湿気を置いてけぼりにするじいちゃんの軽トラは、どんなジェットコースターよりも早く感じられたのを覚えている。


 今だからわかるけれど、実際は二十キロも出ていたかあやしいだろう。車通りもほとんどない田舎道を、二十分程度かけて海へと進む。小窓から見えるじいちゃんの運転している姿が、僕は大好きだった。


 じいちゃんはいつも、左耳に女物のピアスをしていた。じいちゃん曰く「ばあちゃんの為」だなんて言っていたけれど、ばあちゃんに聞くと「ただの自己満足だよ」なんて大根をおろす手を速めながら言っていた。


 父ちゃんにも聞いたけど、昔からしていたからそういうもんだと思っていたらしく、まっかな顔をして「そんなに変かぁ」なんて酒臭い息を吐いた。それ以来、聞いていない。


 僕は、じいちゃんのピアスも好きだったから。じいちゃんの耳元で光るピアスが、なんだかじいちゃんの男らしさを際立たせているように見えたから。


 そんなじいちゃんも、俺が中学一年の秋に死んじまった。八十になってすぐのことだった。棺桶に入るその時まで、じいちゃんはピアスを外さなかった。


「おう誠也。じいちゃんの軽トラの後ろ、おもろかったか」


「おもしろかったから、また乗せて」


「あほか。次は、お前の父ちゃんがお前の子供にしたる番や。誠也に孫ができたら、同じことしたったらええ。そういうもんやぞ」


 本当に病気なのかこのじいちゃんはってくらい、がははって笑いながら、僕の肩を叩いた。肩が外れるかと思った。それが、最後の会話だった。


 あれから、数年が過ぎ、俺は大学生になった。


「こら誠也! だらだらしてるだけなら、ちょっとはおばあちゃんのお手伝いしなさい」


「ええよお。学校の勉強で疲れてるんやろから、のんびりしときな」


 祖父ちゃんよりも五歳若いばあちゃんは、じいちゃんが残した家で着物の先生を続けている。一緒に住むかなんて話もあったけれど、ばあちゃんは「ここにはまだ生徒さんもおるし、じいちゃんこの家好きやったから」といって断った。


 普段物腰は柔らかいけれど、一度決めたら道端のお地蔵さんくらい動かないばあちゃんだってことは父ちゃんも母ちゃんも良く知っている。


 その代わりといってはなんだが、ばあちゃんに会う回数は増えたように思う。


「いいよばあちゃん。俺何か手伝うよ」


「そうかい。じゃあ、向こうの部屋から大皿出してきてくれるかい。一人じゃめったに使わないから、仕舞っちゃっててねえ」


「りょーかい」


 元父ちゃんの部屋。現物置部屋の扉を開ける。よく風通しをされているのだろう。予想していたホコリの臭いはなく、窓からさしこむ陽の匂いが心地よいくらいだった。


 大皿が入っているであろう戸棚の横に、懐かしいものが置いてあった。じいちゃんの釣り竿だ。


「はいばあちゃん。お皿。そんで、ちょっと釣り行きたいんだけど、じいちゃんの竿借りていいかな」


「ええけど、あんたもう夕方なるで?」


「大丈夫。すぐ帰るから」


 ばあちゃんは、昔よりすこしだけ笑い皺が増えた目尻を細めて「ほな、晩御飯に一品増えるの楽しみしてるわ」と言ってくれた。


 俺は、じいちゃんの釣り具セットを抱えて、父さんの車に乗った。去年とった車の免許は、よく活躍してくれる。


 じいちゃんの軽トラじゃないから、いくらスピードを出しても夏の気だるさは抱き着いたままだし、いつもの半分くらいの時間で海についた。


 浜辺を少し歩いていけば、堤防にたどり着く。そこが俺とじいちゃんの釣りスポットだ。昔は他に二組くらい釣りをしている人がいたけれど、今は俺しかいない。


 小学生の時に叩き込まれた釣り針の付け方は、身体が覚えていた。リールなんて上等なものはなくて、竿の先端に紐でくくりつけるだけの簡単なものだ。


 ばあちゃんにもらった食パンをちぎって針にくっつけて、海へ向かって投げる。そのままぼーっとしていれば、そのうち魚がくいつく。


 じいちゃんの、俺の足くらい太かった腕と、家の壁くらいでかかった背中を思い出す。たしか、こうしていたはずだ。


 音もなくおだやかに水と一緒に揺れる釣り糸は、退屈な夏休みを一層退屈にさせた。これなら、家にいてテレビでも見ながら、携帯をいじっていた方がよかっただろうか。


 釣り竿を引き上げる。くっつけたパンは、海に流れたのか魚に食われたのか、上がって来たのは銀色の細い針だけだった。


 もう一度パンをつけて、海へ放り投げる。じいちゃんみたいに、うまくいかない。


 海に垂らした糸が数回波に揺れたとき、すぐそばで、軽トラのエンジン音みたいな笑い声が聞こえた。粗野で、野太くて、でもなぜか好きになってしまう笑い声が。


「おう誠也。お前それじゃあいつまでも釣れへんぞ」


「わかってるよ」


 反射的に答えてしまったけれど、間違いなく死んだじいちゃんの声で。エンジンみたいな笑い声は、じいちゃんの声だった。


 成り立つ会話に驚きながらも、俺は周囲を見渡した。浜辺の方には地元の海水浴客が数人いるけれど、こっちには誰もいない。


 けれど、隣で確かに話かけてきた。俺の、左隣から確かに声がした。


「ここや、ここ。あんま長く話されへんから、はよ見つけ」


 やっぱり左だ。自分の左隣を確認する。猫が一匹。座っていた。切れ長の目をした、三毛猫だった。


「おう誠也。お前針の付け方覚えとったのに、魚の釣り方忘れたんかい」


 綺麗に足を畳んで座っているその猫は、間違いなくじいちゃんの声で話していた。


「じいちゃん。猫に生まれ変わったの」


「いや、ばあさん来てへんから生まれ変わりはまだ先やな。っていうか、もうちょいリアクション無いんか。『うわっ!』とか『ぎゃあっ!』とか」


「声が聞こえたときはびっくりした。でも、じいちゃんならやりそうかなって」


 俺の返答に、猫らしくない豪快な笑い方で答えた。その猫は、短く丸っこい可愛い腕(前足?)を器用に組むと、釣り竿の先を睨みつけた。


「それより誠也。その竿なんや。水にたらすだけで魚が釣れるかいな。パンふやけてしまいやぞ。ちょいちょいってせんかちょいちょいって」


 じいちゃんの声をした猫は、組んだ腕をほどいて手の先を細かく動かす。


「じゃあ、じいちゃんがやってみせてよ」


「あほ、この可愛らしい肉球でどないして竿握るねん」


 まだちょいちょいと動かしている毛むくじゃらを見る。たしかに、これでは無理そうだ。俺は一度釣り糸をあげて、パンをつけなおし、また海へと投げた。その後、竿の先をちょいちょいと動かす。


「まだじいちゃんの方がうまいけど、まあそんなもんやろ」


 満足げにうんうんとうなずく猫からは、じいちゃんのかつての貫禄が見えた。


「じいちゃん。俺のところ来てくれたのは嬉しいけど、なんでばあちゃんとか父ちゃんのとこじゃないん」


「ばあさんはこっち来た時にようさん話すからええねん。お前のとうちゃんは、生まれた時からようけ話してきたからな。大学生になった孫の話の方が、十分おもろそうや」


 がははっと笑うじいちゃん。海をじっと見つめるその姿は、猫の形をしていても、やっぱり俺の知っているじいちゃんだった。


「大学おもろいか」


「おもろいよ。わけわからん友達ばっかりで視野は広がるし、勉強も気になることだけ学べるから、効率良い気がするし。彼女はおるし。なんも困ってへんよ」


「その彼女とは、うまくいってへんみたいやけどな!」


 俺の動揺が竿に伝わり、竿の先が一層大きく跳ねる。その拍子に、針に付けていたパンが海へと落ちて行った。針をあげて、パンをつけなおし、海へと投げる。



 猫の方を見ると、犬歯を片方だけ見せて、目を細めてにやりと笑っていた。そして、指の爪を器用に使って左の鼻をほじっている。


 今まで半信半疑だったけれど、間違いなくこれはじいちゃんだ。俺と一緒にいたずらをしてくれた時の、してやったり顔が間違いなくじいちゃんだ。


「そんなこと言いに、わざわざここまで来たのかよ」


「あほか。ちゃんと見てるぞって教えにきたんやんけ。それに、お前くらいの歳の男が気にあるのは、だいたい女のことやろが」


 鼻から爪を抜いてがははっと笑うと、後ろ足で耳の裏をかいた。


「付き合ってまだ半年くらいやろ。お前が慌てすぎやねん」


「そうなんやろか」


 はたから見たら、猫に相談をする大学生という不思議な光景だろう。けれど俺の頭の中で、隣に座っているのはまちがいなくじいちゃんだった。


「男やねんから、どしっと構えたらんかい。惚れた女信用したるのも、男の器ってもんや。ほんで、二股とかなめたことされた時は、ばしっと振ったらええねん」


「じいちゃんらしいよ」


 釣り竿をちょいちょいとさせながら、俺は大きなため息をついた。


「女に臆病で自分に自信ないところは、誠一に似てもうたか。まあ、ばあさんも自分に自信ないタイプやったからなあ」


 誠一とは、俺の父ちゃんのことだ。


「まあでも、彼女も彼女やな。気を遣わんことと思いやりのないことの区別が、いまいちついてへん子やわ。あれは苦労するで」


「じいちゃんにあの子の何がわかるんなって言いたいけど、そうやと思う」


 先ほどよりもう一回り大きなため息をつくと、じいちゃんはまたがははっと笑った。


「惚れた女のこと言われて、多少なりとも腹立つうちは大丈夫やろ! 仲良うしようって意識をお互いに持ってたらええだけや」


 猫に、わき腹をポスポスと叩かれる。感触的には毛の柔らかさが伝わってくるのに、俺の鼻には、潮の匂いが混じったじいちゃんの匂いが届いた。


「おう、言うてる間に時間やわ。結局誠也はボウズやなあ」


 さっきの俺と同じくらい大きなため息をつくと、じいちゃんは四本脚で立ち上がった。


「こんな機会、またあるかわからんけど、聞いときたいことあらへんか」


 去り際のじいちゃんの問いかけに、俺は迷うことなく質問を繰り出した。


「なんで、ずっとピアスしとったん?」


「最後に聞くのがそんなことかいな」


 もう一度座りなおしたじいちゃんは、前足の爪でまた器用に鼻をほじる。


「ばあさんが、自分に自信ないタイプやった言うたやろ。せやから、ピアスしとってん」


 竿の先を揺らしながら俺は首をかしげ、無言で先を促した。


「俺らが若い時はな、ピアスなんかしてたら女にモテへんかったんや。女がするもんやったからな。その分、他の女が言いよってこやんし、俺から声かけたとてついてこやんやろ。それで、ばあさんは安心できる。安心してるか、本人に聞いたことないから多分やけどな」


 そう言って、じいさんはまたがははっと笑って立ち上がった。


「前にばあちゃんに聞いたら「自己満足や」って言うてたで」


「あほか。惚れた女の為を思ってすることなんか、ほとんどが自己満や。そのうちの少しでもホンマに女が喜んでくれたら、そんでええねん」


 大真面目な顔で、じいちゃんは言った。いつもそうだ。ばあちゃんのことになると、茶化したりしない人だ。照れて誤魔化すことはあるけれど。


 釣り糸を引き上げる。相変わらず、パンが付いていない針が上がってくるだけだ。どうやったら、もっとうまく魚が食いついてくれるのだろう。


「なあ――」


 隣を見たら、もうそこに猫はいなかった。じいちゃんの匂いも、しなくなっていた。


「ほんまに、何を言いに来たんやろ」


 あのじいちゃんなら、本気で俺と話しをしに来ただけなのかもしれない。


 銀色の釣り糸に、パンをもう一度つけて釣り糸を海に垂らす。竿の先をちょんちょんと揺らすことを忘れない。

 

 大きな海風が一陣吹いた。抱き着いていた夏の暑さが、風にあおられて俺の身体から飛んでいく。


 じいちゃんの軽トラの、荷台に乗っている時みたいに。光って揺れる波間が、じいちゃんのピアスを思い出させる。


 俺は、何事もなかったように、釣り竿の先をちょんちょんと揺らす。


 その日は、日が半分沈んで帰るまで結局ボウズだった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

八日郎さん(https://mypage.syosetu.com/1258222/)

の方でも、僕が出したお題の短編が載っています。

そちらも合わせて読んでみてください。


それでは。

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