恩師とも言える先生たちとの出会い
学校では行事があったが、意欲は一切無かったので出ることは基本的には無かった。中にはほぼ強制参加のように声をかけられて、渋々参加した行事もあった。
そうして、2年生も半分を過ぎた頃の進路相談までは過ごしていた。
しかし、そんな生活を変えようと思えるほどのきっかけを当時の担任がくれたのだ。
ほぼ毎日のようにプリントを持っては学年主任と家に訪れ、予定を教えてくれたのだ。部活は運動部という体育会系の先生で苦手意識があったのだが、その熱心に通いに来てくれたことには感謝しかない。予定がわからないというのも私にとっては恐怖だったからだ。
進路相談では、熱心に「ここの学校はこうで、この学校はこういうことがあるんだよ。」と色々と教えてくれた。更に本当は忘れてはいけないのだろうが私が定時制だろうと学校に行くという決意をさせてくれた言葉をかけてくれたのもこの担任だった。だから、本当に感謝しかない。
3年生になり、いよいよ本格的に受験に向けての準備が始まった。この時の担任は、おおらかだが叱る時は叱るという先生だった。私がなかなか学校に行けなくても「ゆっくり、自分のペースでおいで」と声をかけて見守ってくれる優しい先生だった。すごく気が楽だった。私を強制的に学校に連れてこようとする養護教諭よりもずっと安心した。この担任のおかげで私は、少しずつだが学校へと通えるようになった。面接指導の時が一番辛かった記憶がある。人と…主に男性と顔を合わせるとお父さんを思い出してしまい、酷く緊張した。顔を合わせることが酷く怖かった。それでも両手くらいで数えられる回数の中で何とか大丈夫になった。
そして、受験へと挑んだ。今でも覚えている。国語のテストは漢字以外がほぼ真っ白、数学に至っては書ける問題が無く、適当に解いた1、2問以外は真っ白。花粉症の影響もあり、わからなくなった途端、机に突っ伏して寝ていた。面接は、やはり酷く緊張した。誰が居て、どんな内容を話したかは覚えていない。ただ、唯一覚えているのは「何を使って学校へ来たか」と「学校周辺の通りの説明」だったと思う。意外と利用する道でそれだけはスムーズに答えていた記憶がある。それでも頑張って、乗り切った。
中学の思い出として語れるのは、体育大会のみかもしれない。3年で応援合戦くらいしか参加してなかったのに優勝をしてくれたクラスメイトは今でも誇りだ。文化発表会は記憶に無い。多分、1年は参加しただろうが、何も覚えていない。そのくらい行事に参加をしていなかった。
学校生活の思い出は、別室に居た先輩2人とは仲良くなって、別室に初めて訪問した時から先輩の卒業まで本当に仲良くしてもらっていたことかな。1人の先輩からもらった誕生日プレゼントの栞と卒業する前に先輩を忘れたくないからということで描いてもらったイラストは宝物だ。




