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まぎれた烏

「甘草は字の通り、甘味を持つ。手っ取り早く味がつくので、安価な茶や菓子によく使われる」


 これを聞いて、あっ、という声がそこここからあがった。皆が忘れていた情報を、にわかに思い出した様子だ。


「そう、余暉の趣味である」

「菓子の……買い食い」

「そう。薬を飲んだ人間は他にもいたが、そんな無茶をやった者は他にいない。そこが、運命の分かれ目だった」


 ただでさえ甘草の成分が体にたまっていたところへ、買い食いによる追加があった。たまった成分が限界をこえ、とうとう余暉ヨキの体が耐えきれなくなった。これが事件の真相である。


 ここまで天霧が話すと、伊吹が割って入った。


「……全て状況証拠です。僕がやったという証拠はない。それに、翠玉フェイツェ様はどうなのですか。この方なら隙をみて、薬をすりかえられたのでは」

「バカなことを言うなっ」


 いきなり非難された翠玉が、目をつり上げる。天霧は、首を横にふってみせた。


「それは無理だ。余暉よきと翠玉は、明らかに仲が悪かった。自分が部屋にいないときは、決して翠玉を入れるなと、言いつけられていなかったか?」


 天霧は流真に聞く。彼はうなずいた。


「ああ、その通りだよ。がみがみうるさい男に、弱み摑まれちゃたまらないって、余暉様はいつも言ってた」


 無実を論証してもらった翠玉は、安心したように口ひげをしごいた。逆に、伊吹は置いて行かれてますます青くなる。


「僕じゃない。薬の処方が違うのは、間違えただけだ」


 ようやく絞り出した蚊の鳴くような声で、伊吹イブキが言った。天霧あまぎりはゆっくり彼に向き直る。


「そうかもしれない。しかし甘草を使った薬を飲んでいることは知っていた。それならなぜ、彼が暴飲暴食した時に黙って見ていた? 甘草が体内で蓄積する可能性に思い当たらなかった? そんなはずはない」

「それは──」


 伊吹は怒鳴りかけて、ふっと口をつぐんだ。彼の視線の先には、怯えた顔をした春朝しゅんちょうがいる。


「伊吹さん……」

「違う、違うよ。そんな目で見ないでくれ!」


 慌てる伊吹に向かって、天霧は大鉈を振り下ろす。


「春朝さんは、今まであんたの無実を信じていた。しかし、その表情を見て考えが変わった。幼馴染みには、微妙な機微が分かってしまうんだろう。それが証拠では駄目か」

「……そんな」

「同情する余地があるのはわかっている。素直に話してもらったほうが、後々のためになると思うが」


 伊吹が、麻痺したように動きを止めた。動かない彼の服を、春朝がつかむ。そして彼女がすすり泣く声が聞こえてきた。


「……確かに、僕は薬に細工し、自分の仕事を放棄しました。余暉に死んでほしかったから」


 伊吹が口を動かす。素朴な顔に、ありありと憎しみが浮かんでいた。負の感情は一旦表に出ると、堰を切ったように彼の中から溢れ出てきた。


「僕は余暉に、弱みを握られていました。過去に一人で調合をしていた時、処方を間違えて老人を死なせてしまったことがあったんです」


 単純な計算間違いで、薬の量が十倍になっていたのだという。それは、代謝の悪い老人にとっては、致命的だ。


「ただ、薬によって起こった副作用症状が、以前から老人が起こしていた発作に似ていたんです」


 そのため、家族も医者も老人の死を不審がっていなかった。知っているのは自分だけ、という非常に苦しい立場に伊吹は追いやられたのである。


「今思えば、その時に声をあげておくべきでした。でも当時は、ばれなければいいと思ってしまったんです」


 誰も疑っていない。自分がさっさと帳簿を書きかえておけば、分かるはずがない。こう信じていた伊吹だったが、三年前に余暉が現れて状況が一変する。


「通常より十倍も多く薬を使ってしまっていたので、いつもより早く買い足さざるを得ませんでした。その記録を、余暉がどこからか見つけてきたんです」


 帳簿の齟齬を指摘されると、伊吹は手も足も出なかった。全てを告白し、泣いて詫びる伊吹に対し、余暉はこう言ったという。


『勝手なことを言うな。後悔してるだと? 事故のあと、すぐに申し出たならともかく……今さら言っても、誰が信じるものか』

『確実に悪意ありだと判断されて、首をはねられるだろうな』

『ただし俺に力を貸すなら、このことは誰にも言わないでおいてやる』


 力関係はその時点で決まっていた。伊吹はその提案をのむしかなかった。以降、まともな賃金もない状態で、危険な海をつれ回されることになる。


「……辛かった。自分のせいだとわかっていても、余暉が憎い。無休で使い尽くされて、いよいよ弱ってきたら海に捨てられるのは目に見えていた」


 しかしそれでも、伊吹は耐えるつもりでいた。元はといえば、余暉に脅迫されるようなことをした自分が悪いのだと、罪の意識を抱いていたからだ。そうやって過ごした三年間は、地獄のように長かったという。


「選んだのは自分です。どうしようもない。一生、我慢するつもりでした。……でも僕は偶然、生まれた町に帰ってきてしまった」

「そしてそこで、春朝さんに会った」


 天霧が言う。伊吹の目に、みるみる涙が浮かび、うなずいた。


「望んではいけないと、ずっと思ってきました。でも、もう押さえきれない。彼女と一緒に暮らしたかった。あの男から、どうしても自由になりたかった」


 夢を見てしまった。その一途な思いは膨らみ続け、やがて怒りの炎を経て殺意へと転じた。己の手で未来をつかもうと、彼は動き始めたのだ。


 全てを吐き出してしまった伊吹は、膝から地面に崩れ落ちた。春朝の目は、涙で潤んでいる。天霧は、そんな彼らから目をそらす。


「過去の隠蔽は犯罪だが、事実を盾にとって他人を脅迫するのもまた犯罪。それに」


 天霧が、二度続けてまばたきをする。空気が震えた。次の瞬間、船室内を、銀色の直線がかすめた。


 どどっと音をたてて、何本もの短刀が壁に突き刺さった。さっきまで、泰楊タイヤンが立っていたところだった。狙いは正確、普通の人間なら間違いなく絶命する連撃だった。


 しかしそこに、串刺しになっている人間の姿はない。不意打ちは決まらなかった。


「外した!」

「探せ!」


 物陰に潜んでいた兵たちが、姿を現す。まだ攻める機会は残っていた。天霧は舌打ちしたいのをこらえ、人混みの中に泰楊を探す。


「お兄さん、ちょい狙いが悪いよ。やっぱり根は文官なんだねえ」


 外から、人を小馬鹿にした台詞が聞こえてくる。その響きは遠かった。


「こっちだよ」


 誘われて、天霧は声の方を見る。泰楊が、見張りの兵をことごとく倒していた。横たわった兵たちは、全て痛みで顔を歪め、くの字に体を折ってうめいている。出血はしていないが、内臓をやられているかもしれない。


 そして今は自分より大きな兵を人質にとって、薄笑いを浮かべている。


「お前は黒い烏の一員だな。贈り物を受け取ってはくれないのか」

「お兄さん、皮肉きついなあ。しかし、よく見破ったね。見抜いた褒美に、兵士たちは殺しちゃいない」


 泰楊は狂気じみた空気をまとっている。今までの健気なかわいらしさは、夢だったかのような変わり様だ。こちらが本性とみて間違いない。武将として名が知れていなくとも、強者はいくらでもいるのだと天霧は思い知る。


「僕なりに頑張って、気のつくかわいい子を演じてたのに。どこで気づいたの?」


 泰楊はそう言って笑った。天霧はじっと、彼の様子をうかがう。どこかに隙を作れれば、兵たちが攻めにかかれる。


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