街角の小町
「いかがでしたか」
「色々、面白いことが分かったぞ」
天霧は、まず伊吹から聞いた話を打ち明けた。
「それは、かなりの偏食ですね。いい大人が」
「しかし手がかりだ。余暉はちょっとした味の変化もすぐに見抜いただろう。そうなると彼にばれないような毒を使うしかないが……」
「難しいですねえ」
紫苑は頭を抱える。しかし、枸橘は口元に笑みを浮かべた。
「当たりはつきました」
「なんだ。今、教えようと思っていたところなのに」
「あれが入った薬を飲んで、しかも甘い物好き──となれば、すぐに想像がつきます」
彼女の言う通りだった。せがむ紫苑に正解を教えてから、天霧は背筋を伸ばす。
「後は裏をとるだけだな。こっちについては片付いた」
天霧が含みを持たせて言う。枸橘の顔つきが引きしまり、紫苑が怯えた。
「烏、ですか」
「黒のな」
天霧が吐き捨てる。ぴりっとしたものが、空気に混じった。
「兵は?」
「危険な状況なのですでに呼んであります。ですが、下手に見せると烏の方がこなくなりますよ」
天霧はふと、建物越しに見える海をにらんだ。
「わかっている。あくまで余暉の死亡を追っているふりをし、奴が油断したところで尻尾をつかむしかないな」
「かしこまりました……と言っても、もうほとんどやることもないと思いますが」
「最後に一人、会っておきたい人がいる」
天霧は腕を組み、そう言って宙をにらんだ。
☆☆☆
「……ここか」
伊吹からは名前しか聞き出せなかった。再度聞いても絶対に教えてくれないだろうから、天霧はだいぶ回りくどいやり方を使った。ありとあらゆる外野から情報をかき集めて、ようやく春朝──伊吹の友人の居場所をつかんだのだ。
彼女の家は、薬売りだった。港から歩いて四半刻ほどの問屋街の中にあり、こぢんまりとした店にはきりっとした紺色の暖簾がかかっている。天霧たちが中に入ってみると、ちょうど医師の書き付けがきたところらしく、調合師たちが忙しく立ち働いていた。
「あの方でしょうか」
中をうかがっていた紫苑が、天霧にささやいた。
紫苑の視線の先。髪が鉢の中に入るのを防ぐために、緋色の布をぐるりと頭に巻き付けた若い女性がいる。化粧っけは少しもないが、一心に働く姿には健康的な魅力があった。
「おそらくな」
天霧は口をつぐみ、待合から他の客がいなくなるのを待った。一刻も待つと、待合は閑散としてくる。
「先生の処方書はお持ちですか?」
最後まで残っていた天霧たちに、小僧が声をかけてくる。天霧は身分を明かし、主人に面会を頼んだ。
「主の春朝です。うちの薬が何か……」
心配でたまらない、という顔で女性が出てくる。天霧はかぶりを振った。
「いや、そういうことではない。昨日、伊吹という男を訪ねただろう。その船で事件があって、調べている」
春朝は伊吹の名を聞くなり、より不安の色を濃くして手を胸の前でふらふらと彷徨わせた。そしてそれに気付くと、取り繕おうとする。
「ええ、確かに行きましたが」
「彼から来てくれと連絡があったのか?」
「いいえ……たまたま知り合いが見かけて。ほら、彼って少し……」
「個性的な顔立ちですね」
「ふふ。子供の頃からああだから、見る人が見ればすぐわかるんですよ」
春朝はふと遠くを見た。
「……彼は、優しかった。草花のことも、色々教えてくれて」
彼がいたから、結果的に薬の道へ進んだのかもしれない。春朝は少し照れながらそう語った。
「うちね、この前二人も慣れた人がやめちゃって、人手不足なんです。冗談めかして『手伝ってくれない?』って言ってみたんですけど」
春朝は不意にうつむいた。今までと違って、目に悲しみが浮かんでいる。
「断られた?」
「……いえ。歯切れ悪く『やりたいんだけど、返事は少し待ってくれ』って。大きな船に乗っているから、抜けるには主の許可がないとって」
最後にこぼれた声には、愚痴の色が混じっていた。
「それは容易なことではありませんよ。航海中に勝手を知っている者を手放すというのは、合理的ではない」
「ですよね。きっと彼も、分かっていたと思います。はっきり言わなかったけど、伝わってきました。次に会う約束もしませんでしたし」
そこまで吐き出すと、彼女は天霧を見つめた。
「夢ばかり見てちゃ、ダメですね。ごめんなさい、関係ない話をして」
今にも泣き出しそうな表情の春朝。彼女が伊吹にどれだけの思いを抱いているかは容易に知れた。苦手な場面ではあったが、天霧はできるだけ優しく話しかけた。
「昔過ごした時間は、それだけ楽しかったということだろう。それはきっとあなただけでなく、彼にとっても」
春朝は軽く鼻をすすった。
「わざわざ自分が作った薬を渡すくらいだからな」
天霧が薬のことを口にすると、彼女はようやく笑顔をみせた。
「そうですね。時々足がつると言ったら、よく効くからと」
「他に何か言われたか?」
「いえ。これでも本職ですし、くどくど伝えなくてもと思ったんでしょう」
「まだその薬があれば、見せてもらいたいのだが」
「いいですよ」
春朝は奥へ行き、薬袋を持ってきた。天霧は開けてみる。中に刻んだ生薬が入っていたが、中身は余暉のと同じ。変なものは入っていなかった。
「飲んでみた感想は?」
「とってもよく効くから、助かってます」
「気分が悪くなったりしたことは?」
「──もしかして、彼が私に何かしたとでも?」
天霧が確認しようとすると、春朝の両目がつり上がった。狐のような形相を見て、天霧は首を横に振る。
「変な意味に聞こえたら申し訳ない。初めての薬を飲む時は、万が一ということもあるから」
天霧は改めて下手に出る。春朝はまだ嫌そうな顔をしながらも、うなずいた。
「ならいいですけど。彼は、絶対に人に毒を盛るような人じゃありません」
「ではこれで。……長々とお邪魔して、失礼した」
天霧たちは、そろって彼女に礼をする。そして大通りまで逃げ出してきた。