故人の為人
「していません。そもそも、薬はひと月分まとめて作って分けるので。今回は在庫を取り出しただけです」
「ずいぶん大量に作るんだな」
「薬を正確に配るだけでも気を遣うので……調合はまとめてやってしまわないと」
伊吹は不調法が知られたのを恥じたのか、苦笑してみせた。
「主人はそれに文句を言わなかったのか? 古くなるとか」
「いいえ」
「自分のものなのに、さしてこだわりはなかったと。部屋の装飾なんかは、ずいぶん凝っているのに」
天霧が顔を上げて周囲を見ながら言うと、伊吹は眉を八の字にした。
「他人に見えるところを飾るのはお好きなんですが、それ以外となると気にされなくてね。食生活については翠玉様から聞かれましたか?」
「ああ」
誰が聞いているわけでもないのに、伊吹は前屈みになった。
「万事あんな感じですよ」
「甘い物がとても好きとか」
「そうです。両手に菓子を握っている様は子供のようでしたね。反面、苦味にはとても敏感で……少しでも味が気に入らないと、皿ごと取り替えるなんてのはしょっちゅうです」
「毒殺には不向きな奴だな」
伊吹はうなずいた。
「ええ。毒で味が変われば、すぐ気付いたはずですよ。完全に味のない毒、なんてのはないんでしょう?」
「まだ全ての薬を把握しているわけではないが、ないとなれば極めて少ないと言えるだろう」
「だったら、自然に亡くなったんじゃないでしょうか……同じ薬を飲んでいる人で、目立って体調を崩した例もありませんし」
「その方たちの名前を教えてもらいたい」
伊吹は一瞬迷惑そうな顔をしたが、すぐに引っ込めた。
「分かりました、何か書くものを」
天霧の差し出した紙面に、五名の名前が連なった。天霧は一通り眺めてから、口を開く。
「お友達というのは、この中に入っているのか?」
天霧が問うと、伊吹はひっと声を漏らした。明確に肩が震える。
「入っていません。……でも、彼女は余暉様に会ったこともないので、外してください。ね」
伊吹は天霧がいいと言う前に、話をねじ曲げようとしていた。今までおどおどしていた彼にはない不躾な態度に、天霧は驚く。
そこまで大事な人だったか。天霧は苦笑しながら、伊吹の手を押しとどめた。
「いや、書いてもらう。書いたら次と交代しろ」
怯えた様子の伊吹に圧をかけて、名を書かせる。まだ後ろ髪を引かれている様子の伊吹を、天霧は無理矢理部屋から追い出した。
最後に入ってきたのは、余暉の護衛役である。頭が天井すれすれの大男だった。尋唯を一回り大きくして日焼けさせ、目力を持たせた感じである。茶色の髪は長く獅子のようで、夜道で出くわしたらほとんどの者が逃げ帰るだろう。
彼が座ると、頑丈なはずの座椅子がみしっと音をたてた。男はにやりと笑い、口元から赤い舌をのぞかせる。
「流真だ」
役人がなんぼのもんじゃい、勝負してやるぞ、という反骨心が丸出しだ。天霧が背だけ高くて細身だから、余計になめられているのかもしれないが。
「護衛はたくさんいたようだが、あんたが特に重用されていたようだな」
「そうだな。他の奴らは部屋や船付きだったが、俺は連れ回されていた。警備の腕を買ってくれていたんだろう」
「余暉について、知っていることを話してくれ」
「色々言う奴もいるが、土壇場の度胸と勘は大したものだった。ま、俺が同行しているからかもしれんが」
「その詳細が知りたい。恨みを持つ相手が見つかるかもしれないからな」
「俺は、奴が会った相手の名前なんて覚えてない。向かってきた奴をぶちのめすだけだ」
天霧は奇異なものを見る目で流真を見つめた。
「……無駄だとわかりつつ聞くが、これ以外の帳簿を見たことは?」
天霧は、見つかった帳簿をまとめて見せる。流真はあからさまに顔を背けた。
「知るか、そんなの」
「ちらっとでも見ただろう」
「覚えてないよ」
流真はあくまで強情だった。
「なら、余暉の薬について……」
「そんなもん、調合師に聞け。変な葉っぱのことなんて俺は興味ない」
にべもないとはこのことだ。興味ないか覚えてないことしかないようなふるまいに、天霧は頭が痛くなってきた。
「じゃあ、余暉様が遊郭に行ったときの話でもしようか。護衛なら、当然ついていっただろう」
精一杯歩み寄ってみる。ここでようやく、流真がうなずいた。
「ああ。ただ、余暉も遊びはしてないぜ。宿の主の様子を見に行っただけだ」
「何故そんなことを?」
「お前に言う義理はねえ」
「言え」
天霧は笑顔のまま、流真に殺気をぶつける。相手も目を三角にしてにらみ返してきたが、それに正面から立ち向かった。
「……ちっ」
ある程度は骨のあるやつ、と認めてくれたのだろうか。流真の方から視線をそらしてきた。
「泰楊が、やけに遊女に絡んでたんだよ。まだガキだが、遊女になんかあったと難癖つけられたら困るだろ? だから先手を打って様子を見に行くって、俺の報告を聞いた余暉様が言ったんだ」
バカでもさすがに、仲間の名前は覚えているらしい。
「泰楊が……」
「邪推すんなよ。絡むっても、頭を撫でてもらったり抱っこしてもらって楽しそうにしてるだけだ。だが、真面目なあいつがそんなことをするのは珍しい。過去に遊女絡みで何かあったかもしれんな」
天霧は腕組みをして、情報を整理していた。
「翠玉は知っているのか?」
「言わねえよ。面倒なだけだからな。あの真面目男、使用人が遊郭にって聞いただけで引きつけ起こすぜ」
天霧はここまで聞いてうなずいた。
「これですっきりした。もう帰って結構」
「ずいぶんあっさりしてるな。ま、いいか」
流真は音高く椅子を蹴り上げるようにして雑に立ち、入り口の戸に手をかけた。その瞬間を見計らって、天霧は言葉を発する。
「ああ、そうそう。最近、主から妙に回りくどい手紙をもらわなかったか?」
「ささああ」
動揺しすぎて声が二重になっている。振り上げた拳の行き場がなく、足が震えていた。不審者と化した流真に、天霧はさらにたたみかけた。
「あんた、さっきから瞳孔が開きっぱなしだ。神経を高ぶらせるために、よくない薬に手を出しているのを嗅ぎつけられたんだろう」
「う……」
呆然としている流真に、天霧は冷たい声でとどめを刺した。
「即刻やめろ。取り返しのつかないことになるぞ」
天霧が口をつぐむと、流真はあたふたと部屋を出ていった。これ以上質問されるのを避けるためだろう。
「……ふうん」
一人になった天霧は、少し考えをまとめる。そして外に出て枸橘と紫苑を見つけると、そちらに近づいていった。