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絶対と言えばそれは罠

「計画通りにやったんだ。何度も練習したんだ。やり過ぎになんてなるはずなかった」


 顔を真っ赤にしている後輩に向かって、年かさの兵はややどもりながら尋ねた。


「……わかったよ。しかし、なんでそこまでする」

「当たり前だろう。守宮しゅきゅう様が目を光らせるまでは、あんたら中隊長がやりたい放題だったんだからな」

「なんだと?」

「好きなときに下級兵を殴る蹴る、手柄は全部自分のおかげで失敗は全部こっちのせい。俺たちはいつまでたっても這い上がれやしない。胸に手を当てて、今までの行動を思い出してみたらどうだ」


 嫌味をぶつけられて、先輩の兵士は面白くなさそうな顔をし、鼻を鳴らした。これも後で、再調査しなければ。天霧あまぎりがそう考えているとも知らず、呑気な年寄り連中である。


 軽く髪を整えてから、天霧はまた話し出した。


「失敗するはずがないと言ったな。はじめてなのに大した自信じゃないか」

「それは」

「もう吐いてしまえ。どの道お前だけじゃ、投与量の計算どころか毒の入手すら不可能だ。下手にもがくと、傷が大きくなるだけだぞ」


 天霧は、よく得体が知れないと言われる自分の顔面を最大限利用してつめ寄った。


「う……」

「本当に守宮様を殺すつもりはなかったんだな」

「もちろんだっ」

「なら、お前は信じていた相手にはめられたことになる」


 天霧が言うと、兵士はぎゅっと両の目をつぶった。


「教えてくれ。本当の首謀者──白い烏の本体に辿り着く道は、そこしかないんだ」


 天霧がたたみかけると、兵士は前屈みになって低く唸った。彼の目に、うっすら涙が浮かぶ。


「……あんたの部下だと、思ったんだ」

「なに?」

「黒衣に銀の刺繍。その姿の若い男が、いきなりやってきた」


 その男は語った。実は、守宮の立場は相当悪いのだと。このままだと、もっと条件が厳しい刑場へ移されるかもしれないと。


「そんなのは無茶だ、と俺が言ったら……」


 ひとつだけ、すぐに状況を逆転できる方法がある。男はそう切り出したのだ。


「死ぬことはない毒だって。用量さえ間違えなければ、絶対に大丈夫だって」


 もちろん、兵士もはじめは断った。しかし、待っていても真相が解明される気配はいっこうにない。


「俺も、待ちくたびれていたんです。その時、あいつが」

「何かとどめを刺したわけだな」


 天霧が言うと、兵士は何故か口ごもった。


「同僚の天霧という毒殺官が、磔刑を提案していると」

「俺か」

「とてもとても非情な男で、今回の件でも強硬な態度を崩さない。このままでは、そいつが全てを決めてしまう……」

「……続きは?」

「あの、これは俺が言い出したことじゃないですからね」

「分かってるよ」


 天霧はぶっきらぼうに言った。顔が怖くなっている自覚はあったので、無理矢理もみほぐす。


「それで観念して踏み切ったわけか。処刑を遅らせようとして。度胸があるな」

「いえ、やっぱり俺は凡人で、臆病なんです……びくびくして体が思うように動かなくて、危うく薬の瓶を割りそうになったこともあります」


 茶色の硝子瓶に入っていた、白い粉末。守宮に万が一のことがあったら、と思った彼は、とうとう試しにその薬を飲みさえしたという。


「薬は多めにもらってましたから。でも本当に、腹の具合が悪くなっただけでした。誰も、怪しみませんでしたし」

「なるほど。それなのに、本番では違う結果になったと」

「本当に、なんでこんなひどいことになったのか分からないんです……」

「薬を見せてもらおうか」


 天霧が言うと、兵士は素直に席を立った。彼についていくと、四人部屋に通される。余計な家具はなく、さっぱりとした光景だ。男所帯なのに、塵一つ落ちていないのは流石軍隊である。


「あの棚が、俺のです」


 兵士は部屋左奥の棚を指さした。似たような扉付きの棚が横に四つ並んでおり、その右端である。許可を得て天霧が棚の私物をかき分けると、ぽつんと蓋付きの硝子瓶が見える。大きさは、天霧の中指くらいだろうか。


「もっと隠した方が……」

「最初は奥に入れてたんですが、面倒くさくなってつい」

「あのな」


 天霧は苦虫を噛みながら、下の引き出しを指さした。


「不安ならこっちに入れればいいじゃないか。ここに鍵は?」

「ないんですよ。たまに上官が点検にくるので」

「……この瓶、よく見つからなかったな」


 天霧は嘆息しながら、小瓶を手に取った。それをくるくる回しているうちに、ふと違和感を抱く。そして、床をじっと見た。しっかりした硬い木床で、敷物もなにもない。


「妙だな。お前、瓶を壊しかけたことがあると言ったな」

「はい」

「この床に落としたということか?」


 天霧が聞くと、兵士はうなずいた。


「はい。派手にこつんって音がしました」

「どこか傷つかなかったか?」

「確か、蓋がちょっと欠けました。瓶は無事でしたけど」


 天霧はそれを聞いた瞬間、眉を八の字にした。胸に苦い思いが広がっていく。


「だが、この瓶にはどこにも傷がない」

「そんなはずは」


 兵士が身を乗り出す。天霧は彼の目の前で、瓶を一回転させてみせた。


「本当だ……」


 彼にも、何が起こったか飲み込めてきたようだ。ぽかんと突っ立った姿勢のままだが、次第に手足が硬直していく。


「と、いうことは」

「君が薬を飲んだ時の瓶と、今のは違う。すり替えられたということだ」


 兵士が指示を守って投与すれば、確実に守宮が死ぬような毒に変えてあったのだろう。彼は運が良かった。すり替えられた後なら、腹を壊す程度では済まず、自分が死んでいたからだ。


「誰が、こんなこと」


 得体の知れないものが忍び寄っている恐怖に、兵士が震えだした。天霧は憤りを感じながら、周囲の官を見やる。


「この部屋に入れたのは、誰だ。全て洗い出せ。姿を消している者がいたら、そいつが一番怪しい」

「はっ」


 一気に周りの動きが慌ただしくなった。天霧は腕組みをしながら、それをじっと見ている。


 手を着けるのが遅すぎた。十中八九、犯人はすでに姿を消している。目的が達成された以上、グズグズしていては怪しまれるだけだ。問題は、どこへ消えたかということだが……。


 それを考えた時、天霧の背中を冷たいものが通り抜けた。


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