若き烏
「月下。今のところ、毒殺官たちはどう動いていますか」
紫丁が声をかけると、若者の口元が一瞬への字になった。だが、再度目をやった時にはほがらかな笑顔に戻っている。
「調査を始めたようですが、やはり毒殺刑にはならなそうですね。彼らの基準は厳しすぎる」
「分かっていたことですがね。だから、私は白い烏を作ったのですよ」
紫丁が言うと、月下はうなずいた。
「彼らは規律を盾にして、人民を愛していない。紫丁様は、常々そうおっしゃっていましたね。私もそう思います」
月下の口調には、わずかに見下すような響きが混じっている。だが、本人はそれに気付いていない。
「今回、軍のやったことは、なかなか理解されないでしょうね。冷徹な官吏には」
紫丁が話を合わせてやると、月下は我が意を得たりと胸を張った。
「ええ。中には中の事情があるのです」
紫丁も月下も、今回何があったかは全て把握している。軍人は外部に対して口が重いが、一旦懐に入ると結構あっさり打ち明けてくれるものだ。
「あまりに喋ってくれるので、こちらが心配になったくらいです」
「想像以上に、真実をただ抱え込むというのは負荷がかかるものですよ」
いくら軍紀で制限をかけても、吐き出してしまいたいという欲は徐々に大きくなっていく。溢れさせてしまえば、後は楽なものだ。
「本来は仲間に助けを求めたいのに、官吏に言ったが最後。厳罰にされるのは確実ですからね。理不尽だと思いますが」
そもそも紫丁には、不思議に思えて仕方ない。自分達の心の中にも確実に黒いものを抱え、決して清いとは言えない生活を送っている人間たちが、罪を犯した同胞に向かって罵声を飛ばすのは何故だろう。
「ええ。彼らはすでに自らの身を削ったのですからね。この件は、必ず成功させてみせますよ」
月下が鼻息を荒くする。紫丁はそれを見て、わずかに皮肉のこもった笑みを浮かべた。
「で、具体的には何を?」
「御三家を動かします」
「ほう、大きく出ましたね」
「今回は将軍が動いていますから。これくらいでなければ、流れを変えられないでしょう」
将軍は、代々一つの家系から、男子が選ばれてなるものだ。しかし不幸にも男児が生まれなかったり、若くして亡くなってしまうこともある。そんな時は、直系の兄弟たちが作った分家から養子をとってしのぐ。その分家三つを、御三家と呼ぶのだ。
彼らには、将軍であっても敬意を払わなければならない。いざというときに、「うちは知りません。養子なんか出せませんよ」と言われても困るからである。
「今の将軍も、御三家から出た人物。しかしその時は相当もめました」
自分達の子供が将軍になれば、確実におこぼれが降ってくる。よって、養子を出すときには御三家は必ず争い、勝者と敗者が生まれる。
「負けた方は将軍を恨んでいますから、我々が近づけば興味を示すでしょう」
「逆に食われないように、気を付けて」
「大丈夫です。お任せください」
月下は胸を張り、足音高く部屋から出ていった。扉が閉まると同時に、また武者返しから声がかかる。
「御三家に殺されてくれれば楽なのにな」
「本心はしまっておいた方がいいぞ」
と言いつつ、紫丁はそれ以上制止の言葉を吐かない。石蕗も心得たもので、声に笑いが混じった。
「お前だってそう思ってるだろ」
「実現性の低い望みを述べても仕方ない。負けた家は意地でも現将軍にケチをつけたい、そのためなら白でも黒でも歓迎でしょう」
商売でも契約でも、相手がそれを欲しがっているほど売り手は楽になる。御三家であっても、失敗はしないだろう。
「裏工作はそれでいいとして……実行部分はどうするつもりかね」
「さあね。しかし御三家の説得が終われば、すぐ決行するでしょう。問題は、毒殺官たちがその前に真相をつかむ可能性があること」
「ま、それに関しちゃ大丈夫じゃねえか」
石蕗は明るい声を出し──それから不意に、ぞっとするような冷たい声になった。
「後ろ暗くない証人は、全員墓の中だからよ」
☆☆☆
「これは、ひどいな」
道の途中で車を止めて、天霧は小さくつぶやいた。緑の山、その腹部分がずるりと剥がれ、だらしなく下へ滑り落ちている。まるで巨人の大きな手が、ひっかいたようだ。
砦から最も近い村は、今や見る影もなかった。
「土砂の片付けだけでも、大仕事ですわ」
ため息をつく竜馬の官に向かって、枸橘が聞いた。
「なぜここまで被害が大きくなってしまったのでしょう」




