最後の抵抗
刀侍はじっと腕を組み、考えを巡らせていた。そして不意に、果実の皮が裂けるように白い歯をむき出しにする。月光に照らされた彼は、狂気の申し子のようだった。
「……いいだろう。若造の分際で、よくここまで辿り着いた」
「お褒めいただき光栄」
天霧は皮肉を言ったのだが、刀侍は意に介さなかった。
「私は罪を認める。何もかも分かってしまったのだし、大事な孫も失ってこれ以上生きる望みもない」
刀侍はそう言って大きく両腕を開いた。
「だが、一つだけ望みがある。聞いてくれるか?」
「言え」
「私を毒殺刑にしてくれ。何もかもしくじった無様な年寄りだが、家の看板だけは守りたい。あれは、長年かけて作り上げてきたものだ。残された家族や使用人たちが、心ない批難を受けることだけは避けたい」
天霧は、それを聞いて目を伏せる。
「処刑されても毒殺なら、なんとか周りに言い訳が立つ。老い先短い爺に情けをかけると思って、ここはどうか口利きを」
「なるほど。涙をそそる理由じゃないか。──あまりにも馬鹿馬鹿しくて」
天霧が鋭く言い放つ。刀侍は口を「あ」の形に開けたまま、固まった。それを見ながら、天霧は怒りに体を震わせる。
「あんたの立場なら、粘り強く交渉すればもっと穏便なやり方で解決することもできたはず。だがその時間を惜しんだ」
邪魔者は、一刻も早く排除したい。跡形もなく叩き潰したい。そうでなくては、安心できない。
「そういう目的達成に対する『飢え』のようなものを、写真を見たときから感じてたよ。これでも、それなりに罪人を見ているもので」
天霧は刀侍をにらんだ。
「毒殺刑? 人を食い物にしておいて、図々しい。脳味噌の髄まで甘い貴様とお仲間には、重い罰が下るだろうよ」
「ははっ……」
天霧の言葉を聞いた刀侍は高笑いして、大きく手をたたいた。その途端、黒い服をまとった男たちが岩陰から何人も出てくる。彼らの全身から、殺気が立ち上っていた。
総勢、十数名。黒の烏ほどではないが、いずれも手練れであることには間違いない。
あっという間に、天霧は包囲されてしまう。周囲は全て海だが、飛び込むような真似を許してくれそうにはなかった。
「予想以上にいたな。気付かなかった」
「長く生きていると、色々な世界に顔が利く。小賢しい男もここまでだな」
気炎を吐く刀侍を、天霧は睨んだ。
「だったらこの連中に、虎杖も始末させればよかったのでは?」
「手荒い連中でな。万が一にも、事故死に見せかけられなくなったら困る」
そう言った老人の顔に浮かんだ笑みは、爬虫類を想像させた。
「さっき、毒殺刑など勿体ないと言ったな」
「ああ」
「その台詞、熨斗つけて返そう。お前に毒殺官は勿体ない。ここで死ね、全身を鞭で打たれて」
天霧は刺客たちが持っている物騒な鞭をちらっと見た。むき出しになった先端に、尖った金具が無数についている。あれで打たれたら、肉までもっていかれるだろう。殺すことと拷問することを同時に行える、効率のいい武器だ。
「確かに痛そうだ」
天霧がつぶやく。ただしその言葉には、一切感情がこもっていなかった。
「当たればな」
棒読みの台詞に気付いた刀侍が、やに下がった笑みを引っ込める。それと同時に、天霧が拍手のように大きく手をうった。
浜で、一斉に松明が燃え上がる。その数は十や二十ではきかない。広がった明かりに自分たちの姿が照らされ、屈強な男たちが立ちすくんだ。
「これは……」
「お前も意外と人の話を聞いてないな。『写真を見たとき』……つまり、会う前から危険性を認識していたんだ。嫌な奴に会うのに、何の準備もせずに来るはずがないだろう」
「てめえっ」
天霧の近くにいた男が、勢い任せに鞭を振り上げる。──筋は悪くない。が、
「ぎゃっ」
彼の抵抗はすぐ終わった。鞭が天霧に当たる前に、あかあかと燃えさかる火矢が深く胸に突き立っている。男は驚いた顔のまま、地面に倒れた。
「どうした、もう終わりか?」
熱さと痛みでわめく男を尻目に、天霧は淡々と言った。
「動くな、全員。浜には選りすぐりの射手が百人集まっている。お前らのような大きな的を外したりしない」
これを聞いた刀侍は歯がみして悔しがった。しかし、武器の射程と用意した人数が違いすぎる。どちらが有利かは明らかである。
「さあ、さっさと諦めて──」
天霧が背筋を伸ばしたとき、ふっと殺気が漂った。手でとっさに体をかばうが、つかみかかる相手の方が速かった。
「ぐっ……」
天霧は、あっという間に刀侍に羽交い締めにされていた。老人とは思えぬ馬鹿力で持ち上げられ、彼の盾にされている。
「撃つな! こいつが火だるまになるぞ。上官を死なせたいのか!?」
刀侍が怒鳴ると、射撃が止まった。天霧はなんとか相手を振り払おうとするものの、刀侍の腕は万力のように首元を締め上げている。歯を食いしばり、全力をもってしても振り払えない固さだ。刃物を携帯していたが、そこまで手が届かなかった。
本当に老人か、こいつは。天霧は心の中で毒づく。ほんのわずかな緩みの時に、息をなんとか吐き出した。
悔しいが、力は捨て身になった相手の方が強い。刀侍の熱い息が首筋にかかった。天霧の腕は、すでに痺れてきている。要は、『落ちる』寸前だ。
「分かったらそこをどけ!」
天霧の体が引きずられていく。喧嘩慣れしていないうえ、もともと自分の体力では勝てない、と天霧は判断した。人質になったら、身の安全は保証されまい。それは困る。それに。
──この強引で傲慢なジジイに一泡ふかせてやりたい。たとえみっともなかったとしても。
天霧の中で、めらめらと対抗心が燃え上がってきた。自由のきかない体のまま、現場の状況を思い出す。何かないか、何か。
そして不意に、逆転の手をひらめいた。息を整え、その案を実行できる瞬間をじっと待つ。
「さっさとそこをどけッ!!」
刀侍が弓隊をにらみつけた。それと同時に天霧は、後ろに思いっきり体重をかける。
「くらえ、物わかりの悪いジジイめ」
「は……?」
天霧が味方に駆け寄ろうとして、前に体重をかけることは予想していただろう。だが、海しかない方向に傾くとは思ってもみなかったようだ。
あっけないほど簡単に、刀侍と天霧の体が宙に浮く。男二人は、もつれあったまま海の中へ落ちていった。
「ぶはっ……なんだこれは!」
海の中は、想像より遥かに速く水がうねっていた。逆らうことすら許さず、水は沖へ向かって流れていく。水に流されて、全てが混じり合い混沌を成していった。冷たくはないが、意識をしっかり持っていないと沈んでしまう。
「くそっ!」
刀侍はもはや、天霧のことなど見ていなかった。手足を動かし、がむしゃらに岸に向かって泳ごうとする。読み通りだ。
天霧はそれとは違う方法で、速やかに海流から逃れて高みの見物をしていた。対して、流れに抵抗していた刀侍はすぐに体力が尽きる。彼の体から力が抜けたのを確認して、天霧は思い切り泳ぎだした。