急死した男
「はじめ、余暉様はとんでもなく上機嫌でな。卓に好きな菓子がたくさん並んでいたから」
余暉は以前から無類の甘党で、食卓に出されたのが異国の菓子であっても貪るように食べていた。それに慣れている一行は、食べ過ぎない方がいいと思いつつ生ぬるく見守っていたのだが……。
「それが、途中で手が止まって。どうしたのかと声をかけてみたら、しびれて箸がうまく持てないとおっしゃる」
組んだままの足ならともかく、ずっと動かしていた手がしびれるのはおかしい。余暉本人も不思議に思い、食事を中止して宿に向かった。
「しかしそのうち、手だけでなく全身が痛むと言い出して……」
その頃には、誰から見ても異常な状態になっていた。症状は加速度的にひどくなっていく。余暉の手足はむくみ、さっき食べたものをゲエゲエとそこらに吐き散らす。とても宿まで行けない、と判断した尋唯たちは、あわてて医者を呼びに行かせた。
「しかし胸のところを押さえて苦しみだしたかと思うと、そのまま顔が紫色になって……あっという間に亡くなってしまった」
「なるほど。ひとつ聞くが、その主に持病の類いはなかったか?」
「忙しい方だからちょくちょく不調はあったが、そんなにたいそうなものはなかったぞ」
「へえ……」
「なんだその顔は。まるで疑ってるみたいだな」
「君、名前は?」
尋唯を無視して、天霧は尋唯の横に控えていた少年に聞いた。年は七つか八つ……紫苑より少し上に見えた。彼は黒髪を固くひっつめて首の後ろでまとめている。きりっと上がった目尻の、賢そうな子だった。
「泰楊です」
「本当になかったか?」
天霧はこの事件に少し興味を引かれていた。調べてみる価値はありそうだ。しかし、うかつそうな男の証言だけで決めるのは危険である。他の人間にも確認をとらなければ、安心して動けなかった。こちらとしては、烏が絡んでいなければ積極的に動いても得にならないのだ。
天霧が問いかけても、少年は困った顔をしている。
「この阿呆に遠慮しなくてもいい。これ以上の不作法をしたら、なんやかんやの罪をまぶして牢屋にぶちこんでから国外追放にする。海に放したら、元気な鮫が寄ってくることだろう」
「てめえゲフッ」
「……お静かに」
騒ぎかけた尋唯を、枸橘が正拳一発で黙らせた。一刀両断ならぬ、一拳両断。
「さあ、どうかな?」
天霧の本気を感じ取ったのか、泰楊は唾をのんだ。そしてつっかえながらも、話し始める。
「た、確かにご病気はないようでしたが、あちらが痛いこちらが痛いとはしょっちゅうおっしゃる方で。薬はいくつか携帯してらっしゃいました」
「見せてもらえるか?」
「それは上の方に聞いてみないと」
あくまで筋を守る、行儀の良い少年であった。天霧はうなずく
「では後でこちらからお願いにあがろう。他に気になることはなかったか?」
「と言われても、僕は着いてからずっと船のそばにいましたし……あ」
少年は急に何かに突き当たったように、身体を震わせた。
「思い出した?」
「はい。でも、余暉様のことではないので、関係ないかと。すみませんでした」
言いよどむ少年に、天霧は歩み寄った。
「重大な時間でも、ささいなことが解決のきっかけになるのは、よくあること。話してみてくれ」
熱心な頼みを受けた少年は、意を決した様子で顔を上げる。
「わかりました。あの時、伊吹さんのお友達が訪ねてこられたんです。めったにないことなので、記憶に残っていました」
「伊吹?」
「うちの調合師さんです。昔からある薬の処方通りに、草や木の実を混ぜる人」
その光景を思い浮かべながら、天霧はうなずいた。
「かなり仲が良い人みたいですよ。噂を聞いてすぐに会いにこられたそうで、伊吹さんも嬉しそうにしてらっしゃいました」
「その時に余暉と接触は?」
「いいえ。使用人の部屋にご主人がいらっしゃるなんて、めったにありませんから」
泰楊は緊張した面持ちで言った。
「もめ事があった様子は?」
「それもないです。仲良く子供の頃の思い出話をされて、遅くならないうちに帰宅されました」
伊吹と友人はずっと、他の使用人もいるところでやりとりをしていた。不審な様子はなく、証人もたくさんいるという。
「その友人から、伊吹さんとやらがもらった物はなかったのですか?」
今度は枸橘が聞いた。
「いいえ。伊吹さんの方がお薬を分けてあげたくらいで」
少年から聞き出せたのは、ここまでだった。後は、新しい情報源を見つけなければならない。
「うう……」
その時、うめき声がした。ちょうどいいところで、尋唯が目を覚ました。
「この後のご予定は?」
天霧が聞く。尋唯は腹をさすりながら答えた。
「ないよ。そもそも余暉様が死んだから、俺たちの下っ端の予定は全部白紙だ。翠玉はやたらバタバタしてるがな」
「翠玉様って呼ばないと、またご飯抜きにされますよ」
会話の内容から察するに、翠玉というのが組織の二番手なのだろう。彼に聞けば、もっと詳しいことがわかるかもしれない。
「翠玉とやらに会ってみたいな。被害者が生活していた船も見てみたい。枸橘」
「では、急ぎ面会を求める文を出しておきます」
枸橘は歩み出しながら、何やら考えている風情だった。天霧がやっていた仕事をどう振り分け、誰に頼むか。それを高速で考えているに違いない。泣き出したくなるほどの工程があるはずなのだが、彼女の表情はすぐに元に戻った。
☆☆☆
「うわあ、大きな船」
現地調査にくっついてきた紫苑が、余暉の船をみて声をあげた。港に止まった大きな船の上には、段々になった紅い帆が晴れの日の心地よい風をうけてはためいている。天霧たちの衣の裾も、風に煽られしきりに動いていた。
大きな板を釘によって組むこの国の船と違い、目の前の船は肋骨状の金具に木材をはめこんでいるものだ。密閉性が高く、高波の時に水が入りにくいのが特徴だと聞いている。
「一つの船に、百名近く乗れるそうだ。それが六隻もいる船団だから、にぎやかなものだな」
「余暉という男、やり手のようですね」
船の傍らで、船員とおぼしき男たちが忙しく働いていた。その数は、少なく見積もっても百はいるだろう。赤銅色に日焼けした屈強な男ばかりが並んでいて、思わず天霧は自分の生白い腕を見やった。
船員たちの奥で、高そうな服を着た男、数人が円陣を組んでなにやら話をしている。困惑の気配がこちらにまで伝わってきた。
話しかけづらい。天霧は深呼吸してから、できるだけゆっくり声をかけた。
「失礼する。翠玉殿か」
天霧は、円陣の中心にいる男に声をかける。尋唯とは対照的な、抜け目のなさそうな小男だった。黒い髭が口の下に張り付いている。
男は天霧を見て、喋るのをやめた。異様な風体の天霧たちを見て、周囲の人間がたじろいだ様子を見せる。しかし髭の男だけは、一歩進み出て礼をした。
「ええ、私がここを預かる翠玉です。文をありがとうございます、天霧様」
翠玉が天霧たちのことを説明すると、ようやく船員たちのささやきが止む。彼らは明らかに枸橘だけをまじまじ見ていたが、天霧は本題に入ることにした。男所帯に花を見せたら、まあこうなるだろう。
「お忙しいとみえる。聞き込みは最小限の時間で済むよう、配慮しよう」
「ありがたい。何しろ、主人が死んでも荷は売らねばなりませんからな。織物も香辛料も、ひとつ取引が流れれば莫大な損害になります」
翠玉は特に悲しむ様子も喜ぶ様子もなく、淡々と言った。よく言えば理知的、悪く言えば冷酷に見える。
「余暉が倒れた時の様子は、すでにこの二人から聞いているが……些細でも、引っかかったことがあれば聞きたい」