死ぬと悪評があふれ出す
「でも、手違いなんてあの悲惨さに比べたら」
話の途中で、老女が顔を曇らせる。天霧は、彼女に一歩近づいた。
「死体を見たのか」
「はい。はじめに中に入ったのです……」
女はかすかに体を震わせた。忘れられない光景だったらしく、顔が青ざめている。
「ひとりで?」
「いえ。儀式の祭祀をつとめる若者が、一緒に入りました。他のものは外で待っていたのです」
「その時のことを話せるか?」
女は何度か唾を飲み込んでから、話し始めた。
「扉は押しても引いても、びくともしませんでした。仕方がないので、一番身軽なものが窓から覗き見をしたのですが……」
「彼が『死んでいる』と不穏な言葉を吐いたので、強制的に中に入ろうと思った」
「はい。閂の場所はわかっておりましたから、手斧で強引にそこを破壊して中へ。そして……」
老女は目を伏せた。
「年ですから色々なものは見てきました。ですが、あんなに無惨な死体と、異様な死に顔を見たことは後にも先にもございません」
天霧は、震える彼女に念を押す。
「その時、中には誰かいなかったか?」
「いいえ。部屋の中には誰も。ただ、海につながる廊下までは見ませんでした。その時は、そこまで気が回らなかったもので」
枸橘がそれを聞いて、淡々と言った。
「なら、犯人の逃走経路はわかりましたね。いったん廊下に潜んでいて、小屋の周囲に人気がなくなった時に外へ出たのでしょう。それなら、閂が壊れた後ですから問題ありません」
「あのう」
自信たっぷりな枸橘に、日長が申し訳なさそうに声をかける。
「すみませんが、それは不可能です。使用人の皆さんが、本土から我々が来るまで、ずっと小屋の周辺にいましたから」
「え」
枸橘が大きく口を開いた。自分の顔が面白いことになっているのも気付かず、呆然としている。
「現場に誰かが入らないように、小屋を大きく取り巻くようにして座っていたそうです。祭祀役の若者がなかなかしっかりしていて、皆の音頭をとっていました」
「それなら、誰かが出てきた場合もすぐにわかるな」
「到着した我々はもちろん廊下の向こうも探しましたが、誰もいませんでした」
「……訂正します。発見時には、あの小屋は無人であったと」
枸橘がやや悔しそうな顔で爪をかんだ。
「俺もそう思ったが、お前が先に聞いてくれて助かった」
天霧は彼女をなぐさめてから、本題に戻る。
「二人を発見してからは、何かしたか?」
「……倒れておられたお嬢様には、覆いをかけました。かわいらしい方でしたので、あんな無惨な姿は誰にも見られたくないだろうと。その後すぐ、外の皆に事情を説明しに行きました」
老女の目に、涙が浮かぶ。天霧は、言葉の端に浮かんだ毒に注目した。
「お嬢様には覆いを、ですか。旦那様は?」
「放っておきました。あんな卑しい男など、誇り高い当家に入れるべきではなかったのだわ」
老女はそう言って、心底悔しそうに口唇をかむ。彼女の手が握りしめられ、甲に皺が寄った。今まで憔悴していたのが嘘のように、感情をあらわにし始める。
「はじめはまあ、借りてきた猫というのでしょうか。なんともおとなしかったですよ、あの男も。使用人たちに、自分から話しかけたり、いつもお礼を言っていてね。まあこれなら悪くはないかと思っていたんですが……」
ところが、だんだん贅沢な生活に慣れてくると、虎杖の様子が変わってくる。
「そのうち私たち使用人への物言いが雑になり、終いには『おい、お前』で済ませるようになりましたよ。旦那様でさえ、私たちの名前をきちんとお呼びになるというのに」
老女の顔が赤くなり、肩が上がった。
「誰かが注意することはなかったのか?」
「そりゃみんな、できることならそうしたかったですよ。でも、お嬢様がね……」
「夫の肩を持つ、と」
「完全に虜でしたから」
老女はどんよりした目になって言った。
「大旦那様はじめ、本家の方々も蝶よ花よと育てたお嬢様に泣かれると弱いですから。はじめからこっちの分が悪い勝負なんて誰もしませんよ」
彼女の愚痴はこの後も続き、堂々回りになってきた。もうこれ以上の情報は出てこないだろう。天霧は適当なところで、話し手を交代させた。
「……なるほど。では次、祭祀はいるか」
縦に長く、えらの張った顔をした若者がゆっくり手をあげた。祭祀らしく、裾のゆったりした神官服を着ている。髪が茶色がかっているので、異国の血が混じっているのかもしれない。
「俺です」
「君も死体を見たんだね?」
「ええ。ひどいもんでしたよ。旦那なんか体がひん曲がったまま倒れて、顔も体も緑色だったし。部屋の中も、陶器の破片と木のささくれだらけだしね。でも俺たちだけじゃどうするか決められないから、そのままにしとこうと思って」
老女の報告を聞いて、次々に使用人たちが入ってくる。若者は彼らを押し止め、とにかく外に出て本家の指示をあおぐよう申し付けた。
「とりあえず船をとばしてお伺いをたてたら、旦那様のかわりにお役人がきたってわけです」
「いや、働いてくれて助かった。現場保存は大事だからな」
天霧は素直に礼をのべた。
「ところであなたは、今回の儀式でどんなことをしているんですか」
「ああ……ご夫婦の前でのろのろっと祝詞を唱えて、珠を海へ投げる役です。旦那は拾う気満々だったけど、俺はそこまで見届けてません」
「やはり形だけの儀式か」
天霧が呆れて言うと、若者は頭をかく。
「だってねえ、お嬢さんはもう絶対に結婚する気だったし。俺もこんなもんさっさと終わって欲しいなあ、と思ってましたから」
「それはどうして?」
若者は足元に目をやりながら答えた。
「俺、急にこの役を割り当てられたんですよ。正直、祝詞もあいまいで適当に口走ってて……」
天霧はそれを聞いて、思わず身じろぎをした。
「いいのか、それ……」
「良くはないでしょうよ。でも、前任者がぽっくり死んでしまって」
天霧はわずかに目を細めた。聞き逃せない情報だ。




