背景・背景・背景
続きが聞きたくて前のめりになっている紫苑に微笑みかけ、天霧は資料をめくった。
「事件当日のことだな。まず、婚約者たちを海の小屋に残して、扉に閂がかかったのを確認。供の者は少し離れたあばら屋で休んだ。そして翌朝、主の元へ戻ってきた」
供の者が外から声をかけ、珠を持って夫婦となった男女が喜びとともに出てくる。供の者は花をなげかけ、二人を祝福する。そういう展開になるはずだった。
だが、いくら呼んでもことりとも音がしない。前日の疲れが残っているのか、としばらく時間をあけてみても結果は同じだった。入ろうにも、入り口の扉には閂がかかっていて動かない。
「そのうち日が昇ってきた。このままでは本土に戻れなくなってしまう。なんとなく悪い予感がした供の者たちは梯子を組み、空気取りの窓から中を覗いてみた」
中を見た者が悲鳴をあげて落下したのは、それからすぐだった。
「その人が落ちたのが砂の上で良かったですね。死体が増えるところでしたよ」
「全くだ」
中を見た男はひどく取り乱しており、様子を聞いても上手く答えられなかった。ようやく彼が言ったのは、これだけである。
「しんでるッ」
この一言を聞いて、全員が扉を打ち壊しにかかった。そして──変わり果てた男女を目にし、飛ぶように本土へ戻って報告した。
「報告を受けて官吏と医者が駆けつけた。二人ともすでに心の臓が止まっていたのは同じだったが、体の状態は違っていた」
虎杖は細かい擦り傷が体中についていたが、目立つ外傷はない。対して、瑠璃は正面から頭を叩き割られていた。あまりの違いに、その場で理由が分かる者は誰もいなかったという。
「二人の周囲はどのように?」
「鍵は壊れていなかったが、室内は荒れていた。誰かが家捜しをしたのかもしれない」
「物盗りが殺したと? しかし本家と違って、ここには値打ち物はないでしょう」
天霧は枸橘の言葉にうなずく。
「人気の無い島だ、隠し財宝などなく、あるのは神具と珠くらい。そんなもの売れないだろう」
「でしょうね。ということは、二人が何らかの原因で諍いになり、室内で殺し合ったと」
「一番可能性が高いのはそれだ。しかし、どうにも引っかかる」
己の脳天を叩き割ることはできない。だからこの場合、夫が妻を殺してから自殺したということになる。
「だが、虎杖はそれこそ、輝かしい豊かな生活を手に入れる直前だった。金の卵を自ら殺すだろうか」
「弱い立場のまま婿入りするのが嫌になったのでは?」
「それなら、結婚をやめると言えば済む話だ。諸手をあげて歓迎してもらえるぞ。他の可能性は?」
枸橘は眉間に皺を寄せて考えた。
「とても手間がかかりますが、まず娘が夫を殺して、それから自殺した」
「頭部の外傷についてはどうする」
「何らかの仕掛けを用いて、自分の上から重いものが落ちてくるようにすれば可能では?」
個性的な自説を口にしている途中で、枸橘は含み笑いを始めた。馬鹿げている、と顔に書いてある。
「可能性は薄いが、なくはないぞ」
「お気遣いありがとうございます」
天霧のなぐさめはさらっと流された。無理もない。
現場は離れ島なのだ。仕掛けを作ったとしたら下準備が欠かせないが、街の勝手すらわからない箱入り娘がほいほい渡れる距離ではないし、資材だってそろえられないだろう。枸橘はそれを思って、説を却下しようとしている。
「供の者に共犯がいれば、できるかもしれんぞ」
「……そうですね。現場を見るまでこの説を捨てないでおきましょう」
枸橘が少し元気になったところで、天霧はさらに言葉を紡いでいく。
「さらに次。二人は心中だった」
「苦しくなってきましたね」
「まあそう言うな。……結婚は許されたものの、依然として夫の立場は弱いまま。娘はそれに心を痛める」
天霧の語りに対して、枸橘はあいまいに手をうった。
「やっと結婚してもこんな状態が続くなら仕方無い、いっそ死んであの世で堂々と──と決めた二人は、邪魔が入らないこの機に乗じて計画を実行した」
天霧は話し終わると、腕を組んだ。枸橘が乾いた笑いをもらす。
「最後まで言った度胸はほめてほしい」
「そうですね」
枸橘はすぐさま反論してきた。
「まず、せっかく結婚までこぎつけたのに、そこまで絶望する意味が分かりません」
「そうだな。孫が出来れば、両親の態度も軟化してくる可能性がある。あてつけに死んでみせるほどの状況じゃない」
「それに、心中にしてはやり方が荒っぽすぎます」
手をとりあって、ならともかく、一人は全身傷だらけで、もう一人は石榴のように脳天が割れていた。死んだ後のことは分からないとはいえ、この手段は選ぶまい。
「この案は没。……最後の案は」
天霧は少し声をひそめた。
「二人とも何者かに殺された」
「さっきの説よりはましですけど」
枸橘が首をひねったところで、車の準備を終えた御者が天霧を呼びに来た。覚え書きをとっていた天霧は手を止め、席を立つ。その時、ぞわりと背中に冷たいものが走った。
☆☆☆
一同は船に揺られながら、瑠璃の家が持つ離れ島へ向かう。船の中はゆったりとしていて、豪勢な食事も出た。将軍も巻き込んだ負い目があるのか、予算はたっぷりとくれている。幸い海も穏やかで、船酔いするものもいなかった。
山が見えなくなり、広い海が広がっている。だんだん空の青が鮮やかになってくると紫苑が感極まった声をあげた。島に着いた時も、紫苑は真っ先に下りて砂浜を踏みしめる。
「すごい、砂がまっ白ですよ!!」
「家族以外の立ち入りがないから、浜も綺麗なものですね」
目の前に広がるのは、青い海と白い浜。わかりやすい行楽地に立ち、天霧は汗をぬぐう。黒衣を夏用に変えてきたものの、やはりじりじりと熱がたまっていく。じっとしていると熱くて死にそうだ。
先を急ぎたがる紫苑の手を引きながら、天霧は現場へ向かった。枸橘は後ろからついてくる。
「さて、殺人と仮定した場合でも奇妙な点は残る。資料は読んでもらったから、各自気になったことを指摘してくれ」
天霧が言うと、紫苑が手を上げた。
「もし犯人がいたとしたら、どうやって小屋の中に入ったんでしょうか。そしてどうやって出たんでしょうか」