事前準備が全てのキモ
「よって今回は、ただの同居人への犯行。しかも殺害には至っていませんから、数年の服役で済むでしょう。黙ってそれを受け入れて、これから入る養老院でも探すことですな」
「そんなことができるわけがないわッ」
「いやあ、どうでしょう。私、それなりに顔が広いのですよ。言い訳の天才とも呼ばれていますし」
「ふん、あんたの知り合いが何さ。私にはもっと上の」
話し続ける金盞の前に、天霧は鈴をぶら下げた。よく出回っている鈴と違い、からんからんと重みのある音がする。天霧はわざとらしく鈴を回し、金盞に見せつけた。
「何よそれ……え」
金盞の言葉が、途中でぴたりと止まった。
「穴のない鈴。作るのには特殊な技術が必要な上、持ち歩くには許可がいる」
天霧は、金盞に顔を近づけてすごんだ。圧倒的な力の差があることを、よくよくこの婆さんに教え込んでおかなくてはならない。
「誰の許可かはお分かりですね」
金盞は上半身をひねり、天霧と目を合わせまいとした。彼女の目の縁が、確かに赤くなっている。それを見て天霧は溜飲を下げた。
「これからどうするのが得か……せいぜい一人でじっくり考えてください。その悪い頭で」
天霧は捨て台詞を吐き、ゆっくりと金盞に背を向けた。
「薄雪様、行きましょう。あなたもお忙しいでしょうし」
「はい」
薄雪はうなずき、二人は離れを後にする。罵声が降ってくるかと思ったが、金盞はひたすら無言のままだった。
「ふふっ」
並んで歩く薄雪の軽い足音に混じって、小さな笑い声が聞こえてくる。薄雪は、さっきとはうってかわって子供のような笑みを浮かべていた。
「あの吠え面が、そんなに面白かったですか」
「違いますわ。驚いたのです。あの義母が、口をつぐんで自分の非を認めるなんて、と思って」
「認めてはいないでしょう」
性根というのは、そうそう変わるものではない。今だって、金盞は計画に参加した使用人たちの一人一人をつきとめ、八つ裂きにして復讐してやりたいと思っているだろう。
「それに歯止めがかかったのは、恐れがあるからです」
「恐れ?」
天霧は、懐の中の鈴を手でいじくった。この鈴は、将軍の鈴である。好色なおっさんにしか見えなくても、やはり背負っている権力は絶大なものがある。借りができたな、と天霧は苦笑いした。
しかし、このことを薄雪に言うわけにはいかない。将軍が特定の官に肩入れしたことが公になったら、それはそれで悪い前例として残ってしまう。
「──私の顔が、怖かったんでしょう」
天霧は一拍おいて、真顔で言った。薄雪が笑う。
「そういうことにしておいた方が、いいのでしょうね」
「助かります。あなたにも借りが出来た」
「ならば……捕まった使用人たちの件、くれぐれもよろしく」
「必ず」
深々と頭を下げる薄雪に向かって、天霧はすぐに誓った。
☆☆☆
「で、結局彼らはどうなったんですか」
忙しなく書面をめくりながら、枸橘が聞いた。
「主犯とされた庭師一人は短期間の遠島流しになったが、後は服役と罰金で済んだ。落としどころとしては妥当だろう」
遠島になった庭師も、数年経てば戻ってくるだろう。向こうでも、丁寧な扱いが保証されているはずだ。
「家の方は?」
「それも、すっかり落ち着いたそうだ」
金盞は養老院に入り、そこでもぶちぶち言っているらしいが、もはやまともに聞く人間はいない。あんなに仲の良かった取り巻きは天霧が流した「将軍ににらまれた」という噂によって、きれいにいなくなってしまった。
「新しい主のもとで、再出発ということですね。……あの樒はもう抜かれたのでしょう」
「必要ないからな」
緑の毒樹は、役目を終えた。これからは、新たな花があの門を彩ることになるだろう。そうなった時に、また訪れてみたい。天霧は自分の頬が緩むのを感じていた。
「朴木様はどうだ?」
「早くも完全復活ですよ」
今まであった頭痛が嘘のようにすっきりした、と本人はとてもご機嫌だ。たまっていた仕事の山も、間もなく消え去りそうであると紫苑が言っていた。
「おかげであの二人も、こちらへ来る暇も無いようです。大変喜ばしいことですね」
朴木は、二つ返事で尋唯と流真を受け入れてくれた。これからばりばり鍛える、という言葉に嘘はないだろう。枸橘は当初の目的が達成されて、とても嬉しそうだった。
全て落ち着くべきところに落ち着いて、なべて世は事もなし──そう思いたかったが、天霧は心のどこかに引っかかるものを感じていた。なんだろう……何か大事なことを忘れているような気がする。
天霧は宙をにらんだまま固まった。その目前に、枸橘が大量の巻物を置く。
「お仕事ですよ。さぼっていたら溜まるのは、うちでも一緒ですからね。竜馬の二の舞は困ります」
「分かった分かった」
厳しい部下に見守られながら、天霧は一番上の巻物に向かって手を伸ばす。
「あっ、ちょっと待った」
その手を、いきなり横からつかむ者がいた。誰かと思えば将軍である。今日の将軍は街の物売りのような格好をしてしゃがんでいるので、さすがの枸橘も注意しかけて絶句していた。
「……離していただけませんか」
「ダメ」
将軍は天霧に向かって、不敵な笑みを浮かべる。
「そもそもなんでここに。将軍は座して動かずという建前はどうなったんですか」
「建前は建前。お前には貸しがあるからな」
「あ」
そういえば、鈴を借りるときにそんな会話をしたような気がする。引っかかりの原因はこれだったのだ。
「仕事の追加でしたら、優先的にお受けしますが……」
「はっはっはっ。何をバカなことを言っているのかなあチミは。男が二人で行くとしたら、いいところしかないだろうが」
「破廉恥な……あ」
天霧は勝手な将軍に引きずられていく。今日は飲み屋を渡り歩き、酔っ払った将軍の尻ぬぐいをすることで終わるのだろう。やたら明るい朝の光を浴びながら、天霧はため息をついた。