うるさい客
入ってきた時の紫苑の表情は引きつっていた。それからみるに、その客は不満を訴えていると考えた方がいい。
枸橘も同じ事を考えているのか、顔が険しくなった。
「誰でしょう……」
基本、毒殺が執行されることは名誉である。しくじった例も近年ではなく、刑に対する苦情などしばらく聞いたこともない。毒殺にしろと渋る者はいても、その逆などいるはずがないのだ。
「毒殺を求めての陳情か? それなら他所に押しつけよう。吐き出させた後で、要点だけ聞く」
「他に行く気はないとおっしゃって。とにかくここの上官に会わせろ、の一点張りなので、対応された方が途方に暮れています」
天霧は頭を抱えた。他に回している余裕はなさそうだ。もたもたしていたら、対応の下官が余計なことを口走ってしまうかもしれない。
「……面妖な客だな。わかった、顔を見せてくる。枸橘、すまんが後の処理を頼む」
「はい」
「僕、知らせてきます」
紫苑はまた作法を忘れ、全力で部屋の外へ駆けていった。子供特有のその忙しないさまに、天霧は苦笑しながら後を追う。
白い壁と柱が並ぶ廊下に出た。毒殺行の金細工には必ず、猛毒である附子の花をかたどった紋が入っている。その上、天井にはうねる毒蛇が鎮座し人間たちを見下ろす物々しい雰囲気だ。
廊下の先にある面会室も同じ装飾だ。たいていの客は物怖じして無口になる。この中で気にせずしゃべれるのは本当にうらやましい。素の天霧だったら、何も言わずにひたすら相手を見つめて気味悪がられるだろう。
天霧はふっと息を吐き、改めて面会室の扉を見つめる。扉の横で、紫苑が固くなってつっ立っていた。
ちょうど中の客が声をはり上げたらしく、外にもかすかに会話が漏れてきた。
「急に苦しみ出して……」
興味を引かれた天霧は、薄く扉を開けてみた。
「転んで、顔が紫色になった」
「それから急いで人を呼び、最も近い医者に連れて行ったが手遅れだったと」
「そうだ。いろんな国で商売をしてきたが、ここに来るまでは何の症状もなかったんだぞ。だからお前たちが悪い」
「ご愁傷様です」
枸橘と同じ、灰色の衣をまとった官が会話を締めくくった。責任を押しつけられそうな気配を察して、彼は余計なことは口にしなかった。
天霧はほっとすると同時に、彼に心から同情する。官の前でふんぞり返っている客は、明らかにこの国の者ではなかったからだ。
大柄な男だ。官吏たちと並んでも、頭一つ飛び出している。眉も目もぎょろりと大きく、まるで作り物のようだった。
彼の着物は良い布を使っているが、ゆったり体を覆うこちらの服と全く違い、最低限の量しか使わず身体に沿うようにしてある。それだけで、まるで文化が違うのだと知れた。こちらの作法は通じまい。
はしたない風貌の客を見ながら、天霧はため息をついた。それと同時に、客が床を踏み鳴らす。
「宮中の床ですよ。大事に扱ってくださいませ」
「聞いたぞ。ここには、毒殺を専門とする官がいるそうじゃないか。そいつらが、主様に手を下したに違いない。仕組まれた毒殺に対する賠償を要求する」
客は下官に圧力を加えようとして、とんでもないことを口にした。あまりのことに、天霧は唖然とする。
「……失礼ですが」
目を半開きにしながら、官が聞いた。
「こちらに来られて何月目ですか?」
「三日前に着いたところだよ。毒の専門家なら、即効性のものも持ってるだろう」
確かに持っている。しかし、官が言いたいのはそういうことではない。
「ちなみに過去に来たことは?」
「一度もない」
「……たったそれだけしかこの国におられない商人を毒殺して、我々にどんな利があるのです? 是非、理論的に教えていただきたいのですが」
客は露骨に言葉に詰まった。喉からは苦しげな呻きしか漏れてこない。
「そ……それは……」
「毒といっても、貴重な生薬や鉱物を使用しているのですよ。そのような贅沢な物、おいそれと見ず知らずの者に使うわけがないでしょう。殺すなら、刃物ひとつで事足りるのですから」
「き、きっと余暉様の名声を恐れて──」
「失礼ですが、そんな名前に聞き覚えはありません。広く民の意見を聞きはしますが、毒殺行の力は決して弱くない。獄に入れられる前にお帰りになった方が、御身のためですよ」
官はあからさまにそっけない態度になって、目に涙をためている客に背を向けた。
「尋唯様、悔しいのは分かりますが、そろそろ帰りましょう」
「いーやっ、調査すると確約されん限り帰らんっ。俺が疑われたんだぞ」
泣き、子供のように地団駄を踏む客。さっきは姿が見えなかった子供が、呆れたように彼をなだめているが、聞いていない。
まるで、世界が自分中心に回っているかのようだ。少しは申し訳なさそうにしろ、と天霧がため息をついたところに、枸橘が追いついてきた。
「下官たちに指示を出して参りました。いかがですか、様子は?」
「頑固な客だ。しかも外国がらみのようだから、長引くかもしれん。佐保夫人に鳩を飛ばすよう手配してくれ。──それより、奴の言っていることに間違いはないのか?」
「ここに来る途中で調べて参りました」
「手際が良い」
天霧は素直に枸橘をたたえた。
「余暉という商人が抱えていた、付き人です。確かに余暉は、三日前に船団を率いて入国しています。織物や香辛料を売り回っていて、今回もこちらでその取引をしようとしていたこともわかっています。主の死を口実に、宮中に入り込もうとしているわけではなさそうですね」
「分かった、行ってくる。もしかしたら、黒白の烏がかんでいるかもしれない」
宿敵──烏の名を出すと、枸橘の眉間に深い皺が寄った。彼女は深いため息をつく。その気持ちは天霧にもよく分かった。
毒を扱い、人を殺すのは毒殺行の専売特許。しかし最近、その領域に土足で踏み込んでくる者がいる。彼らが現れたのは、示し合わせたようにほぼ同時期だった。
黒い烏と名乗る組織は、毒を用いて対象を殺す。彼らに殺されるのは偉そうだったり横暴だったりと、恨みを買っている者。そして調べていくと、彼らは公になっていること以上に重大な罪を犯している。そういう連中が悶え苦しむように、黒い烏は毒を何種も使い分けていた。
反対に白い烏は、死にたいと申し出た対象が苦しまないように毒を使う。誰であれ死体の様は眠っているようで、遺族の希望が多分に叶う死は、多くの人に好まれた。そのためなかなか調査が進まず、大規模な組織に育つまで見逃してしまったというわけだ。
彼らが何を思って旗揚げしたかはわからない。だが、いくら才があろうが、法の下にしか使えない毒を己の勝手で手に入れ、使っている。そんな勝手は許さない。それが、毒殺行の見解であり、天霧の考えでもあった。
「お供します」
天霧は立ち上がり、入室の許可を求めた。すぐにものものしいつくりの扉が開く。
「ん? 誰だ」
客が音を聞きつけて、振り向く。官は彼と反対に、天霧を認めてほっとした顔をしていた。
「天霧様、お手をわずらわせまして」
「気にするな。後は引き受ける」
ひたすら頭を下げる官を退出させ、天霧は客の青い瞳を見つめた。
「あんた誰だ?」
「貴殿が面会したがっていた、上官の天霧だ。こちらは部下の枸橘」
「おお、やっと話がわかりそうな奴が来た。流石上官、格好いいじゃないか」
客の機嫌はあっという間に直った。しかし、天霧の中で彼はもはや客ではなく、情報源だ。知っていることを全部話してもらうまでは帰さないと、天霧は腹を決めた。
「実はな、余暉様が急に亡くなったのだ」
「三日前に到着したんだったな。うちは噛んでいないが、不審死の可能性もある。その後のことを、詳しく教えてもらえるか」
天霧が水を向けると、尋唯は喜々として話し始めた。
すぐにあっちこっち散らかる彼の話を、必要なところだけまとめるとこうだ。まず着いたその日に、港で食事をとっている時に異変が起こった。