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うまくいかぬは重なり重なり

「あら」


 さっきとはうってかわって、夫人がつま先立ちになった。砂利道を、美しい総白毛の馬がゆったりと歩いてくる。高い馬なのは傍目に見ても明らかで、ちゃんと馬係までついていた。


東風こち。今日も美しいわねえ」


 夫人は顔をゆるめ、馬に向かっているのに猫なで声を出した。しかし馬の方は、迷惑そうに顔を背けている。馬糞でもひっかけそうなその姿を見て、天霧はちょっと溜飲が下がった。


千代見ちよみ。ちゃんと世話をしているのでしょうね」

「はい」


 ここでようやく、夫人が馬係に声をかけた。つややかな馬の毛並みを見れば、丁寧に手入れをされているとすぐに分かる。それでも夫人があえて質問するのは、次の一言をぶつけたいからだ。


「あなたなんて、東風に比べたら塵芥に等しいんだから。粗相をしたら、すぐに他と代えますよ。それを忘れないように」


 分かっていたとはいえ、聞くのはきついものがある。天霧はこっそりため息をついた。流石にこれに返事をする気になれなかったのか、馬係は頭を下げるだけで去って行った。


「……全く。愛想がないわ。何も考えていないのかしら」


 それなのに夫人は不機嫌になって、こうのたまう。愛想がないのは誰のせいだ、と言いたいのを、天霧あまぎりは辛うじてこらえた。


「では、未の刻から開始ですから。くれぐれも、遅れて恥をかかないように」


 高らかに宣言して、夫人は去っていった。彼女が完全に見えなくなってから、天霧は肩を落とす。握り締めていた掌に、爪の跡がついていた。


「強烈なクソババアだな」


 思わず口から本音が漏れた。天霧が振り向くと、枸橘からたち紫苑しおんがそろって舌を出し続けている。


「……よくも好き勝手言ってくれましたね」

「田舎者にも意地があるんですよ!」

「おい、その辺りにしておけ。誰かに見られると面倒だ」


 天霧が言うと、二人は渋々やめた。


「嫁は大変だろう。朴木ほおのき殿が気をもむのも無理はない」

「あんなのが平穏に暮らせるなんて、世も末です。神様は罰を当てないんでしょうか」


 紫苑がぼやく。枸橘もそれに同意した。


「……いや、いずれ近いうちに」


 天霧はつぶやいた。


「え? 何かあてがあるんですか?」

「何でもない、行こう、遅れるとまた何か言われるぞ」


 目を輝かせる二人を連れてしばらく歩くと、庵が見えてきた。門と同じ茅葺き屋根で、近くには豆形の池がある。大きな紅い鯉が、人間を見上げながら悠々と泳いでいた。


 その池の前に受付があり、机と椅子が置いてある。とっとと手続きをすませ、天霧立ちはもらった白湯をすすりながら池の端で時間を潰す。池の周りには椅子と傘が多数置かれ、待合になっていた。傘と傘の間はそう離れておらず、周りの話し声がよく聞こえてくる。


「今日の亭主役、金盞きんせん様ではないそうよ」

「では、ご子息の緋生ひせい様かしら」

「あの嫁では、つとまりそうにありませんものねえ」


 夫人の取り巻きとおぼしき、着飾った女たちから、品のない笑い声があがった。天霧はそれを、苦々しい思いで眺める。


「それが、朴木だっていうのよ」


 女たちの一人が、たっぷり溜めを作ってから言った。


「まさか、ありえないわ。何が起こったの?」

「どうしても、と自分から申し出たらしいけど」

「よほど自信がおありのようね」


 一番高価そうな着物をまとった女が、そう言って不敵に口元をつり上げた。


「金盞様は、気になることがあれば遠慮なくおっしゃって、と」

「あら」

「そうなの」


 女たちの目が、獲物を狙う猛獣のそれになった。周囲に、毒の沼でもあるような腐臭が満ちてくる。


「初めてであれば、色々分からないこともおありでしょうし」

「童ではないのだから、少しくらいの物言いは……ね」


 のたまわれる言葉から、朴木の心を折ってやろうという意図がひしひしと見え、それにたまりかねた天霧が咳払いをした時──足音が聞こえてきた。


「皆様、本日はようこそおいでくださいました」


 さっきの夫人──金盞と、硬い顔をした朴木が連れ立ってやってきた。すましている金盞と違い、朴木は今にも倒れそうだ。緊張している様が傍からも見て取れる。


「こちらの朴木様が亭主を務めてくださいます。初めてということなので、皆様どうぞよろしく」

「はあい」


 朴木を見上げる女たちから、やけに元気の良い声があがる。もう決心を変えることはできないのだと悟って、天霧はその方向から顔をそむけた。


「では、朴木様」

「あ、ああ」


 促され、朴木がそそくさと庵へ向かおうとする。それを見た女たちから、一斉に失笑が漏れた。


「まず、お手を清めていただかないと」

「飲食をするわけですし、茶室は神聖な場ですから」


 言われた朴木は顔を真っ赤にして、水場へ移動する。これは、先が思いやられる光景だ。天霧は後方に陣取りながら、こっそりため息をついた。


 正客から順に、にじり口から茶室に入っていく。天霧たちもはらはらしながら、自分の席についた。


 しかし朴木も、やられたままでは終わらない。そこからはぎこちないながらも、なんとか手順をこなした。女たちがじっとにらむ中、そこまでできるのはさすが年の功だ。


 青と白の市松模様の襖が特徴的な室内で、朴木は炭手前をし湯を沸かす。香合拝見も終わり、使用人たちが懐を運んできた。


「あれ? 先にご飯、食べちゃうんですか?」


 紫苑が小声でささやく。


「お腹いっぱいになったら、茶の味が分からなくなりません?」

「逆だよ」


 さっさと食べ始めた女性陣を尻目に、天霧は口を開いた。


「濃茶は空腹時に飲むと、刺激が強くて胃が荒れる。それに、苦味が出て本来の味を感じられない。ということで、先に軽くつまむんだ」

「へえ……」


 感心する紫苑をよそに出てきたのは飯、汁、刺身、煮物、焼き物。あとは吸い物と八寸、香の物で終了だ。各料理は一口大なのだが、ゆっくり出てくるとこれだけでも腹がふくれる。香の煙にあたっているうちに、天霧は眠くなってきた。


「これで終わりですか。美味しかったですけど……」

「食べに来たわけではありませんよ」


 食べ盛りの紫苑は不満そうだ。軽く彼を叱ってから、枸橘が言い添える。


「最後にお菓子があるそうですよ。濃茶だから、生菓子でしょう」

「よかったな。干菓子よりは口に合うだろう」


 しかし、期待している一同の前に運ばれてきたのは、汁椀だった。皆が先を争うようにして蓋を開ける。中には白色の塊が入っていて、その上に汁と星形の香辛料が浮いている。


「あら、何かしら」

「どうなっているの?」


 室内に驚きの声があがった。だが、今度はずいぶん控えめであり、騒ぐという感じではない。料理を用意したのは金盞の家だから、客が正面きって文句はつけられないのだ。口が出せるとしたら──


「これはどうしたのです、薄雪うすゆき。いつもの生菓子はどこへ?」

「確認して参ります」


 金盞の近くにいた若い娘が、問い詰められて青い顔をして出て行った。朴木が心配そうに彼女を見つめている。あの女性が、彼の愛孫なのだろう。


 彼女はすぐに戻ってきた。


「いつもの菓子店が、急に店を閉めたようです。主人が病気だと」

「……ちっ」


 金盞は軽く舌打ちをしたが、流石にそれ以上のことは口にしなかった。さすがにこれだけ客が居るので、外面を気にしているのだろう。


「それで、代わりにうちの料理人が菓子をお出ししたと申しておりました。どうなさいますか」


 説明は終わった。しかし、茶室内には、どう反応したらいいのかという困惑した気配がたちこめている。古い家屋の中に重苦しい空気がたちこめると、天霧の胃の腑の当たりが重くなってきた。



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