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雅な庭と無粋な人間

「もう分かったんですか!」

「あくまで推測だ。あの頑固な方に理解してもらうには、裏付けを示さねば。頼めるか?」

「はいっ」


 うなだれていたのが嘘のように、紫苑しおんは、息を切らして実験室へ駆けていく。天霧あまぎりは、次に忍者たちに目を向けた。


朴木ほおのき様についてはもういい。かわりに、嫁いだ孫の方を徹底的に調べてくれ」

「はっ」


 鋭い返事を残し、三人そろって忍者たちは消えた。


「さて、俺も出るか」

「お供します」


 天霧が座椅子から立つと、枸橘からたちが当然のようについて立ち上がった。しかし、天霧はそれを手で制する。


「今回はダメだ」


 天霧は言う。枸橘は理由を聞かずとも、会談の相手が誰か察したようだ。天霧の着替えの手助けをする下男を呼び寄せ、入れ替わりに部屋を出て行く。


 黒色の衣がなければ、会うことすら許されない──この国における、最高権力者。今から天霧は、彼の元へ赴くのだ。



☆☆☆



 天霧は伏礼をし、主の来訪を待つ。


 謁見の間。そこにある四方の襖には全てに極彩色の龍が描かれ、訪問者に二心がないかと大きな瞳でこちらを見ている。実際、襖の奥には腕の立つ剣士や銃の使い手が控えていて、何かあれば飛び出してくる手はずになっている。


 礼をする前に見た、天霧の正面には御簾が下がっていた。室内には香がたちこめ、馥郁とした花の香りがする。


 部屋全体が特別なしつらえのため、まるであの世に来たようで、ここを知らない者に説明をしてもなかなか全貌を把握させることができない。


「面を上げよ」

「はっ」


 天霧が顔を上げるのと、御簾が巻かれるのが同時だった。ぼんやりと明かりがともった壇上には、顔も体も大きくて四角い、牛のような中年男が座っている。部屋を睥睨するこの男が、この国の最高権力者──将軍だ。


「天霧よ。俺に内緒で、色々動いているようだな」


 天霧は、将軍の太い眉毛を見返しながら言った。


「それしか能がありませんので。上様には及びませんが」

「言うわ。この狐が」


 毒づきながらも、将軍は楽しそうだった。公式行事ではないため、うるさいお目付が少なくてのびのびできるからだ。


「……しかし、朴木をこのまま放っておくわけにはいかん。では、報告を聞こうか」

「詳しい解析をさせているところなので、あくまで私見としてお聞き下さい」


 天霧は、朴木の症状について考察を述べた。将軍は否定も肯定もせず、目を閉じて聞いている。これができる者はそう多くなく、彼は人の上に立つ器の持ち主だと天霧は思う。


「なるほどな。それなら、俺がわざわざ介入しなくても良さそうだ」

「ええ。ただ、一つだけ……」


 先を急ごうとする天霧の言葉を、将軍は途中で切った。


「分かってるよ。いざという時、ダメ押しが欲しいんだろう」

「その通りでございます」

「大旗くらい持たせてやりたい気分だが、できるだけ小さい方がよかろうな」


 将軍はにやりと笑い、側仕えに二言三言ささやいた。すぐに、天霧の前に螺鈿細工の箱が差し出される。


「じゃあ、心置きなくやれや」

「ありがとうございます」

「ところで、お前どこかにいい妓を知らんか。今度付き合ぁ───ぃ」


 余計な一言を放ち終わる前に、お付きの者が目にも止まらぬ速さで将軍を連れ去った。諭しすらしないところに、付き合いの長さを感じる。


「……男子五名、女子七名のお子がいてもまだ戯れが足りぬと」


 天霧は将軍がいなくなってから、こっそりつぶやいた。女好きもあそこまでいくと、かえってすがすがしい。妙に感心しながら対面の間を出ると、紫苑が長い廊下の隅っこに立っていた。緊張のためか、顔が強張っている。


「お茶の分析、終わりました。少しでも早くと思いまして」


 結果を見て、天霧はほくそ笑んだ。予想通りである。


「似ているな」

「その程度じゃないです。ほとんど同じですよ!」


 もっと資料を見てくれ、と言い残して紫苑は走り出した。天霧は小さく声を出して笑いながら、後を追う。ぱたぱたという子供の足音が、天井の高い老化に反射して楽器のように響いた。


 勢いが落ちぬまま実験室の前まで来ると、紫苑はもどかしげに扉を開け放つ。室内の机の上には、そっくりな模型が二つ並んでいた。ついている球体が一つ違うだけで、あとは全て同じ構造になっている。


 やや興奮した面持ちの枸橘が、天霧を認めて口を開く。


「私も仕上げを手伝ったのですが、驚きました」

「すぐに写真をとろう」

「手配済みです。あと一刻ほどで撮影班が到着します」

「よし、それができた時点で行動開始だ……あ」


 天霧は今になって、大事なことを聞き忘れていたことに気付いた。


「珍しく呆然としている主の前に──とうっ」


 いきなり百日紅さるすべりが眼前に現れたので、天霧は指鉄砲を放った。べちっと当たると結構痛いのだ。


「男の接近を喜ぶ趣味はない。天井から飛び降りるな」

「へいへい……朴木様の孫の回りじゃ、いろんな怨念が渦巻いている様子ですが、どこから話しますか?」

「とても楽しそうなところ悪いが、ひとつ教えてくれ。朴木様が仕切る茶事は、いつあるんだ。そこで全てを明らかにするから、少なくとも準備に三日は欲し──」

「明日ですが」

「あす!?」


 現実は非情である。天霧の素っ頓狂な声が、部屋に響いた。



☆☆☆



「なんとか……間に合って良かったですね……」


 つぶやく枸橘が、半分白目になっている。あれからずっと資料をまとめ、天霧の予定を動かしていたから無理もない。天霧も負けず劣らず、死んだ魚のような濁った瞳をしているだろう。元気なのは、早々に寝た紫苑だけだ。


 天霧はしょぼつく目をこすりながら、車から降りて邸宅の門をくぐった。毒殺官だとわからないように、皆普通の着物だ。天霧だけは、黒衣の上に着物を重ねている。


 風流好み、というのだろうか。他の者がめったにやらない、茅葺き屋根の門構えである。それを囲むように木々が緑の葉を伸ばしていた。天霧はそのさまを見て、わずかに眉をひそめる。


「あれ、香りがしますね。花もないのに」


 紫苑が首をかしげ、植え込みに近づいていく。葉の合間に花が隠れていないか、彼はふと覗きこんだ。


「何してるのッ」

「ひっ」


 その瞬間、険のある声が飛んできて、一喝された紫苑は定規のように直立した。


 母屋の方から、怒りに満ちた顔の夫人が歩いてくる。立ち姿はさまになっているし、決して不美人ではない。だが、口元に意地悪そうな皺がくっきりと刻まれていた。これは間違いなく、問題の姑だろう。


 それを見て取った天霧は素直に頭を下げる。こういう人間は、言い訳を聞いた瞬間に怒りを爆発させるものだ。


「ああ、申し訳ありません。臭いのする草が珍しかったようです」

「ふん、見る目のない子だね。それは庭師が勝手に植えたのさ。年中緑のままで、面白みも何もありゃしない。もうすぐ植え替えるよ」

「花や紅葉なら、確かによかったでしょうがね」

「人間でも、華のある方が必要とされるだろ」


 夫人は天霧をねめつけながら、いかにも大事なことを教えているように言った。


「あんたらは朴木の客なのかい」

「ええ」

「いいかい、うちのお客さんの近くには寄らないでおくれ。田舎者がうつるからね」

「心にとめておきます」


 返事をしながら、天霧は左右から押し寄せてくる殺気をひしひしと感じていた。言葉の暴力に晒された枸橘が、今にも爆発しそうになっているのがよく分かる。さて、どう締めくくろう。


 天霧が考えていると、遠くから馬のいななきが聞こえてきた。



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