分解して分解
「それなら──」
「朴木様。堤の強度や設置場所について相談したいと、技官たちが参っておりますが」
「ああ、通してくれ」
朴木は返事をしてから、天霧に目をやる。
「それでは、今日はここで」
天霧はさっさと席を立ち、部屋を出た。あからさまに邪険にされたのに、居座ってもいいことはない。入れ替わるように、最初の官が入ってきた。
部屋の外ではすでに、肩を落とした技官が数人順番待ちをしていた。時間がかかるのを覚悟しているのか、皆の顔には生気がない。
「お互い大変だな」
天霧が声をかけると、待っていた官たちは世間話に応じてくれた。みんな暇なのである。
「ええ。日中に終わればいいんですが」
「俺は次の日に繰り越したこともあるぞ。優雅なことだ」
「僕たちはまだ先頭だからいいけどね。後ろの連中は大変だ」
官たちの愚痴は止まらない。長い愚痴を聞いてから、天霧はうなずいた。
「前はこんなことなかったのに。やっぱり病気のせいでしょうか?」
天霧は何も知らないフリをして、会話に混ざってみた。
「やっぱり、咳がひどいのか?」
「いやあ、頭痛らしいですよ」
「新しい症状か。あのお年では大変だ」
官の一人が、大きなため息をもらした。
「抜群の勘を誇った敏腕技官も、とうとう引退かなあ」
「もういい年だ。お孫さんも嫁いだようだし、頃合いじゃないかねえ」
これ以上粘っても、新しい情報は出てこなさそうだ。ありふれた愚痴で満たされた待合室を、天霧は足早に立ち去る。細工の竜馬が、何も言わずそれを見下ろしていた。
☆☆☆
「それは、聞けば聞くほど大変ですね。しかし」
天霧の執務室の中。椅子にかけている天霧と枸橘、その傍らに紫苑が立っている。子供の頭をなでながら、枸橘が口を開いた。
「あなたのせいではなかったのですよ、紫苑。それは良かったですね」
「はい」
紫苑はうなずく。心持ち、顔色がよくなった。ちゃんと仕事を果たしたと認められることは、誰にとっても重要なことなのだ。
「……そして天霧様は、結局何もされずに帰ってこられたのですか」
「大人の俺に対しては、毒のある物言いだな」
「それだけの地位をお持ちなのですから。そこまで朴木様がお悪いのなら、療養を勧めるべきだったのでは?」
枸橘がそう言うと、紫苑もうなずく。
「そうですよ。一時恨まれても、ご本人のためです」
「いや……」
天霧はまだ、そんな気になれなかった。謎の頭痛を、年だけのせいにしていいのだろうかという思いが常にある。誰かの陰謀か、事件の可能性が否定できるまでは追ってみるつもりだった。
「少なくとも何月か、自分で調べてからにしたいんだ」
もうすぐ、百日紅が定時報告にくる頃合いだ。天霧は進展があることを祈り、それを待つ。枸橘は紫苑に、詩の手習いをさせ始めた。
「参上っ」
百日紅が天井から現れた。今日は観衆が多いので、いつもより嬉しそうである。自信たっぷりに降りてきた彼に、天霧は顔を上げるよう勧めた。
「どうだ。頭痛の原因はつかめそうか」
「まず、医者や薬が変わっていないか確かめましたが、ダメでした。数十年、両方変わり無しです。藪だって噂もありませんね、当然ですが」
「そのお医者さんが、嘘をついてるんじゃないでしょうか」
紫苑が言う。余暉殺害事件の犯人が調合師だったから、未だにその考えが抜けていない。天霧と枸橘は苦笑した。
「なんのために?」
「え」
天霧たちが口を開く前に、百日紅が反論した。紫苑はかわいらしい顔を歪め、言葉を探すのに困っている。
「医者が朴木様を恨むような理由はなかったからねえ。逆に何十年も通ってくれるお得意様で、それを聞いて通う患者もいるってありがたがってたくらいさ。元気でいてほしいって思うと思わないかい?」
「本心ではどうだか……」
紫苑は食い下がるが、その無防備さを百日紅は見逃さなかった。
「わかった。裏で何かあったとしよう。でも、あの医院では処方する前に、必ず材料を確認してる。種類、量全てな。余暉の時みたいに誤魔化しはきかない」
「高級官僚も通う医院なら、当然ですね。面倒がっておろそかにして、何かあったら取りつぶしですから」
枸橘が百日紅の援護に入る。
「一応、薬ももらってきて解析にはかけたけどな。今のとこ、病院が黒幕ってのは声高に言わない方がいいぞ」
「うう……申し訳ありません」
枸橘にも粗を指摘され、紫苑は素直に白旗をあげた。
「あ、これが朴木様の薬の解析結果です。渡しておきますね」
「よくわかった。他の要因は?」
天霧が言うと、百日紅は顎に手を当てた。
「他に変わったといえば……付き合う人間くらいですか」
「仕事絡みで?」
「いえ、個人的なものです。実は、彼の孫娘がこの前結婚しまして」
そういえばそんな話を、天霧も聞いた。
「めでたいじゃないか」
「その相手ってのが花や茶をたしなむ、芸術家だらけの風流なお家でね。実務一辺倒な朴木様は、だいぶ無理して付き合ってるようですよ」
頭痛の種はそれか、と天霧は思ったが考え直す。その時だけならともかく、ずっと続いているのが気にかかる。天霧は軽く頭を振った。
「それ以外には?」
「まだないんですよ。探り始めて間もないですから、もう少し時間を下さい」
「分かった。任せる」
天霧が言うと、百日紅は天井を虫のように這いながら消えていった。音は一切しないのだが、天霧の耳にカサカサと聞こえたような気がする。全力で頑張る姿を見て、珍しく枸橘がぽかんと口を開けていた。
「……普通に退場できないんでしょうか」
「あれが生きがいなんだ。諦めろ」
それより、と天霧は立ち上がった。急ぎの約束がない今しか出来ない事がある。
「朴木様の薬の情報は手に入った。普段の服用品と相違ないか、調べるぞ」
天霧は文書をめくった。枸橘と紫苑もやってきて、興味深そうに耳を傾ける。
「主成分は……炭素七、水素八、窒素四。あとは燃焼してしまった酸素か」
試料を高温に熱してその気体を集め、元の成分を割り出す分析法を用いて、朴木の薬は詳細に調べられていた。ここまで分かっていれば、元の構造を割り出すことができる。
「組み立てますか?」
天霧が言い出す前に、紫苑が立体模型を持ってきた。指示があるのを、今か今かと待っているのがかわいらしい。
「始めよう」
毒殺行の地道な研究の結果、物体を構成する元素は一定数の『手』を持っているとわかった。その手で握手をするように、他の元素と結合して様々な形になるのだ。天霧たちにとっては、基礎中の基礎である。
しかしそれを他の部署に説明するとなると、多大な手間がかかる。汗だくになっても相手は怪訝な顔をするばかりで、何もわかり合えないことも珍しくなかった。そこで視覚的に表現するために知恵を絞った結果が、この模型である。
球体を元素とし、結合する手はそこから出た棒によって示される。これがいくつも組み合わさると、立体的な造形物ができあがるのだ。言葉で説明するより、遥かにわかりやすい。そのため、今は内部の検証や説明にもこの模型をよく用いるようになった。
元素の種類がわかっていれば、取れる形は限られてくる。何度か試行錯誤と確認を繰り返し、天霧たちは薬の成分を立体化していった。
「できました。これは『ておふぃりん』ですね」
今回の薬は、くっついた六角形と五角形を核とする。そこから、いくつも腕が伸びていた。とある外国人が発見した成分で、舌を噛みそうな名前がついているのもそのせいだ。薬の構造としては単純な方である。
「服用していた薬と相異はないな。やはり、違う薬が投与されていた可能性は消して良さそうだ。……紫苑、どういう作用か覚えているか?」
「肺に空気を送る気管を広げたり、そこの炎症を抑えます。よく効く薬ですが、熱を出している子供に与えると痙攣を起こすことがあるのが欠点」
紫苑はてきぱきと答える。聞いていた天霧は拍手した。
「よろしい」
「へへ。でも、朴木様の頭痛の原因はつかめませんでしたね。ずっと飲んでいる薬と一緒なんですから」
「仕方ない。また百日紅頼みか──」
天霧がそう言いかけた時、窓の外から聞き慣れない音がした。軽いが、鳥や生き物のたてるそれではない。
「なんだ?」
「伏せて。矢の音です! 誰か!!」
枸橘が叫んだ。