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きしむ老骨

「人が増えてしまったな」

「……他人事のようにおっしゃっている場合ではないのでは」


 あなたのまいた種ですよね、と言いたげに枸橘からたちがにらんでくる。事実なので天霧は頭をかいた。前の事件で引き取った尋唯と流真の行き場がなくて、困っているのである。


「他の省に推挙はしたんだが、どうにも行き場がなくてな。あいつら、頭を使う仕事はことごとく駄目だ」

「愚か者でも、力自慢なら仕事はあるでしょう」

「俺もそう思っていたんだが……難しくてな」


 天霧あまぎりは生返事をした。


「何を弱気なことを。『竜馬りょうま』がぴったりではありませんか」


 官吏たちの部屋へつながる門の上には、それぞれ違う霊獣が構えている。官吏たちはよくその名前で特定の部署を名指ししていた。


 『竜馬』は土木・開墾に関わる町奉行のことである。確かに、ここが引き受けてくれるならなんの問題もなかったのだ。


「実は、数ヶ月前……紫苑しおんに一度行かせてみたんだ」


 その日、天霧にはどうしても外せない用事があった。竜馬の管理官は気さくな人物だったので、兼ねて兼ねて紫苑に行かせたのだが……使いに出した紫苑は半泣きになって帰ってきた。天霧がびっくりして理由を聞くと、声を発しただけで怒られたのだと言う。


『今、話をする気分じゃないんだ。帰ってくれ!』


 使い走りの紫苑がこう言われて抵抗できるわけがない。大男たちを連れて、不安でべそをかきながら戻ってくるしかなかった。


「下の者が使いに来たのが、気にくわなかったのでしょうか」


 枸橘が言う。確かに、使者の格を異様に気にする者がいるのも事実だ。しかしそれでは、竜馬の仕事はつとまらない。


「雑多な出の人足をまとめるのも土木の仕事だ。そんな値踏みをするような人ではなかったはずだがな」

「それは……そうですが」

「よほど厄介な問題を抱えているのかもしれん。目下、探らせてはいるんだが……まだ時間が必要かな」


 毒殺行の仕事は、知識がなくてはできない。脳味噌空っぽ野郎たちをいつまでもここに置いておくわけにはいかなかった。天霧は調査の結果が出るのを、今か今かと待っている。


「お疲れですね。薬湯でも運んでもらいますか?」

「頼む」


 そう言うと、枸橘が出ていった。ようやく一人になった天霧は、椅子に体を預けて長く息をはく。


「天霧様。少しお時間宜しいでしょうか」


 すると、天井から声が降ってきた。上に目をやると、男が蜘蛛のようにはりついているのが見える。彫刻や装飾のわずかな凹凸を利用してぶら下がっているのだが、ぱっと見には魔術のようだ。


 不審者さながらの光景だが、残念ながら知り合いだ。天霧の親友だった男が、重用していた忍びである。


百日紅さるすべり。報告を聞こう」


 天霧が言うと、渋茶の装束をまとった忍者が落下してきた。数百年前から忍びとして生きてきた一族だけあって、高い天井から落ちても、猫のように音も立てず着地する。


「……何回も言うが、普通に登場してもいいんだぞ」

「忍びになったからには、鮮やかな登場を心がけたく存じます」

「……そう」


 百日紅の輝く瞳を見て、天霧は引いていた。承認欲求の強い忍びって、色々大変だろうな。こいつ、これで今年四十なんだけどな。そんな微妙な思いを抱えながら、天霧はあいまいにうなずいた。


「で、どうだった。朴木ほおのき様の具合は」

「確かに、竜馬の長は困ったことになっておられますな」

「なかなか進まない案件でもあるのか?」


 土木というのは自然を相手にするし、立ち退きに反対する住民もいる。全て順調にいくなんていうのは夢物語、調整するのに頭の痛くなる案件ばかりがあってもおかしくなかった。


「いやあ、それ以前の問題のようですよ」


 百日紅はそう言って、声をひそめる。


「仕事が多いのも大変なのも、通常営業なんですが。朴木様がそれをさばききれなくなっている」

「言ってしまえば、個人の能力が落ちたと?」

「申し上げにくいが、そういうことで。あえて手抜きをする方には思えませんしね。他の人間も手助けしていますが、どうしてもあの方の決裁がなければ動かないことが多いようで」

「うーん……寄る年波のせいだろうか。あの方も、もう六十過ぎだからな」


 これは大変な事態だ。土木が十分に整備できていない時に天災が来れば、民に大きな被害が出る。できていませんでした、では済まされない部署なのだ。それを分かっているから、百日紅の表情も暗い。


「勇退されるべきでしょう。将軍にもご報告しておきますか」


 百日紅は将軍つきの忍びとも顔見知りである。彼から話してもらえれば、滞りなく進むのだろうが──


「いや、少し待ってくれ。朴木様には、色々助けていただいた恩がある」


 世話になった上、新たに面倒を押し付けようとしているのだ。原因も特定できないまま、不調を密告するような真似は避けたかった。古くさいと言われるだろうが、天霧はそういう義理は大事にしたいのである。


「俺が、直接話をしてみる。それまでは誰にも漏らすな」


 天霧は百日紅に念押しし、黙って腕を組んだ。




☆☆☆



 翌日、天霧は約束した時間に竜馬の長、朴木を訪ねた。毒殺行から竜馬までは、廊下を抜けて門を三つ過ぎれば着く。比較的近い場所にあるのだ。


 竜馬の間取りは、基本的に毒殺行と同じだ。違うのは、主にあたる机の配置くらいだろう。壁際の机に、天井までくっつきそうなほど書類が積み上がっている。その間から、偏屈そうな老人の顔がのぞいていた。


 三連勤目だという彼の目の下には、大きな隈ができていた。それでも天霧を見ると、懐かしそうに眉を開いてくれた。それを見て、天霧は安堵する。少なくとも、完全に呆けてしまったわけではなさそうだ。


「お忙しそうですね」

「……ああ、仕事がたまっとるのは事実だよ。そのせいで、あんたの従者には気の毒なことをしたな。詫びておいてくれ、天霧よ」

 

 宮中で天霧を呼び捨てにできる相手はそう多くない。圧倒的な人望と実績が裏打ちしているからできるのだ。新鮮な気持ちで、天霧は答えた。


「間違いなく、彼には伝えておきます。しかし、どうなさったのですか。敏腕なあなたには珍しいですね」


 天霧が皮肉っぽく言うと、朴木は鼻を鳴らした。


「……お前にも気付かれちゃ仕方無い。もう年だからな。体が思うように動かんのだよ」


 朴木はそうこぼしながら、書類に何かをかきつけていく。しかしその途中、時折咳をして手が止まった。


「気管支が弱いのは存じ上げていますが」

「これは若い頃からだ。一生ものだよ」


 そのことは周りも知っている。朴木は時々激しい咳を伴う発作を起こすため、発作用の薬を使用しなければならないからだ。幸い、今回の発作は薬を使う前におさまった。定期薬を使っているからこれで済むのだと朴木は言う。


「それでもこの職を選んだのだ。昔は、病気などに負けはしなかったんだが……っ」


 天霧の目の前で、不意に朴木が頭を抑えて机につっぷした。天霧は叫びはしなかったものの、万が一のことを考えて一瞬肝を冷やす。


「大丈夫ですか。人を」

「……いや、必要ない」


 朴木は一気に水筒から水をあおった。そう言ったものの、彼の顔はまだ青ざめていた。隠そうとはしているものの、そこには不安の色が見える。


「ひどく痛みますか」

「ああ。ここのところ、急に出るようになった。軽いのは今までもあったが、ここまでひどいのは初めてだ。仕事がはかどらんのもこのせいさ」


 それを聞いた天霧はわずかに眉をあげた。


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