羽根先をつかむ、その目
「あのね、もう無理だって。僕の動きを封じようとして海上まで来たんだろうけど、詰めが甘いよ」
天霧はそう言われて、指示のために伸ばしかけた指を元に戻した。こちらを見つめてくる泰楊の視線は、一切緩んでいない。
「……お見通しか」
「頑張って準備したのに残念だったねえ。ほんとは、謎解きに船なんて全然関係ないんでしょ」
天霧はうなずく。泰楊はこちらの狙いを、とうに見抜いていた。びりびりと、格の違いが空気を通じて伝わってくる。目の前にいるのが猛獣に見えて、天霧は一歩踏み出すことすらできなかった。胃の腑の底から、酸味がこみあげる。
正体に気づけただけでも、運がよかったとしか言いようがない。天霧の拳に、力がこもった。気迫に負けてここで倒れるなどということは許されない。
「ねえ。こっちの質問に答えてもらってないんだけどさ。どうして気づいたの? 僕の正体」
泰楊はしゃべりながら、人質の喉元へ刃物を迫らせていく。喉の皮膚までの刃物の距離は薄皮一枚ほど。二度目のはぐらかしは許さない、ということだろう。天霧はつとめてゆっくりと話し出した。
「今回の事件と同じで、決定的な証拠はない。強いて言うなら、俺の違和感だ」
「違和感?」
「余暉の私室で、あの動物細工を見たときだ」
天霧が細工を持ち上げたとき、紫苑が底面の異常に気づいた。しかしその時、掃除をしていた泰楊は紫苑より前にいたのである。
「あの位置なら、確実に細工の底が見えたはずだ。なのになぜ、紫苑が言い出すまで異変を指摘しなかったのか」
ぼーっとしている子ならともかく、泰楊の思考は鋭い。あんなにわかりやすい跡を見逃したとは考えにくかった。
「俺は楽観しない。お前が知っていたから別に驚かなかった、と思うことにしたよ。となると、何故一介の使用人がそこまで知っているか、という話になる」
黒い烏の話と、この泰楊の反応。そしてなぜか、遊郭にいた余暉と泰楊。組み合わせてみると、一つの仮説が導き出された。
「余暉は脅迫に手を染めていたから、自分が恨まれているのを知っていた。だから船員に知られないよう、黒い烏と接触して何もかも打ち明ける。彼らに守護してもらい、より強固な地盤を築くために」
天霧が言うと、泰楊が手をたたいた。月を背にした彼は、逆光の中で薄く笑う。波が立てたしぶきが船にかかっても、泰楊は一切動かなかった。
「へえ。やるじゃない。実は少し前に、余暉から鳥で文が届いてね。用心棒として船に乗ってくれないかって。これは面白そうだぞってんで依頼を受けて、俺が乗り込んだってわけ」
「余暉が遊郭で主人を見つめていたのは、特別な符丁だったのか」
「そうだよ。ふらっと店にやってきて主人を見つめ続けると、いよいよ危ない奴を消してくれって依頼になる。俺も定期報告はしてたんだけど、余暉は伊吹がいよいよ自分を手に掛けようとしてると気付いたんじゃないの」
「やけに情緒的なことで」
「へたに素人さんに合い言葉を作ると、定期的に変更しなきゃならなくなるからね」
だから余暉は、遊女には目もくれなかったのだ。天霧は納得した。
「前から遊郭を根城に?」
「そうだね。単純に僕らが好きって理由でそうしてた。ちやほやされて気持ちいいからね。でも、あの店は今頃もう引き払ってるよ。他の拠点は、もう遊郭にはないし」
「……お前、年いくつだ?」
「二十六」
「大年増じゃないか」
返事を聞いて、天霧は呆れた。それでよく、子供を名乗っていたものである。
「特殊な薬を飲んでるし、ガキの頃の暮らしがろくなもんじゃなかったからなあ。背も伸びなかったさ」
今じゃそれが役に立ってるからいいけど、と泰楊はあっけらかんと笑う。そして、再び向かい合う天霧に視線を向けてきた。
「んで? もう俺に聞きたいことはねえの?」
「……ずいぶんおまけしてくれるんだな」
脇に冷や汗をかきながら天霧は言った。
「俺は、賢いお兄さんは嫌いじゃないよ」
嘘だ、と天霧の勘が告げる。泰楊は明らかに時間稼ぎをしようとしている。しかし兵がいなくなり人質をとられている以上、付き合うしかない。張り詰めたような時間はまだ続く。
「ないの? じゃ、俺から一つ言っとくわ。黒い烏が依頼を受けたのは、余暉を守るためじゃないぜ」
「では、何のために」
「そりゃ、余暉を殺すためさ。わかってんだろ?」
散歩に行ってくる、というのと同じくらいの、なんでもない調子で泰楊は答えた。
「お兄さんたちは勘違いしてる。俺たちは金さえもらえば、なんでもやるわけじゃねえの。そこんとこ、大事だ」
泰楊は自信たっぷりに演説をぶっている。天霧は心底重たい気持ちでそれを聞いていた。
「自分たちが、義賊だと」
「ま、お兄さんから見れば賊になるのか。俺たちはそう思ってないけど。あの余暉ってやつは、ひどい男だったよ。拷問されたって殺されたって、文句は言えないね」
「脅迫を行っていたことは知っている」
「そう。伊吹ってお兄さん、早まったねえ。もう少し待ってれば、俺が殺してあげたのに」
「なぜそこまでする?」
「余暉みたいな奴は、絶対に勝てそうな相手しか狙わない」
「諸刃の剣は、使いどころに気を付けないといかんからな」
脅した結果、相手の反撃で自分が死んでしまってはなんにもならない。余暉はじっくり証拠を固め対象を観察して、確実に勝てると思った相手だけを狙っていたに違いない。
「依頼を受けて調べるうちに、胸糞が悪くなったね。脅されたことで、航海の途中で海に身を投げた奴が何人もいる」
「……広い海の真ん中なら、死体すらあがることはないか」
余暉はただそれを、事故死として処理すればいいだけだ。そしてなに食わぬ顔で、航海を続ける。魔物に魅入られたのは、結局どちらだったのだろう? 天霧の心にも、怒りが湧いてきた。
「怒った? お兄さん」
「まあな。極刑にふさわしい男だと思う」
「それでも黒い烏を潰す? 刑を執行する人間が違うだけだよ」
泰楊はにやにや笑いながら、天霧の顔をのぞきこんでくる。迷うだろうと期待している素振りだった。
しかし、天霧はすぐに首を横に振る。
「潰す。容認できるものではない」
「あれだけの話を聞いても?」
「勝手に法の体現者を名乗ることは許さん。大悪人なら、もっとふさわしい罰はいくらでもある。──文字通り、死んだ方がましだと思うような、な。お前たちが毒を使って余計なことをするから、悪人が早く死んでしまってこっちは困ってるんだ」




