とある東の都にて
「罪人は結局、斬首だそうだぜ」
「なんだ。次の毒殺はいつだろうな」
「なかなかそうはならねえよ。真面目に働きな」
季節は春。都の片隅につぶやきがまぎれた。
一国の都としてその名を知られた大都、舞陽。この都市に入るには、陸路と海路どちらかを選ぶ必要がある。
陸路を選択すると、大きな川を越えることになる。底に岩が多い暴れ川で、船ではとうてい渡れない。都への道となるのは、朱塗りの橋……長さ約十丈(三十メートル)、幅は二丈(六メートル)。十本の親柱はそれぞれ異なる色の宝珠で彩られ、道行く人々を楽しませた。
そこを渡り切ると、街入り口の鳥居が見えてくる。人力で運ばれた石を削った白鳥居は、天候にかかわらず来訪者たちを見下ろしている。
鳥居へ至るまでの石段は、最初はずいぶん長いものに感じられるだろうが、歩いてみるとそうでもない。奥へ行くにつれて幅が狭く、段も低くなっていくので空間が広がっているように見えるだけである。
息を弾ませながらそこを超えれば、待っているのは極彩色の世界。
朱塗りの表門、その左右には同じく紅い肌をした阿吽の金剛像。その上には緑と金の唐獅子が、笑いながら口を開けている。
門をくぐり街に下りれば、白壁に銅瓦の屋根をのせた家屋が並ぶ。壁の上部には必ず木彫りの細工が有り、身分が高く裕福な家ほどそこが大きく、鮮やかになる。
道を見れば人で溢れている。帽子をかぶり、鈴を鳴らして桃色の花を売る乙女。その横を、青い線入りの着物をまとう男たちが、芸をする猿たちを連れて練り歩く。面白そうな顔で眺めているのは、黄色の羽織を着た神官。気むずかしそうな紅鎧の兵が、立ち番のついでにちらりと声がする方を見た。
街には色が氾濫している。その中を、変わった男が歩いていた。まるで一人だけ色を拒絶したような、黒地に銀の刺繍が入った官服を着ている。周りのことなどつゆ知らぬ、といった無愛想な顔も喧噪から浮いていた。
顔立ちは理知的で整っているのだが、親しみは感じられない。市民たちも彼と目が合うと、あわててそっぽを向いたり体を震わせたりした。
「もう少しお笑いになった方がよくありませんか? 民の前ですよ」
男の後ろにぴたりとついていた、灰色の衣の女官が告げる。すらりとした美女のその発言に対して、彼は首を横に振った。
「性分だ。俺は人見知りだからな」
「お逃げになる」
「……皆が避けるのは、それだけが原因でもない。黒衣で察しているだろうよ、毒殺官だと」
何にも染まらぬ正義。それを示すための衣。わざわざ喧伝せずとも、権力の存在を知らせる色。薄墨から黒の衣をまとう毒殺官とは、厳しく制限された刑を執行する、特別な存在であった。
「枸橘、行くぞ」
「はい、天霧様」
華やかな街の様子には目もくれず、黒と灰の二人組は街の中に消えていった。
☆☆☆
街の正面にある緋門が民を広く受け入れるのに対し、宮殿の入り口にある格調高い白門は将軍家のためのもの。官吏、皇族と特別に許可された者のみが通れる。
大きな一本の木を彫り込んで作った白門、それに彫り込まれた像は、この国の成り立ちを示している。国つ神が降り立ち地ができ、そしてその泥の中から剣を持った闘士たちが生まれ出る様子。その像は全て、劣化しないよう胡粉という高級な白色絵の具で塗り固められていた。
白門をくぐってしばらく回廊を歩くと、そこからさらに各部に別れていく門がある。この小白門の上にはそれぞれ異なる霊獣が構えていた。最高位である将軍の執務所には、全てを見通す龍。治水や土木をつかさどる町奉行には、水を守る竜馬。これは純粋な龍と違い、胴体は馬で腹は蛇という動物である。
他にも様々、唐獅子、兎に虎と亀……白い動物たちが、宮中を見守っている。その中で唯一、巻き毛が特徴的な獏の象をいただく部署がある。そこが、毒殺行である。門をくぐれば長い廊下があって、その奥に下官の部屋、さらに回廊を進めば高官の仕事場があった。
殺しや重大犯罪の中でも、特に情状酌量の余地がある、または高潔な理由であると認められた者にだけ、楽に死ねる毒を与えて自決させる。そんな特殊な使命を帯びた組織である。機密保持の必要性を理解し、薬学的な知識を持たねばならないため、所属人数は他に比べて極端に少ない。
華やかな表の場に出る官ではないため、大して権力がないようにも見える。しかし、予想に反して各所とつながりがあるのだった。
一旦毒殺が行われるとその死体は街中を一周し、故人の成仏のために菓子や金銭がまかれる。そういった種々の取り組みの調整をしていると、色々な部署に赴かざるをえない。そのコネの多さに助かって安堵することもあれば、どうでもいいことを押しつけられて泣くこともある。
毒殺行では着物の色が黒に近いほど身分が高くなる。最高位を示す漆黒衣は毒物に対するあらゆる知識に長けている者にしか与えられない。尊敬を集め、黒衣をまとうことが許されているのは、わずか十数名。天霧もその一人で、ここの責任者であった。
最高位の黒衣の官ともなれば、最高権力者の将軍ですら敬意を払うと言われている。その責務を果たすため、今日も予定を枸橘に暗唱させている。
今は辰の刻。一日は、十二に分けられている。一番始めの子の時点で日付が切り替わり、以降丑・寅・卯・辰・巳・午・未・猿・酉・戌・亥と続く。辰は朝であり、これから太陽が昇ってくる時刻だ。
「巳の刻に佐保夫人にご面会。薬草について知識交換し、午の刻には戻る。調合は申の刻から開始」
「かしこまりました」
白の制服に身を包んだ下官たちが、うやうやしく膝をついて礼をする。
「躾が行き届いているな、枸橘」
「ありがとうございます」
灰色の女官服に身を包んだ枸橘は、下官より略式、立ったままの礼をした。礼を終えて顔を上げた彼女を見てみると、白い肌に控えめに入れられた紅が映えている。こんな特殊な行に入らず家に残っていれば、降るように来る縁談をさばくのに苦労しただろうと天霧はいつも思う。
天霧と枸橘が会話していると、卓上の鳥がちちっと鳴いた。時間が来れば刻の数だけ鳴く絡繰だ。枸橘がそれを止める傍らで、天霧は背筋を伸ばした。
「天霧様、天霧様っ」
風のように、白い子供衣をまとった少年が駆け込んできた。天霧の小間使いの中でも一番若い、紫苑だ。女の子と見まがうようなかわいらしい顔立ちをしているが、本人はそれを言われるととても怒る。普段から元気のよい子だが、公の場でばたばたと走るような躾はされていない。
「何をしているのです。宮中ではしたない」
枸橘が紫苑をとがめる。紫苑は我に返った様子で頭を下げた。
「も、申し訳ありません。でも、すごい剣幕のお客様が面会室に来てて」
天霧はそれを聞き、しげしげと紫苑を見つめた。嘘をついている様子はない。