6話
「時間を戻す能力は、使い熟せるようになるまで、少し時間がかかります。」
緑のメガネをかけたオレに、閑奈さんが言う。
「特殊能力ですからね。しかも、時間を戻すなんて、とんでもないことだから、そう易々とは使えないってことか。」
「その通りです。ですが、使えるようになったら、相当便利な能力ですよ。例えば、A店よりB店のほうが、2円も安くたまごを売っていた!なんて時、A店に行く前の時間まで戻ってB店に行くことができるんですっ!」
キラキラと目を輝かせる閑奈さん。
「あ、あれ? いまいちでしたか?」
「……安いとうれしいですよね、たまご。」
「20円引きのクーポン、使用期限が昨日までだった!って時とか、ヨーグルトが安いのは朝市だけで、開店から13時までだった!とか、あとは──」
「能力の無駄遣いっ!」
思わずツッコんでしまうほど、例えがショボい。
「なんか、もっとスゴい例えはないんですか?」
「そうですねぇ……あ、逆に何かないですか?」
「えっ? えっとー……」
突然聞かれると、中々思いつかないもんだな……
「ジャンケンで負けたほうがジュースおごり~、って時、負けたらジャンケンする前に戻って……って、すんませんっ! 平々凡々な一般市民如きが、特殊能力の有効的な活用方法なぞ、思い付くハズもありませんでしたっ!」
「私、何も言ってませんが? あ、メガネなしで心を読めるようになったんですか? すごいです!」
「読んだのは心じゃなくて、空気ですけどねっ! てか、やっぱ、思ってたんですねっ? 自分だって大した例え出てこねぇじゃねぇか、って!」
「はい。」
あっさり肯定され、撃沈する。
「大した例えが出てこない、っていうんじゃなくて、能力を悪用しない、いい人なんだな、って思ったんです。すごい活用方法がポンポン出てきたら、引いちゃいますよ。」
ああ、その笑顔、ずるいなぁ。
上手いこと言いくるめられてるだけかも知れないのに、屈託のない笑顔で言われると、信じてしまう。
「すごい活用方法かぁ……あ、買い物に行って、何か買い忘れてるんだけど、どうしても思い出せない時って、ありませんか?」
「あるある! 何かを取りに行って、あれ?何が欲しかったんだっけ?とか。」
「そんな時、過去に戻れたら便利じゃないですか?」
「便利です! ただ……」
「やっぱり地味な活用方法ですよね。あっ!」
「な、なに?」
「この人なら大丈夫だろうと全幅の信頼を置いて保証人を引き受けたのに、行方をくらまされて、膨大な借金を背負わされた時……と…か…………」
「スゴいと言うより、重いですっ! てか、めっちゃテンション下がってんじゃないですかっ! 大丈夫ですかっ!? まさか実話っ!?」
スクッと立ち上がる閑奈さん。
「私、ちょっと行ってきます!」
「それって、保証人引き受ける前の時間まで行ってきます、ってコトですよね!? まって、置いてかないで! 来客中! 接客なう!」
「……そうでした。ごめんなさい。取り乱してしまって。」
座り直した閑奈さんに、ホッと安堵する。
テンションダダ下がりしたかと思えば、決意を秘めた表情で過去に戻ろうとしてみたり、落ち着きを取り戻して、恥ずかしげに顔を赤くしたり、中々忙しい人だな。
「んーと、あ、株とかどうでしょう?」
「何事もなかったかのように、話を戻すんですね。株って言われても、全然知識ないですよ。」
「私も知りません。」
「知らんのかいっ!」
「まあそこはこれからお勉強するとしましょう。で、乏しい知識を総動員させて、なんとなーくわかるのは、急に値上がりした株を、最安値の時まで戻って、大量に購入したらいいのかなぁ、って。」
「確かに。でも、オレの乏しい知識を総動員してなんとなーくわかるのは、大量購入したら、株価に影響出るんじゃ……」
「株は難しそうなので、なかったことにしましょう。宝くじ! これなら分かり易いですよね!」
「好きですね、宝くじ。でも、当選番号わかっても、当たりくじが出た売り場が遠かったら、行くのも大変だろうし、どの段階で売れたかもわからないと、戻っても意味なくないですか?」
オレの問いに、閑奈さん人差し指を左右に振り、何だか得意げな顔をする。
「宝くじは宝くじでも、ナンバー選択式の宝くじです!」
「ナンバー選択式?」
「自分で数字を選んで買うくじです。ニャンバーズとか、ノト何とか、って聞いたことありませんか?」
「あ、ありますあります! そっか、自分で数字を選べるなら、当たりくじが出た売り場まで行かなくてもいいのか。」
「ナンバー選択式のくじは、毎日抽選しているものや週1で抽選しているものがあって、当選者が出なかったら、次の抽選に持ち越されます。」
「それって、キャリーオーバーってヤツ?」
「そうです! キャリーオーバーしてる時、当選発表を見てから戻って、その数字を買えば──」
「全力で、能力を修得したいと思いますっ!」
はい、所詮、小市民です!
「で、どうしたらいいんですか?」
「戻りたい状況や戻りたい時間をイメージして、『戻れっ!』と念じてください。」
「それだけ?」
「はい。」
「なんか、ずいぶんと簡単な方法なんですね。」
「方法は簡単なんですが、長い時間を遡ろうとすると、なかなか難しいんです。」
「そっか。じゃあ、初めのうちは、ちょっと前の時間をイメージして、戻れっ!って念じればいいんですね?」
「そうですね。実際に『戻れっ!』と言葉にしたほうが成功し易いと思います。」
「わかりました。」
ちょっと前かぁ。
特殊能力お試し、1回300円、3回まとめてなら800円、って辺りまで戻れるかな。
で、心を読む能力は試さずに、時間を戻す能力と、人を操る能力だけ試すようにすれば、600円で済むよな。
あ、人を操る能力を先に試して、使いこなせそうになかったらまた時間を戻して、この能力だけに絞れば300円で済む……って……
思わず頭を抱えて、うなだれる。
「あら? どうしましたか?」
「いや……自身の小ささに、激しく嫌悪しただけです。」
たかだか数百円のことで、真剣に悩むとか、マジで小さすぎだろ!
いや、でも、お金はあれば便利ないと不便、便利なほうがいい、って名言もあるし!
1円を笑うものは1円に泣く、言うし!
よしっ、と気合を入れ復活し、目を閉じて、3回まとめて800円の場面を思い返す。
「戻れっ!」
これで、能力の説明を受けていた時、テーブルにメガネじゃなくてコンタクトが並んでたあの時に戻っていれば成功だ。
そっと目を開けてみたが、テーブルにはメガネ。
「たった1回で成功するワケないですよね。」
「いいえ。ちゃんと戻りましたよ。」
「えっ? 何も変わってないみたいだけど……」
「確かに戻りました。数秒前の時間に。」
「す……数秒前ぇ!?」
「『戻れっ!』の『も』を発声したところまで戻りました。数秒、秒に満たないくらい短い時間ですが、確かに戻りました。」
「まったく自覚ないんだけど……」
「秒ですからね。こうしてお話ししている間にも、時間はどんどん進みますし、戻った感覚はほぼゼロでしょうね。」
な、なんかこの能力も、あまり役に立たない予感が……
そんなオレの心を読んだのか、空気を察したのか、閑奈さんが明るく言う。
「最初のうちは数秒、十数秒ですけど、訓練するうちに、数十秒、数分、数時間と、長い時間まで戻れるようになりますよ。」
「ホントですかっ?」
「はいっ!」
「ちょっとやる気でてきたかも。購入検討し──」
「5秒戻れるようになるまで、1ヶ月間ほど訓練が必要ですが──」
「──キャンセルで。」