パワハラ騒動の謎
僕はその時、頭を抱えていた。
とあるパワハラ騒動の解決役というか仲裁役というかそんなものを押し付けられてしまっていたからだ。
喫茶店にパワハラ被害を受けた情報技術者を呼び出して説得しようと思っていたのだが、なかなかやって来ない。いや、実を言うのなら約束はしていなくて、一方的にメールを送っただけだから、来なくても当然なのだけど。
「頼みますよ。話だけでも聞いてください」
しばらく待って、これは来る気がないな、と思った僕は仕方なく直接電話をかけてみた。しかし彼は、やはり僕の話に聞く耳を持ってくれない。
せめてパワハラを行った彼の元上司が、その理由を言ってくれれば良いのだが、「俺は騙されていたんだ。あいつが悪い」などとよく分からない事を言って正直には話してくれないのだった。
どうも何か意地になっているようだ。子供っぽい一面のある人だから、こちらも説得が少々難しい。
「はぁ」とため息をつき、僕はそこで特に意味もなく店内を見回した。まぁ、現実逃避みたいなもんだ。
すると、そこで見覚えのある女性を発見した。付き合いのある会社のOLで、コミュニケーション能力が高いのか、話しかけ易いので会話をする機会がよくある。ところが彼女と一緒にいる女友達だろう相手が少しばかり妙なのだった。若いのだ。スーツを着てはいるが、どう見てもまだ学生にしか見えない。
それで僕は思い出した。
そのOLは同じアパートに住んでいる仲の良い大学生の女の子の自慢をよくして来るのだ。鈴谷という名前らしいその女の子は勘がとても鋭く、ちょっとした謎を直ぐに解いてしまうのだという。
僕は立ち上がると、彼女達の席に向った。ダメで元々、ワラにも縋る思いで彼女にこの件を相談してみる事にしてみたのだ。
「あの…… すいません」
そう挨拶すると知り合いのOLは「あら? お久しぶり」と明るく挨拶してくれた。やっぱりコミュニケーション能力が高い。この流れならいけるかもしれない。
大学生らしき女の子は僕を不思議そうに見ていたが、「今日は」と挨拶をしてくれた。OLが「知り合いの営業の方」と紹介してくれる。
そこで僕は、「彼女が、以前に話していた鈴谷さんですか?」とそう尋ねる。すると鈴谷さんは少し怒ったような顔で「綾さん。何を話しているんです?」とOLに文句を言った。
「怒らないでよ。自慢がしたかったの。凛子ちゃんがどんなに凄いかってことを」
OLはおどけながらそう返す。
「凄い?」
「推理のこと」
「凄い事なんてないです」
鈴谷さんは呆れているようだったが、僕はチャンスとばかりにそこで口を挟んだ。
「実はその推理能力に頼りたくてですね」
「は?」とそれにOL。
僕はその顔に向けて縋るようにお願いをする。
「困っているんですよ、助けてください」
するとOLは「まぁ、話を聞くくらいなら」と返した。
鈴谷さんは怒りながらそれに「なんで、綾さんが答えるのです?」と文句を言った。
それから僕は彼女達の傍の席に腰を下ろすと、強引に話を始めた。
「実はちょっとしたパワハラ事件が起きていましてね」
「パワハラ?」とそれを聞いて、興味津々な様子でOL。この手の話はどうやら好きらしい。
「まぁ、個人情報は守らないといけないので加害者の社員を仮にQさんとしておきましょうか。そのQさんが雇っている外注社員の…… こちらはAさんとしておきますが、そのAさんに対して、何故か突然、パワハラを始めてしまったのですよ。
それでAさんは
“安い契約金で真面目に懸命に働いて仕事に貢献して来たのに、納得がいかない”
と言って辞めると言い出してしまったのです。が、会社としてはAさんは優秀な技術者なものですから、なんとか残ってもらいたいのですね。それでなんとか説得を……」
「ちょっと待って」と、そこでOLは僕の説明を止めた。
「その話のどこに推理が必要なの?」
「話は最後まで聞いてください。
QさんとAさんはそれまでは良好な人間関係を築いていましてね。上手くやれていたようなんです。
しかし、Aさんの努力が認められて、Aさんの紹介で他の技術者がその会社に入って来るようになってから、突然にQさんはパワハラを始めてしまった。AさんにもQさんの態度急変の理由が分からないようなんです」
そこまでを聞き終えると、OLは「それはQさんが悪いわ」とそう言った。
「どんな理由があってもパワハラは駄目だもの」
「いや、ま、そうなんですけどね。Qさんは、自分が悪いとは思っていないようなのですよ」
「パワハラしているのに?」
「ええ。なんか、自分は騙されていたとかそんな事を言って」
「それは子供だわ」
「まぁ、とにかく、そのQさんのパワハラの理由が分からない事には、どうにも説得の糸口が分からなくて……」
そう言い終えると、僕は期待を込めて鈴谷さんを見てみた。もっとも、たったこれだけの内容から“パワハラの謎”が分かる訳もないとも思っていたのだけど。
ところが、そこで彼女はこう訊いてくるのだった。
「そのAさんの契約金はとても安いのですか?」
「ええ。仲介したのは僕ですから分かっていますが、彼の実力からしてみれば大サービスと言って良いと思います。
こちらの狙いとしては、彼を梃にして他の技術者も雇ってもらおうという作戦な訳なんですがね」
それに鈴谷さんは何故かうんうんと頷いた。
「では、Aさんの紹介で入ったという他の技術者の方々は?」
「こちらは相場通りですね。安易にサービスできない事情もありますし」
Aさんで充分にサービスしているのだ。それくらいは受け入れてもらえないと割に合わない。これは当然の話のはずだ。
ところが、そう僕が説明すると、何故か鈴谷さんは「分かったかもしれません」とそう言うのだった。
僕はそれに驚く。
「分かったって、Qさんのパワハラの理由がですか?」
「はい」
そう応えると、鈴谷さんは一呼吸の間の後でこんな説明をした。
「こんな話を聞いた事があります。
物を売りたいと思ったのなら、価格を下げるのが普通ですが、逆に価格を上げる事で“高級品”をアピールし、富裕層をターゲットに販売を増やすというテクニックがあると」
僕はそれに頷く。
「ああ、確かにありますね。上手くいくかどうかは賭けだけど」
すると、鈴谷さんはそれにこう続けるのだった。
「今回はそれとまったく逆の事が起こってしまったのではないでしょうか?」
「逆?」
「はい。他の技術者の契約金がAさんの契約金よりも高いのを見て、Qさんはビックリしてしまったのじゃないですかね?
“なんだ、Aの奴は大した事なかったのじゃないか!”と。
恐らく、Qさんは技術者の契約金の相場を知らなかったのでしょう。その所為でAさんの低い契約金がサービスだとは思わず、Aさんの技術者としてのスキルが低いからだと勘違いをしてしまった。
恐らく、Aさんはそれまで自分のスキルは高いとQさんにアピールしていたのじゃないでしょうかね? それでQさんは騙されていたと思い込み、Aさんへの復讐としてパワハラを始めってしまった……
そう考えると辻褄が合います」
僕はその説明に目を丸くした。
そして、思い出してみる。
僕も営業の一人として、Aさんの契約に関わって来たが、Qさんが技術者の相場を知っていると思い込み、彼の契約金が大サービスである事を一切伝えてはいなかった。
「多分、それです!」
喜んでそう応える。
それから僕は大慌てでQさんに電話をかけて急いで誤解を解いた。
事実を知ったQさんは、大いに狼狽した。もし、Aさんに辞められたら、高い契約金でAさんよりもスキルの低い技術者を雇う破目になりかねないからだ。そうなれば、それはQさんの責任になってしまう。
もっとも、すべては誤解だったと分かれば、Aさんも納得してくれると思うけれども。
……いや、ま、多分。