六話 死を考えてみる。
ふと気付いてみれば、トイレの壁に寄りかかっていた。
まぁ、気絶して誰かが助ける訳もないから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、そう考えた所でやはり自分は死んでいて、世間からも死人と扱われている事にショックを受ける。
……死んだ自分を見た時より、体の調子がよろしくない。
気絶する前にうんざりするほど吐いた筈だが、胃はまだ何かを拒絶するように痙攣しているようでまだ何かを戻そうとしてしまう。当然喉は胃酸でガラガラになっているし、膝は座り込んでいるのに震えているのが分かる。
辛い。
何が辛いのかとか、痛む場所はどこかとか、そんな事を考えても意味がない、と考えてしまう程に辛い。身体はガクガクと震えて力が出ない。
人間ってのはこうも弱いんだなぁと、心の隅で考えた。
それと同時に、私は生きた人間じゃなかったか。と考えた私も居た。
そうしてまた自嘲した所で、少し吐いた。まだ吐けるのかと驚くぐらいには余裕が出てきたと考える事にした。
出てきたのは薄っすらと赤いような気がする、ほぼ透明な胃液だけだった。
何はともあれ、トイレの後始末を片付けてヨロヨロと動きながらベッドに戻る。
やっぱり上手く脚が動かないので、四つん這いになって必死に戻ってきた。ようやく寝転がる事が出来た。
そこでようやく外履きを履いたままだという事に気付いた。が、玄関に靴をおいてくる元気もないので、何とか脱いでベッドの下に並べておいた。
「ふぅ……ごほっ」
天井を仰ぎ見てもやっぱり色は薄いままで、ここが『dw』なのだと嫌でも認識させられる。
自分の腕も色が薄い。ここまで色白だったかと思う。夏だというのに外人かと思うような白さにまでなりつつある。
色がないから血色が悪いのか、死んでいるから血色が悪いのか。
考えても仕方のない事だと、気付いている自分がいるが、それでも考えてしまう。
結局のところ、私が知りたい事は一つだ。
『私は、一体何なんだ?』
いつぞや、考えた事をふと思い出す。
私は死んでいる。死んでいるが、思考している『鈴風 かなた』は今、この場にある。
肉体は死んだ。それを認識している精神はこの場にある。
それじゃあ、死んだ肉体は一体何処にあった?
私という精神は、ずっとこのアパートの一室で生活していた。
死んでいるかも、という考えはあったが、それでも死んでいる自分を見たのは、死体が見付かって運ばれていく時だけだ。
それならば、死んだ肉体はこの部屋にないとおかしくなる。アパートの住民と大して親しくもない私が誰かの部屋で死んでいるとは考えにくい。殺されたのなら別だが。
私は、私の部屋で死んだ。それを私は薄々と感じていた。
だが私は、私を認識していなかった。
もう一度、手を天井へと伸ばしてみる。
やはり色はない。血色が悪いのかどうかは分からないが、とりあえず震えは収まった。どうやら考えている間に落ち着けてきたようだ。
けれども、立ち上がって水を飲みに行くような元気はなかった。
腕を下ろして布団を引き寄せて寝る体勢に入る。気絶だとか朦朧としてたりだとかで体感時間があやふやになってしまっているが、とりあえず寝よう。外は真っ暗だし。
一つ、仮設を立ててみよう。
『Dead World(DW)は死んだ空間だ。彩度を識別できなくなり、時間を表すものは全て12:00:00を指すようになり、入り込んだ人物は意志が弱くなる』
なるほど、そこに更に『鈴風かなたは、DWを一時的に入り込む能力を持っている』というのを加えてみる。
今、私が寝ている空間は『色が薄く』、『時計はすべて12:00:00を指し示し』ている。
そしてDead Worldは、名の通り『死者の世界』、『死んだ空間』というものだ。
私の肉体が死んだ空間。
私という『鈴風 かなた』の意識が眠っているこの空間。
この二つの空間は、同じ位置に二つ、重なり合っているのではないか?
私は、死んで、この空間を作り出し、こうして住んでいるのではないか?