一緒になろう?
振り返ると、元カノは、泣き腫らした顔をしていた。
「私ね、まだ翔くんのことが好きなの。全部一緒になりたい」
切ない純情の物語――元カノからのおくりもの
一緒になろう?
山田 超多浪
「んふふー」
座卓を挟んで向かいに座るのは、満面の笑みの僕の元カノである。彼女の家に上がってから、2時間、ずっとこうである。
事の発端は、今日の午前だ。会社のオフィスで、休憩に入ったところ、スマホに電話が入った。発信元は、一年間連絡のなかった元カノだった。彼女は、前置きもなくいきなり「昔のことを謝りたい、今夜うち来て!」と叫んで電話を切った。
突然の電話でどうしようかと迷ったのだが、あの元カノが謝りたいというのだから行ってみようと思ってしまったのだ。だがそれが誤算だった。
そして、夕方頃に元カノ宅を訪ね、2時間の拘束。今に至る。
「えらいご機嫌そうだなあ」
僕は面倒くさそうに言った。
「だってえ、一年振りに翔くんに会えたんだもん!嬉しいに決まってるでしょ!」
元カノは、興奮した様子で話す。こちらの不機嫌に気がつく様子もない。
「はあーっ」
大きなため息をつく。
「僕は全く嬉しくない」
別れて久しい彼女から突然、鬼電があり、家に来いと命じられたわけだから、不機嫌は当たり前である。だいたい、僕の方からフったので未練もないのだ。来る理由もない。
「さっさと帰りたいくらいだ」
「えーっ!ひどい!」
元カノはそう言って拳を握り、頬を膨らませて怒ってみせる。オーバーリアクションというものか。まったく。こんな様子も付き合っていた頃と変わらない。
しかし、なんとはなしの違和感が、
「おい、お前左腕どうしたんだ」
「えっ?あー、左腕ねー。自転車で転んで折っちゃってさ、その、今はこうして下におろして固定してるんだわ」
元カノは、左腕を袖に通さず、Tシャツの下にしまっている。
「まじかよ。左が利き手じゃなかったか」
確か出会った頃、「私左利きなんですぅ」と自慢された記憶がある。
「そうなのよー。利き手が使えないんで、えらい不便なのよ」
「そりゃそうだ」
「肩から指まで全部包帯巻いて固定だからね」
「ったく⋯どんな転び方したらそんな怪我するんだか。気をつけなさいよ」
本当にどうしようもないバカである。
「あら、もしかして心配してくれてる?翔くん」
「お前みたいな阿呆を見たら誰だって心配してくれるさ」
僕は吐き捨てる。
「あららー照れちゃってぇ。まあ、いいわよ。そういうことにしておいてあげる」
勘違いも良いところだ。
「はぁ」
ふと腕時計を見ると午後八時を指していた。もうここに来て2時間ほど経つ。そろそろ帰らないと晩飯が遅くなってしまう。
「なあ、急に呼び出したのに、なんの用もないならもう帰るからな」
僕はそう言って立ち上がろうとする。
「あっ、待ってよ!せっかく1年ぶりの再会なのに」
元カノが叫んで、僕のシャツにしがみついてきた。僕はその手を剥がそうとする。
「やめろって。もう帰らないと晩飯が遅くなるんだよ。離せって」
僕がそう言って元カノをなだめようとすると、彼女は、ひらめいたように言った。
「それは大丈夫!ほら、翔くんの分もご飯作っておいたから。一緒に食べよ?」
「は?え?」
こいつ、晩飯食わせるつもりで呼んだのか。
「何驚いてんのよ。こんな時間に人を呼ぶんだから当たり前でしょ」
僕が唖然としていると、元カノの方が不思議そうな顔をした。
「そういうわけにも⋯」
僕はためらったが、彼女は食い下がる。
「ねっ!いいでしょ?」
良くない、良くない。僕はもう帰らないといけない。なぜなら⋯、いっそはっきりと言ってしまったほうがいいだろうか。
「なによ、晩ごはん食べていけない理由でもあるの?」
僕が躊躇していると、元カノは上目遣いで凄んできた。
「あ、いや⋯その⋯」
その剣幕に怯んで、押し黙る。オワッタ。そうなればもう僕の負けである。
「いいでしょ?ほら、座って。ご飯温めてくるから」
元カノはそう言って僕を座らせると、キッチンの方へ駆けていった。
「ふぅーっ」
自然とため息が出る。どうしてこんな事になってしまったんだろう。
僕と元カノとの出会いは5年前、大学2年の夏のことだった。
ある日、僕は先輩に無理やり誘われた合コンに参加することになった。引き立て役、として。男女3人ずつ。そして、女の子側の一人が当の元カノだったのである。その時、先輩がお目当てにしていたのが、元カノだった。
しかし、全員が集合し、席に座るやいなや、元カノは僕に、付き合ってください、といきなり告白してきたのだ。
(お願いします!あなたに一目惚れしてしまったんです!)
(は?え?)
唐突な告白に困惑した。ちらりと横を見やると物凄い形相の先輩が僕を睨んでいる。殺気を全身で浴びながら、僕はなんとか断ろうとした。
だが、彼女は全く聞く耳を持たず、付き合ってくださいの一点張り。
開始早々、合コンは波が引いたように静かになった。隣の先輩も口をあんぐりと開け、元カノと一緒にいた女子共もドン引きしている。その空気に耐えられなくなった僕は、愛を叫び続ける女を引っ張り出して、逃げるように店から出た。
(突然何を言い出すんですか!)
僕は女に怒鳴ると、女はびくっと怯えたような表情を見せた。
(ごめんなさい。ごめんなさい。許してください!)
先程までの強気の告白から一転、元カノは謝り始め、何度も頭を下げてきた。僕に向かってごめんなさいと連呼し何度も頭を下げる、その尋常でない様子に、周りを歩く人がなんだなんだと騒ぎ始める。
僕は慌てて彼女を落ち着かせようとした。
(い、一旦落ち着いて、ね、ほら、あそこ座りましょうよ)
とりあえず、近くにベンチがあったので、そこに座らせて落ち着くまで待つことにした。
(私、空気が読めないって言われるんですよ⋯)
少し落ち着いた彼女はそう言った。そして、彼女は自分の身上話をポツポツと語りだした。
元カノは、小中高とずっと虐められてきたこと、親にすら気味悪がられていること、誰にも理解してもらえないことなど、悲惨な過去を語った。
僕は、彼女の話を聞いている間に、すっかり同情してしまった。
彼女は黒歴史を一通り語り終えると、不意に言った。
(あの、さっきのお返事は?)
(へ?)
(だから、私の告白の)
いきなり告白の返事を求められた。
(なんというか、昨日の今日で返事するわけにも⋯)
やんわりと断ったつもりだったが、
(じゃあ、連絡先交換しませんか)
と彼女は諦めない。
(LINE教えてください)
(は?)
(駄目なんですか)
元カノは身を乗り出してきて、僕に迫った。僕は怯み、携帯を取り出し、LINEを交換してしまった。仕方がない。断ったらどんな騒ぎになるかわからないから。
(ありがとうございます)
(あ、うん。じゃ、僕帰らないと)
(え!?帰っちゃうんですか)
これ以上関わるのはまずいと思い、僕はそこから逃げるようにして帰った。
その次の日から、毎日のように元カノから連絡が来るようになった。それだけならまだいいのだが、大学が同じなので、授業の時間以外、常に付きまとわれていた。
元カノは、朝の通学時には僕の乗っている車両に乗り込み、大学でも同じ授業の時はずっと隣、昼飯も必ず僕のところに来て、バイト先のファミレスでは僕のシフトの間中、ずっと客席に居座るという、週刊誌の記者顔負けの密着ぶりだった。
そうこうしているうちに、気づいたら僕の家に住み着くようになっていたのである。
1年前、このままではまずいと思い、僕は彼女に別れを告げた。同棲していた家は引き払った。
彼女とは完全に縁を切るつもりだったが、せめてLINEだけは残してくれ、じゃないと今ここで死ぬ、と脅され、しかたなく残してしまった。
その後1年間、音沙汰もなかった。その間に、僕は新しい女性と出会い、交際を始めた。僕たちは同居している。順調に幸せな生活を送っていた。
が、今朝、元カノから一年ぶりに電話がかかってきた。一年間全く連絡がなかったため、すっかり警戒心の失せていた僕は、その電話を取ってしまった。昔のことを謝りたい、家に来てくれと言ってきた元カノに騙され、敵陣にノコノコとやって来たわけだ。
「ごめんねー、時間掛かっちゃって」
ようやく、元カノが電子レンジで温めた晩飯をお盆に乗っけて持ってきた。
こんな女だが、料理だけはうまかった。4年間別れることができなかったのは、胃袋を掌握されていたことも要因だろう。そんなことを思い出す。
「はあ、早く帰りたいってのに」
僕はあからさまに不機嫌な態度で言った。
でも、元カノは構わず
「今日の晩ごはんは、麦茶、豆腐と小松菜のお味噌汁、白ご飯、ひじきの煮物、お肉のソテーでーす」
と給食委員みたく料理の説明をしていった。
「説明はいいから」
「お、そんなに食べるのが待ちきれないかね、そーかそーか」
元カノは調子に乗って誇る。相手にしていられない。そして、元カノは僕の向かいに座った。
「さ、どうぞお食べ」
「はいはい」
僕は仕方なく箸を取る。まず味噌汁に口をつけた。普通の味噌汁である。
「ご感想は?」
「普通」
「ええー」
元カノは大げさに残念がって見せる。
今度は、煮物に手を伸ばす。うん。これは美味い。口の中に懐かしい味が広がる。4年間食べ続けた味だ。世間ではこの感覚をおふくろの味などというのだろうか。僕の場合、元カノの味だが。
「煮物のお味は?」
「普通だ」
「ええー」
「普通に美味い」
「あ、そお?」
顔を上げると、元カノはまんざらでもなさそうだ。片手で頬杖をついてニマニマしている。
「そこまで踏み込んだ褒め言葉を聞けるとは思いませんでしたー」
「どこが踏み込んでるんだか」
僕は呆れてそう返した。
次は、茶碗を取る。中身は白飯だ。一口食べる。
「ご飯のご感想はー?」
「は?」
僕は茶碗の中を覗く。ただの白飯だろう。
「白飯の味にご感想なんぞあるものか」
「えー、わからないの?」
「なにがよ」
「味。愛を炊き込んだのに」
「ぶっ!!」
僕は思わず吹き出した。米粒が座卓の上に飛び散る。
愛を炊き込んだとは何事か。中二病じゃないんだから。痛すぎる。やはり元カノ構文である。
飛んだ米粒を拾う。
「翔くん、お行儀悪い」
「うるせえな」
元カノの視線を感じながら、白飯を食い終わる。人にジロジロ見られると食べづらい。
白飯が終わり、最後の肉のソテーに手を伸ばした。箸で肉を一つ取り、口に運ぶ。
「ん?」
手が止まった。
「どうしたの?」
「いや、」
なんだろう、今まで食べたことのない味が口に広がる。なんというか、少し酸味の効いた料理だ。
「ふふふー」
「あ?」
顔を上げると、元カノは高揚した様子で僕を見つめていた。
「なんだよ、ニマニマして気色の悪い⋯」
「いやーなんでもないよー」
「フン」
箸で肉をもう一欠片取って口に入れたとき、ガキッと歯に何かがあたった。
「痛って」
それを口から出すと、金属片だった。
「おいおい、異物混入とは聞いてないぞ」
元カノはニヤニヤと僕の顔をじっと見つめている。
「おーい」
「えっ?ああ、ごめん、何?」
「肉の中にこんなもんが入ってたぞ」
僕はその金属片を元カノに見せた。
「ごめんごめん。混じっちゃったかな」
「まったく、気をつけろよ。人に食わせる飯なんだから」
「ごめんって。そんくらい食べちゃっても問題ないでしょ」
「あのなあ、そういう問題と違うだろ」
「だからごめんて」
「はあー」
仕方なく料理を食べ続ける。酸っぱい。まったく、この女はスーパーでタダ同然の腐りかけた安物の肉でも買ってきてそれを僕に食わせているんだろうか。
「なあ、この肉いつ買ってきたんだ?」
僕は肉を箸でつつきながら言った。
「はっ?」
「いや、ちょっと悪くなってるんじゃないかと思って」
「いや、そんなことないっしょ」
元カノの顔が引きつる。
「黙って食べなさいよ」
元カノの声に苛立ちが見える。だが、これははっきりといったほうがいい。
「この肉、不味いぞ。筋も多いし。腐ってるんじゃ⋯」
バンッ
元カノが座卓を叩いた。
「あんた、さっきから不味いだの腐ってるだの、いい加減にしなさいよ」
元カノは僕を睨みつける。
「だってさあ、変な味するし。粗悪品⋯」
「っ!」
元カノは絶句したかと思うと、
「ひどいっ!!最低っ!何が粗悪品よ!、うわあああ!!」
と叫んで大声で泣き出した。
大声で泣かれてこっちが困惑してしまう。
「分かったわかった。ごめんて。悪かったよ」
僕は慌てて元カノをなだめる。
「不味いのは肉であって、何もお前の味付けの話じゃないよ」
元カノは、キッと僕の方を睨んだ。
「不味いんでしょ!粗品なんでしょ!!」
「なあ、悪かったよ⋯。ホントに。料理自体は美味いからさ⋯」
「翔くんは何も分かってないっ!!」
元カノは座卓をダンッと叩くと勢いよく立ち上がった。
「ごめんごめん。悪かったって⋯」
「サイテー!もう知らない!!」
こちらの再三の謝罪も甲斐なく、元カノは、に台所の方へ消えてしまった。
「うーん」
どうしたものだろう。元カノが台所に立ち去ってから、30分、一向に戻ってくる気配がない。
不味いと言ったことに、相当ご立腹のようだ。確かに、料理自体を美味いと言ったところで、一言でも不味いと言われれば、あれくらい怒ってもおかしくはない。ましてやあの女のことだ。よっぽど僕に晩飯を食わせるのを楽しみにしていたのだろう。僕が飯を食っていた間も、ずっと嬉しそうにしていた。
僕は空になった皿を眺めながら、口の中を舐めた。スジが歯に挟まっていて、なかなか取れない。
それからもう30分、元カノは台所から出てこなかった。一時間も待たされた僕は、痺れを切らして帰ることに決めた。
一応挨拶だけして帰ろうと、台所を覗く。
「なあ、もう僕、帰るぞ」
台所の隅で蹲る元カノにそれだけ言って、玄関に向かおうとする。
「待って!」
後ろからパタパタと足音がして、元カノに呼び止められた。振り向くと、元カノが僕の腕に片手でしがみついてきた。
「ごめんなさいっ!私、無理やり呼び止めたのにあんなこと言って」
元カノは謝りながら、大粒の涙を流して、潤んだ目で僕を見つめている。さっきまでブチギレていた女が急にしおらしくなるからこっちまで申し訳ない気分になる。
「あ、いや、僕も悪かったよ。あんなこと言って」
「私が悪いの!」
「うん、あ、いや、僕は、せっかく作ってくれたものを⋯」
「ごめんね⋯」
元カノは鼻をすすりながら、僕の胸に顔を埋める。こんなに泣かせるなんて、よっぽど僕にご飯を食べてもらいたかったんだろう。この女が可哀想になってきた。
「ありがとな、ほら、片腕しか使えないのに一生懸命作ってくれて」
僕はそう言って彼女の折れた腕に触れようとする。その瞬間、
「ダメッ!!」
元カノは叫び、肩に触れた僕の手を振り払った。目は大きく見開かれている。僕は驚いて手を引っ込めた。
「悪い!怪我してんのに触っちまって」
「あ、いや⋯。ううん。大丈夫!」
今度は元カノが慌てて取り繕ったような笑顔を見せる。
「ごめん、驚いちゃって。でも大丈夫。もう治りかけであんまり痛くないから」
「あっ、そう?」
少し安心する。それでも怪我は怪我だ。突然触られたら驚くのも無理はないだろう。
「そうなの。もうすぐギプスも取れるから」
「そうかい、そりゃ良かった」
「⋯」
「⋯」
無言になると、元カノは僕に抱きついてきた。
「おい、」
「⋯⋯」
返事はない。仕方なく、そのままにさせておく。
元カノが離れてくれないので、台所を観察することにした。
全体的に少し散らかったキッチンである。晩飯を作るのに使ったであろう鍋やらフライパンやらがそのままおいてある。洗い場の横の乾燥棚には汚れた出刃包丁が干してあった。奥の方に目をやると、圧力鍋がガスコンロの上にセットされている。ゴミ箱は一杯で、野菜のゴミやらが覗いていた。
まだ、スジが歯に挟まっている。
突然寒気がして震えた。
「どうしたの?震えて」
泣き止んだ元カノが顔を上げた。なんだ、もう収まったのか。
「いや、風邪かな」
「真夏なのに?」
「夏風邪だろ。伝染るぞ」
僕がそう言うと、元カノはムッとして僕の胸から離れた。
「じゃあ、僕はいい加減に帰るぞ。もう遅いからな」
流石にもう帰らないと、今カノが気を悪くする。
「待って、翔くん」
「今度はなんだよ」
呼び止められるのも本日3度目である。
「もう遅いんだし、泊まってかない?」
「は?」
「一応来客用の布団あるし⋯」
元カノが、居間の方を指さす。隅に布団が畳んであった。
「はあ?いやだよ」
元カノはキョトンとしたが、直ぐに納得したような顔をした。
「嫌なら翔くんに私のベッドで寝てもらって、私が布団で寝るけど⋯」
「⋯」
「何よ」
嫌だと言ったのは、床で寝ることではなく、ここに泊まることである。どこで寝るかの問題ではなく、僕に泊まる意思自体ががないことがわからないのか。
「泊まらないって言ってるだろ」
「何よ。寝床に不満?」
全く見当違いだ。
「だ、か、ら、僕は帰って自分家で寝るんだよ」
元カノは不満げな顔をしている。
「なんでよ。泊まっていけない理由でもあるの?」
迫られる。やはりこの女にはさっさと本当のことを言って諦めていただいたほうが得策だろう。
大きく息を吸う。
「実はなあ、彼女が家で待ってるから帰らなきゃいけないんだよ」
「っ!?」
元カノが絶句する。そうだよ、僕には彼女がいるんだ、家で僕の帰りを待っている。こんなところで油を売っている場合じゃない。
「そういうことだったんだ」
元カノが僕を睨んで言った。僕も彼女に向き直る。
「ああ、黙ってて悪かったよ。そういうことだから、僕は帰る」
「そう⋯」
元カノはそう呟くと、うつむいた。少しばかり胸が痛むが、拒否をほのめかしてもわからないバカモノにはきっぱり言うしかないのだ。
「そういうわけだ。じゃあな」
僕は元カノに背を向けると、玄関の方へ歩き出した。彼女もついてくる。
「翔くん」
僕が靴を履いていると、元カノに名前を呼ばれた。振り返ると、元カノは、泣き腫らした顔をしていた。
「ん?」
「私ね、まだ翔くんのことが好きなの。全部一緒になりたい」
突然の告白。まあ、
「知ってるよ。でも――」
「うん、だからどうってわけじゃなくて、その―――」
僕は黙って彼女の次の言葉を待つ。
「今日は少しでも一緒になれてよかった。」
彼女は少し切なげに言った。
「そうか」
「次はぜ⋯」
元カノは何かを言いかけて止まった。
靴紐が結び終わったので、立ち上がる。
「なにか言いかけたか?」
「ううん、なんでもない」
彼女が右手で僕の手を握る。
「またね、翔くん」
「ああ、さよなら。ごちそうさま」
玄関の扉を開き、外に足を踏み出す。
「翔くん」
最後にもう一度名前を呼ばれた。
「また、食べてね」
すっかり真っ暗になった夜道を駅に向かって歩く。この季節、深夜でもまだ暑い。だが、僕はなぜかずっと寒気がしていた。
(夏風邪ひいちまったかな。)
疲れる一日だった。だが、家に帰えれば今カノが待っている。それだけで少し気分が軽くなった。
(遅くなったこと、どうやって言い訳したものかな)
まさか、元カノの家に行って晩飯まで食べたとは言えまい。しかも泊まるように言われたのだ。
(会社の人と飲みに行ったとでも言うかな。あ、でも何を食べたか訊かれたら――)
今日食べたものをそのまま言えばいいか。別に居酒屋で出てきてもおかしいものではなかったはずだ。味噌汁、煮物、白飯、肉のソテー。
(あの肉は不味かったな)
未だに歯に挟まっている筋が気になる。
(どこに言ったのか訊かれたら――)
適当な居酒屋の名前を考えておくか。
(今日は少しでも一緒になれてよかった)
不意に元カノの言葉を思い出した。思わずニヤつく。自ら振った女でも、あんなことを言われたら嬉しくないこともない。
(ん?)
近くの駅から電車に乗った時、突然違和感に襲われた。
なにか変だぞ。あの女――、一緒になれてよかったと言ったか?一緒にいられてよかったではなく?
一緒になれてよかったとはどういうことか。結婚したわけでもあるまいし。まあ、あの女のことだ。これくらい変なことではない。
そんなに俺のことが好きだったのか。まったく。
自宅の最寄り駅で電車から降りる。改札機でICカードをかざす時財布を左ポケットに入れていたので少し時間がかかってしまった。
(そういや、なんで改札は右手なんだろう。あ、そうか、世の中の殆どの人間が右利きだからか)
ふと、元カノが左利きだったことを思い出す。左腕を骨折して、大変だとか言っていたな。
(ダメッ!!)
僕が触れようとしたら、彼女はひどく動揺していた。本当に驚いて、隠すように――
胸がざわつく。
あのスジがまだ歯に挟まっている。
あの、酸っぱい、スジの多い肉。骨折したという左腕。肉を食べる僕を見つめる恍惚の表情。
(少しでも一緒になれてよかった)あの言葉の意味は――――
頭の中で、違和感が次々と一つの線で結ばれてゆく。
足の指から頭髪まで、寒気に襲われ、全身の毛が逆立つ。
あの、汚れた出刃包丁――――
恐ろしい光景が脳裏に過った気がした。
「ウッ」
激しい吐き気がして、とっさに道端の排水口の上にしゃがんだ。口を開く。
が、何も出てこない。よだれがダラダラ垂れるだけだ。
僕は立ち上がると、何かがこみ上げてくるのを必死で抑えながら、走り出した。脳裏に浮かぶその光景をかき消そうと、大声で叫びながら、とにかく走った。
「うわああああ!!!」
道を歩いていた婆さんが腰を抜かして倒れたが、かまっていられない。
警察官やら、酔っぱらいやらを突き飛ばし、僕はそのまま、真夜中の道路を駆け抜けた。
その後、どうなったかは覚えていない。
だが、
「翔ちゃん大丈夫?」
気がつくと、もう朝になっていて、僕は自宅のベッドの上で、今カノに起こされていた。
「12月24日、クリスマスイブの夜6時のニュースをお伝えします」
テレビのアナウンサーが告げる。
そう、今日はクリスマスイブである。
僕は仕事の休みを取り、朝から同居している彼女と、ツリーの飾りつけやら、買い物やら、ケーキ作りに勤しんでいた。
今は作業を一通り終え、晩御飯時までの間、テレビを眺めてのんびりしている。
「そう言えば翔ちゃんとのクリスマスイブは始めてね」
ソファで隣りに座った彼女が呟いた。
「そう言えばそうか。付き合ってからまだ1年経ってなかったか」
「初めてよ。記念すべきクリスマスイブじゃない!」
はしゃいだ様子でそう言って、彼女は僕の腕の中に飛び込んできた。
「うおっ」
慌ててそれを受け止める。
「なんだよ、浮かれてんの?」
彼女の頭を撫でる。
「だってぇ、嬉しいんだもん」
彼女は満面の笑みでそう言った。
僕は、彼女が普通の女性であることに何よりも魅力を感じていた。とにかく、付き合っていて安心感がある。余計な心配をしなくていい。彼女の方は、僕が知的そうなので好きなんだとか。
なんでも、こんなに僕のことを好いてくれる普通の女性がいて、僕は幸せだ。
そんな感傷に浸っていると、アナウンサーの読み上げるニュースに耳が反応した。
「横浜市〇〇区で、25歳の女性が行方不明になりました――」
一瞬思考が止まる。
「あらやだ。私と同い年じゃない」
横で彼女がなにか言っている。
横浜市〇〇区?それって確か―――
いや、まさか、そんなわけないよな。
そう否定しつつ、鼓動が早くなるのを感じる。
「行方不明届を出したのは、〇〇区に住む黒沼洋子さんの家族です」
ドクン
心臓が痛いほど高鳴るのを感じた。
黒沼洋子――、元カノと同じ名前――
全身を寒気が襲い、身震いがする。
「⋯ちょっと」
「⋯」
「ねえ、翔ちゃんってば!」
肩をゆすられる。
「うえっ?」
彼女に呼ばれていたことに気づき、正気に戻った。
「インターフォン、鳴ってるよ」
「えっ?ああ、」
玄関のチャイムが何度も押されていることに気づく。
「ああ、出ないとな、うん」
吐き気が込み上げてきた。
「ウっ」
「どうしたのよ」
後ろで彼女が言った。
「ごめん、ちょっとやばい漏れそう。出てくんない?」
「ええー、いいけど。大丈夫?」
「うん、大丈夫だから。うん。頼んだよ」
僕はそう言って、便所に駆け込んだ。
便器を抱えて、大量のゲロを吐く。
昼間食べたフライドチキンの味がした。胃液のせいか、少し酸っぱい。
頭がチカチカする。
ああ、酸味のある不味い肉――――
(左腕ねー。自転車で転んで折っちゃってさ)
朦朧とする意識の中、次々とあの日の光景が浮かぶ。
笑いながら左腕を叩く彼女。強引に晩ごはんを食べるように説得してきた彼女。左腕に触れると何かを隠すように、異常なほど強く拒否をした彼女。
肉料理を食べる僕を恍惚として見つめていた彼女――
その左腕――――
吐いても吐いても収まらない。
(少しでも一緒になれてよかった)
元カノの言葉が脳裏に響く。
あの肉は消化吸収され、今、僕の体と一緒になった。
「オエっ」
胃がひっくり返ったように、また、嘔吐する。
外から、荷物を受け取る音、重い箱がドスンといくつも置かれる音がした。
「えっ?うそー何箱あんのよ。ちょっと、翔ちゃん」
便所の扉が叩かれる。
「翔ちゃん!宅配便だよ、翔ちゃん宛の」
彼女が大声で叫んでいる。
段ボール箱を引きずる音がする。
中からゴトゴトと音が聞こえる。
「これ重くて運べないよー。ねえねえ翔ちゃん、まだあ?」
彼女が急かしている。
「もう。一体何が入ってんのよ。誰よこの送り主。ん?差出人、黒沼洋子?」
元カノの名前。
視界が眩む。
(また、食べてね)
(全部一緒になりたい)
元カノは、そう言っただろうか。
ねえ、翔ちゃん、早く出てきて運ぶの手伝ってよ―
彼女の声が遠くに聞こえた。
早く冷凍庫に入れないと。これ、全部ナマモノだから
この小説を書こうと思ったのは、古本屋であるホラー小説を買ったことがきっかけである。
犬を食べる人。そこから、食の禁忌を思いつき、一気に元カノからのおくりもの、本当の融合というこの話の流れを考えた。
小説なんぞ書くのは初めてである。なかなか良き経験だった。
みなさんも、特大の荷物が届いたら、ちゃんと冷凍庫にしまおう。




