自由意思の復活
以前も書いたがリベット博士の実験という有名な実験があり、現代の脳科学は特に意識ではこの人の実験結果をもとに理論が組み立てられてる。だがこれ重大な穴を発見してしまった。これは新理論を打ち立てるんじゃない。あくまで穴があるのを発見してしまった。
彼の実験は行動を元にしたもので、行動と切り離されたものを扱ってない。何の事だ?これはかなり未確定な情報が多い。ただリベットの博士の実験の穴としてはぜったに見過ごせない不安定な情報になる。脳には前頭葉から直接記憶に流れる回路がある。
それが何か?これが恐ろしく重要なんだ。世界で誰も個の批判をしてない。理由は、リベット博士の実験の時代にこの前頭葉の記憶の回路は発見されてなかったからだ。抜け道が後から発見されたが、先にリベット博士の実験を元に脳全体論が数多く出てしまったからだ。私はそれを再考してるんだ。
彼らは論の進化的な理由で過去に戻って訂正を考えない。ゆえにそれらから自由な私が穴をつついてる。これが元で彼らの論が壊れる可能性もある。そりゃ隠蔽されたのか?そうじゃない、論とはこういうものなんだ、前の実験を土台に作った論の科学者は気が付きにくいんだ。
その前の実験自体の解釈の穴ね。あくまで解釈の穴、でもその解釈が元になって今の大半の脳科学の全体論は組み立てられている。
リベット博士の実験は行動に移した意思の解釈の話で、行動に移さなかった意思については実験は全く意味をなさない。そもそもリベット博士は準備電位という行動に関する事前の状態変化に対する詳細な実験だった。それゆえに意思や意識の実験ではない。あくまで行動を伴う意思の実験となる。
前頭葉も無意識が起点を作り出すので自由意思は確かに無い。だが前頭葉は再帰してループする。そこに意思が入りまくる。長期的な計画は自由意思が作り出すのだ。起点は無意識なんだろう?それは多分全く重要じゃない。計画何て起点が重要じゃないのは、その計画を実行しようと決定したのは間違いなく自由意思だ。
起点きっかけが無意識だったなんて些細な事なんだ。なんとなくで始めた計画を練り上げたのは自分の意思だ。そもそも起点を動かしたスタートは怒りだったかもしれない。思考じゃなくて怒りならなお古い命令なので、起点のさらに上の起点が結局自分の感情なら納得するだろう。
何故怒り?私はこれハムレットに似てると見たんだ。あれは最後以外行動に移さない。ずっと物語を流れるのはあーでもないこーでもないを繰り返しながら計画を練り上げる決断できない逡巡の復讐物語なんだ。ハムレットの計画は多分リベット博士の実験に引っかからない。
実行を決断して、記憶に計画を保存するまで延々と行動には流れずに、頭の中でループを繰り返す自由意思。これこそがハムレットの逡巡の正体。最後に彼はいつのとき?どんな状況で、しょうさいにつめて実行を決意して記憶に保存するが、結構は王座に座る復讐の相手を目の前にするまでは実行されない。
これらはリベット博士の実験に引っかかるような情報漏洩が許されないのだ。動揺すら出さないのが理想的だ。でも多少は漏れてしまうだろう。でもそれをさすがに行動に移すというのはハムレットが気の毒だ。それはイレギュラーなおもらしだ。あくまで玉座に座る敵を刺すまでは彼の準備電位は発生しない。
リベット博士が否定したが、我々は計画において自由意思を持つ可能性がとても高い。計画は自由意思の元作られてる可能性がとても高い。これは可能性の話だ。私は壮大な新理論を打ち立ててない。ただ私はリベット博士の実験の解釈とそれをもとにした現代の脳科学の理論の土台に重大な穴があると指摘してるんだ。
これは論を立ててぶつけて批判してるのじゃない、リベット博士の実験についての穴をついてるのだ。脳科学者なら誰しもが知ってる前頭葉からの後頭部に流れない脳内で完結する思考の記憶という穴だ。
分かりやすく言うとこれは時限爆弾だ。それゆえに既存の脳の情報処理と外れている。でも実行時期を明確に指定した計画の記憶はある時期というトリガーによって確かに起点となって、準備電位を伴った行動として、リベット博士の実験の流れにきちんと乗る。
その起点の計画は間違いなく自由意思の産物なのだ。回りくどい言い訳めいてるか?なら違う。人間は動物的じゃない遅い処理を作ったんだ。高速処理においては間違いなくリベット博士の解釈は正しい。だが人間の行動はすべてそれらより遅い。むしろそういったのんびりした行動の方が人間は多いんだ。
私は人間においてはこの動物的な高速処理がそんなにされないのじゃないか?と見てる。あれそれじゃ人には自由意思などないってんは?多分皆が思ってる内省による行動は大半が正しい。人は高速に思った事をすぐ実行する機会があまり多くない。それゆえに、思考、意思、行動においてそんなに日常生活でずれは無いのじゃないか?と見てる。
かつ人間は、その不注意でそっそっかしい行動はそんなに重要な行動だろうか?重要な行動は慎重で計画的ではないだろうか?数で言えば高速処理は多いのかもしれないが、その大半を占める行動は人間においてそんなに銃な行動といえない事が多いのではないか?
ここぞという場面だけで自由意思が働き後は自動ロボットみたいな行動でも多分人は問題ないんじゃないか?私が想定する高速処理と重要さは危険になる。危険の回避は多分高速処理で重要な決断となる。私はこれ自由意思じゃない方がありがたい…。
えええ??となるが、これ考えれ分かる。じっくり考えて危険を避けるより、考える前に行動でまず危険を回避してくれる方がありがたい。そんな状況で自由意思など欲しくない。だからこそ危険な場面で冷静になれというのがある。状況によっては、高速なそっそっかし動きが命取りになるからだ。
言ってる事が違わなくない?危険な状況で対人はちと違うんだ。訓練学習としてこのときは、自由意思を手放さない訓練があったほうが良いかもしれない。もちろん状況によるが、多くのケースでこういう場合はすぐに行動を起こさないほうが良い。まあイレギュラーなケースなのだが。
もう一度言うが、これは穴であり、リベット博士の実験が間違っていたわけじゃない。定義の問題になる。後から実行される計画に含まれる自由意思は自由意思を起点とした行動じゃないのか?って批判的視点だ。それを自由意思と呼んで良いのか?という批判が私に向けられても当然だと思ってる。
私がしてるのはリベット博士の実験の解釈は間違っていたじゃない。定義の問題。自由意思によって建てた計画が実行されるときそれは自由意思によって人は動くと言えるのではないか?という話だ。そんなのまず例外だろう?いやそこで、この例外は数が少ないが人間にとってものすごく重要な自由意思の発露なのだ。
ちょっとずるいが、私は新しい論を立ててるわけじゃない、何故なら、前頭葉と記憶の関係はすべてが明確になったものじゃない。じゃ駄目じゃないか?違う。私はずるいと言ってる。私はあくまでリベット博士の実験の解釈は穴がある可能性があるという可能性を話してる。
それゆえ前頭葉と記憶の関係が明らかになって、後頭部の行動との深いつながりが明らかになっても私には何の問題もない。穴がある可能性の話で、かつ脳科学の常識ではこの関係は行動とは一応無関係とされるのが脳科学の一般論では?まだ完全に解明されてない。
だが脳科学の大半は完全に解明されてないものばかりだ。その中で突飛な論が大量にある。その中で私は論を立ててるわけじゃない。タダの可能性から穴があると言ってるだけだ。これは十分に科学的な批判精神の表れといえる。意図的にずるい攻撃方法を思いついたと書いてる。
絶対に失敗しない科学的見解を行ってる。




