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王国騎士団をやめて冒険者になったのに、護衛していた王女がパーティーに加入してきました

作者: 富益 啓
掲載日:2026/05/18

自由だ。


 王国騎士団の詰所を出て三日目。冒険者ギルドの安っぽい木椅子に腰かけた俺、アイザック・ロウは、硬い黒パンをかじりながら心の底からそう思っていた。


 つい先日まで、俺は王国騎士団の副騎士団長だった。給金はよく、宿舎は清潔で、街を歩けば子供に敬礼される。聞こえだけなら悪くない。


 だが俺には、そのすべてを投げ出しても耐えがたい任務があった。


 第二王女ソフィア殿下の護衛である。


「アイザック、歩くのが早いわ」


「今度は遅いわ。わたくしを退屈で死なせる気?」


「お茶が熱いわ。冷めたわ。今日の髪飾りに気づかないなんて、護衛として失格ではなくて?」


 護衛とは命を守る仕事だと思っていた。けれど俺が守っていたのは殿下の機嫌だった。しかもそれは春の空より変わる。剣技より茶の温度を読む力が求められる日々に、俺の中で張り詰めていたものは、とうとう音もなく切れた。騎士学校の教本には、王女の沈黙が怒りなのか寂しさなのかを見分ける方法までは載っていなかった。


 騎士団では、私情を挟まないことが美徳とされる。守る相手に好悪を感じた時点で、護衛としては失格だ。だから俺は十年間、殿下の言葉をすべて任務として受け取った。感情で受け止めていたら、とっくに壊れていただろう。その代わり、俺は殿下の言葉の裏を読む力を、自分で捨てたのかもしれない。


 陛下には「広い世界を見て己を鍛え直したく存じます」ともっともらしく辞表を出した。団長には笑われ、副官には泣かれ、後輩にはなぜか拝まれた。


 ソフィア殿下だけは、最後までこちらを見なかった。


「そう。あなたが勝手に決めたことなら、わたくしには関係ないわ」


 窓の外を向いたままの横顔が、妙に胸に残っている。十年も王宮にいれば情も湧く。それだけだ。俺はそう言い聞かせ、冒険者になった。


 最後に礼を述べた時も、殿下は「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。だが俺が扉を閉める直前、衣擦れの音だけがした。振り返ればよかったのかもしれない。いや、振り返っていたら辞められなかったかもしれない。だから俺は、今でもその音の正体を知らない。


「アイザックさん、暫定Cランクで登録完了です」


 受付嬢のミーナが登録証を差し出す。


「元副騎士団長ならもっと上でもいいと思うんですけど、規則なので」


「構わない。一から始める方が気楽だ」


「では気楽ついでに、パーティーメンバー募集を出します? 護衛依頼中心なら、魔術師が一人いると便利ですよ」


 俺は頷いた。ミーナは募集札に「初心者歓迎、性格重視、元騎士が基礎から教えます」と書く。


「変な人が来ても怒らないでくださいね」


「王宮に十年いた。たいていの変な人には慣れている」


 その三十分後。


 俺の前に、深くフードをかぶった少女が立った。


「わ、わたく――こほん。わたしを、あなたのパーティーに入れなさい」


 声に聞き覚えがあった。顎を少し上げる癖にも、銀髪を隠しきれていない雑な変装にも、靴だけ王都の高級仕立て屋のものという金銭感覚にも、たっぷり覚えがあった。


 だが、まさか第二王女殿下が冒険者ギルドにいるはずがない。いたら国が揺れる。つまり人違いである。


「応募ありがとう。名前は?」


「ソ、ソフィよ」


「登録証は?」


 差し出された登録証には、ランクF、魔術師見習い、ソフィ、十九歳とある。住所欄は空白。端から王宮御用達の香油の匂いがした。


 俺がミーナを見ると、ミーナは全力で目を逸らした。さらに受付台の下から「冒険者の事情は詮索しない」と書かれた規約板を取り出し、自分に言い聞かせるように二度頷いた。


「ソフィ。俺のパーティーでは、身分に関係なく相談して動く。危険な時は俺の指示に従ってもらう。それでいいか?」


 ソフィは胸を張った。


「わたしは寛大だから、あなたに指示を出す権利を一時的に認めてあげるわ」


「育ちのいい新人にありがちな言い回しだな」


「今のをそう解釈するの?」


「違うのか?」


「……違わないわ。たぶん」


 面談を続けると、彼女は光属性の治癒と結界が少し使えると言った。訓練場所を聞けば「王きゅ――大きなお屋敷」と言い直す。事情持ちの新人だ。冒険者にはよくある。俺も募集札には元騎士としか出していないので、深く詮索しないことにした。


「ほかに得意なことは?」


「人を動かすことかしら」


「指揮経験があるのか?」


「いえ、命じればだいたい動くもの」


「それは指揮ではない」


「では、お願いすればいいのね」


「そうだ」


 ソフィは少し考え、両手を胸の前で握った。


「わたしを、あなたのパーティーに入れて……ください」


 言い慣れていないのが丸分かりだった。だが、言い直しただけでも大したものだ。


「採用は試験依頼の後だ」


「今の流れなら採用でしょう?」


「冒険者は流れで採用しない」


「融通が利かないわね」


「命がかかる仕事だからな」


 ソフィは不満げに唇を尖らせたが、それ以上は言い返さなかった。


「明日、薬草商の荷馬車を隣町まで送る護衛依頼がある。初心者向けだ。試験として同行してもらう」


「初心者向け?」


「不満か?」


「べ、別に。あなたならもっと華々しい依頼を選ぶと思っていただけよ」


「俺は自由になりたかっただけで、死に急ぎたいわけじゃない」


 ソフィはなぜか寂しそうに瞬きをした。


「そういうところは、変わらないのね」


「何か言ったか?」


「何も。明日は何時?」


「日の出前。歩きやすい靴、旅用の毛布、水筒を用意しろ」


「最高級の羽毛でもいいかしら」


「旅用の毛布だ」


「分かっているわ」


 分かっていない顔だった。


 念のため、俺は必要な装備を紙に書いて渡した。毛布、水筒、保存食、替えの靴下、雨具。ソフィはそれを見て「宝石類は?」と真顔で聞いた。なぜ旅の必需品に宝石が入ると思ったのか。答えは聞かないでおいた。


 翌朝、東門に来たソフィは、本人なりに地味な服を着ていた。だがブーツだけは魔獣革で、一般家庭が一年暮らせる値段がする。


「歩きやすいものにしたわ」


「それを選んだ知り合いは、金銭感覚を王宮の宝物庫に置き忘れているな」


「なぜ王宮が出てくるのかしら」


「たとえだ」


 東門では、依頼人の薬草商ガレンが既に荷馬車の支度を整えて待っていた。丸い腹を揺らして笑う五十代の男だ。


「元騎士のアイザックさんか。心強いねえ。そっちのお嬢さんは?」


「新人のソフィだ。魔術師見習いとして同行する」


「ずいぶん上品な新人さんだねえ」


「分かる者には分かるのね」


 ソフィはそこで、裾をつまんで優雅に膝を折りかけた。舞踏会なら満点だが、東門の土ぼこりの前でやる礼ではない。


「ソフィ。依頼人への挨拶は会釈でいい」


「そ、そうなの?」


「少なくとも、薬草商相手に宮廷舞踏会を始める必要はない」


「始めていないわ」


「ソフィ。冒険者は依頼人を見下さない」


「見下していないわ。褒められたから、当然の評価を受け止めただけよ」


「その受け止め方が玉座に座っている」


「椅子には座っていないわ」


「比喩だ」


 ガレンは声を殺して笑っていた。


 出発までに保存食を買い足そうと、俺たちは東門前の露店に立ち寄った。ソフィは銅貨二枚の干しリンゴに、金貨を一枚出した。露店の老婆が固まり、ガレンが咳き込み、俺は静かに彼女の手を押し戻した。


「ソフィ。銅貨二枚だ」


「金貨の方が、価値が高いのでしょう?」


「高すぎる。今のは干しリンゴではなく、露店ごと買う出し方だ」


「そ、そう。庶民の経済は繊細ね」


「庶民ではなく市場経済だ」


 王都を出ると、石畳は土の道に変わった。畑の緑が広がり、森から湿った風が吹く。最初こそソフィは胸を張って歩いていたが、二時間もしないうちに歩幅が小さくなった。


「休憩を取る」


「べ、別にわたしは平気よ」


「俺が水を飲みたい」


「なら仕方ないわね」


 道端に腰を下ろすと、ソフィはこっそり足首を押さえた。


「靴擦れだな」


「違うわ」


「怪我を隠す者はパーティーから外す」


 彼女は目を丸くし、しぶしぶブーツを脱いだ。白い足首に赤い擦り傷がある。


「治癒魔法で治すわ」


「小さな傷に魔力を使うな。布を当てればいい。痛いなら痛いと言え」


 包帯を巻くと、ソフィは黙って俺の手元を見つめた。


「……あなた、昔からそうね」


「昔?」


「騎士みたいだと言ったの」


「元騎士だからな」


「そうだったわね。もう、騎士ではないのよね」


 声が沈んだ理由は分からなかった。だが傷を巻き終えると、彼女は少し嬉しそうに包帯を指でなぞった。


 それからソフィは、少しだけ素直になった。ぬかるみの前で俺が手を差し出せば、文句を言いながらもつかむ。水筒が荷物の奥に入っていれば、最初は「水を」と言いかけ、途中で唇を噛んだ。


「水筒を取ってもらっても、いいかしら」


「いいぞ」


「最初からそれでいいじゃない」


「最初からそれで言えばいい」


 ガレンが荷馬車の上で「若いってのはいいねえ」と呟いたので、俺は「新人教育です」と訂正しておいた。


 昼食は黒パンと干し肉、豆のスープだった。ソフィは黒パンを真剣に眺める。


「これは、武器?」


「食べ物だ。スープに浸せ」


 恐る恐るかじった彼女は、意外そうに目を開いた。


「……悪くないわ。毎日は嫌だけれど」


「正直でよろしい」


 ガレンが干し果物を分けてくれると、ソフィは当然のように受け取ろうとして、途中で手を止めた。


「……ありがとう、ございます」


 ぎこちない礼だった。だがガレンは目を細め、「どういたしまして」と返した。


 王宮のソフィア殿下は、礼を言うのが苦手だった。助けても「当然でしょう」と返す。俺はそれを王族の振る舞いだと思っていた。


 もしかすると、ただ不器用なだけだったのかもしれない。


 そう考えてから、俺は自分の思考に戸惑った。なぜ俺は目の前の新人と、王宮に置いてきた殿下を重ねているのか。似ているからだ。声も、癖も、怒った時の眉の寄せ方も、照れた時に耳が赤くなるところも。だが王女殿下が黒パンをスープに浸して真剣に噛んでいるはずがない。やはり人違いである。


 夕方、予定より手前の野営地に入った。ソフィの足を考えると無理はできない。古い石炉と雨よけ屋根のある場所で荷馬車を止め、俺は周囲を確認した。


「ソフィ、結界は張れるか」


「もちろんよ」


「荷馬車を中心に五歩。強度より持続を優先しろ」


 淡い光が地面に広がった。形は少し歪んでいるが、魔力は澄んでいる。


「うまいな」


「当然よ」


「そこで礼を言う練習だ」


「……褒めてくれて、ありがとう」


「どういたしまして」


「変な感じ」


「慣れろ」


 夕食後、薬草茶を受け取ったソフィは香りを嗅いで首を傾げた。


「王宮の茶葉とは違う匂いね」


 俺とガレンの手が止まる。ソフィも止まる。


「お、王宮に納められるほど高級な茶葉とは違う、という一般的な知識よ」


「一般的な町娘の知識だな」


「そうよ」


 ガレンは杯で口元を隠していた。


 夜番は俺一人で十分だったが、ソフィは眠ろうとしなかった。


「わたしも見張るわ」


「初心者に夜番は早い」


「任せなくていいわ。隣にいるだけならできるでしょう」


 わがままというより、不安そうだった。俺は半刻だけ許可した。


 焚き火の前に並ぶ。王都の屋根に切り取られていない星空が、森の上に広がっていた。


「冒険者は毎日こうして眠るの?」


「依頼による。不便だが、空は広い」


「本当ね。王宮の窓から見る空より、ずっと広い」


「王宮に詳しいんだな」


「一般的な比喩よ」


「便利だな、一般的」


 ソフィは膝の上で手を握った。


「もし、誰かがあなたに毎日わがままを言っていたとして」


「うん?」


「その人は、本当にあなたを困らせたかったのかしら。ただ、そばにいてほしかっただけでも?」


 焚き火がぱちりと鳴る。


「困らせるつもりがなくても、困るものは困る」


「……そう」


「だが、理由を聞こうとしなかった俺にも問題はあったかもしれない。護衛なら、言葉の裏を見るべきだった」


 ソフィは驚いたように俺を見た。


「その人が謝ったら?」


「謝られたら、俺も謝る。勝手に限界を決めて、勝手に離れた」


「あなたは鈍いわね」


「よく言われる」


「誰に?」


「副官に。団長に。後輩に。あと、第二王女殿下にも」


 ソフィは小さく息を呑んだ。


「その、第二王女のこと」


「うん?」


「嫌いだった?」


 焚き火の火が、赤く崩れた。


 嫌いだったのか。わがままには困らされた。振り回された。気疲れも積もった。だが嫌いかと問われると、すぐには頷けなかった。


「嫌いではなかった」


 ソフィの肩がわずかに揺れた。


「なら、どうして辞めたの」


「このままだと、嫌いになるかもしれないと思った」


 口にしてから、自分でも少し驚いた。自由になりたかった。それも本当だ。だがそれ以上に、守るべき人を面倒だと思ってしまう自分が嫌だったのかもしれない。


 ソフィは焚き火の向こうで、小さく膝を抱えた。


「自由って、楽しい?」


「まだ三日目だ。黒パンは硬いし、宿代は高いし、魔物は予定を聞かずに出る。楽しいかどうかを決めるには早い」


「それでも、あなたは王きゅ――……元騎士だった頃より、楽そうに見えるわ」


焚き火の薪が、ぱちりと鳴る。


「想像よ。鎧の人なんて、みんな背中が硬そうだもの」


「そう見えるか」


「ええ。少し腹が立つくらい」


「なぜだ」


「わたくし――わたしの知らないあなたを、外の世界が先に知っているみたいだから」


 言ってから、ソフィは慌てて薬草茶の杯に口をつけた。湯気で顔を隠したつもりらしいが、耳が赤いので意味はなかった。


「なら、明日も見ればいい」


「いいの?」


「試験依頼はまだ終わっていない」


「……そういうことにしておくわ」


 その瞬間、結界が震えた。


 俺は立ち上がり、剣に手をかける。


「ガレンさんを起こせ。荷馬車の陰へ」


「何が来たの?」


「森の奥に三つ。重い足音だ」


 暗がりから現れたのは岩角鬼だった。岩のような皮膚と濁った角を持つ、人型の魔物。初心者護衛依頼に出ていい相手ではない。山奥の縄張り争いに負け、街道近くまで流れてきたのだろう。


 ソフィの顔が青ざめる。


「あなた一人で?」


「三体なら問題ない」


「問題ないの?」


「問題にしている暇がない」


 息を整え、剣を抜いて一歩前へ出る。十年の騎士勤めで身体に染みた間合いの取り方は、辞表一枚で消えるものではない。


 一体目が雄叫びを上げて踏み込んできた。振り下ろされる丸太のような腕を、刃の腹で受け流す。岩角鬼の体重がそのまま前へ崩れる。膝裏を蹴り、傾いだ首筋へ刃を滑らせると、皮膚の下の魔石が砕ける鈍い音がした。


 二体目が拳を振り上げる。腰を低くして懐へ潜り込み、伸びた角をつかんで背後へ回る。背中側の魔石の位置は、王国騎士団の教本どおりだった。短く突いて、断つ。


 三体目が、こちらを諦めて荷馬車へ向かった。


「ソフィ、結界を厚くしろ!」


「は、はい!」


 淡い膜が眩しく膨らみ、岩角鬼の拳を受け止めた。膜は軋み、ひびが走るが、まだ割れない。


「もたないわ!」


「十分だ」


 俺は地を蹴り、岩角鬼の足首を斬って巨体を傾けた。落ちてくる頭の付け根へ剣を突き立てる。重い肉の落ちる音がして、静寂が戻った。


 剣についた黒い血を払うと、ガレンが荷馬車の陰から顔を出した。顔は真っ青だったが、荷も本人も無事だ。結界の膜は割れる寸前で残っていた。


「ソフィの結界がなければ荷馬車が壊れていた。助かった」


 振り向くと、ソフィは杖を握ったまま震えていた。


「わたし、何もできなかった」


「結界を張った。怖い中で逃げずに杖を構えた。依頼人と荷馬車を守った。初仕事としては十分だ」


「本当に?」


「俺はお世辞で評価をしない」


「知っているわ」


「なぜ知っている?」


「一般的な観察よ」


 便利すぎる。


 その夜は、結局ほとんど眠れなかった。岩角鬼が街道近くまで出た理由を考え、周囲を警戒し、ガレンの荷を確認する。ソフィは毛布にくるまっていたが、時々こちらを見ていた。


「眠れないのか?」


「目を閉じると、さっきの音がするの」


「初めてなら普通だ」


「あなたは怖くないの?」


「怖い。だから準備をする」


 ソフィは毛布を握った。


「わたし、あなたが戦っている時、何も考えられなかった。でも、荷馬車を守れって言われた時だけ、身体が動いたの。あなたの声だったから」


「指示が通ったなら十分だ」


「そうじゃないわ」


「では?」


「……まだ言わない」


 彼女は毛布を頭までかぶった。耳が赤かったので、寒さではないと思う。


 翌朝、隣町のギルドで依頼完了の印をもらった。岩角鬼の魔石で追加報酬も出る。受付職員がソフィの登録証を見て首を傾げた。


「ソフィさん、住所欄が空欄ですね。宿泊先だけでも記入をお願いします」


「宿泊先?」


「王都で泊まっている宿は?」


「宿?」


「まさか決めていないのか」


「冒険者は、仲間のところに泊まるものではないの?」


「初耳だ」


「だって、あなたはいつも何とかしてくれたもの」


 言ってから、彼女は口をつぐんだ。


「ソフィ。君は、俺と以前どこかで会ったか?」


 彼女はフードの縁を握る。銀の髪が少しこぼれた。


「……会っていないわ。あなたがそういうことにしたいなら」


 ここで問い詰めれば、すべてが分かる。だが今ここにいるのは、足を痛め、黒パンに驚き、礼を言う練習をし、怖くても結界を張った新人冒険者ソフィだ。


 俺は受付職員に向き直った。


「しばらく俺の宿を連絡先として登録しておく。もちろん部屋は別に取る」


 受付職員は笑いをこらえながら頷いた。ガレンは完全に後ろを向いていた。肩が揺れている。ソフィは耳まで赤くなっていたが、否定はしなかった。


 ソフィがぱっと顔を上げる。


「いいの?」


「パーティーメンバーの管理もリーダーの仕事だ」


「リーダー。悪くない響きだわ」


 帰り際、ガレンが荷のくくり直しをしながら、ぽつりと言った。


「アイザックさん。あのお嬢さん、あんたが魔物と戦ってる間、ずっとあんたの方を見てたよ。荷馬車じゃなくてね」


「結界は荷馬車に張っていましたが」


「目はあんたに張ってたね」


「ガレンさん。薬草の納品書、そろそろ確認した方がいいのでは」


「話を逸らすのも騎士の技かい」


 王都へ戻る道で、ソフィはずっと静かだった。城壁が見えた頃、彼女は足を止めた。


「アイザック。わたし、謝らなければいけないことがあるの」


「聞こう」


 ソフィはフードを取った。銀の髪が風にほどける。十年見てきた顔が、そこにあった。


「わたくしは、第二王女ソフィア・レイナードよ」


「だろうな」


「気づいていたの?」


「途中からは、さすがに」


「途中から?」


「最初は、よく似た町娘かと」


「どれだけ鈍いの、あなた」


「よく言われる」


 ソフィアは怒ったように俺を睨んだが、その目には涙が浮かんでいた。


「気づいていたなら、どうして暴かなかったの」


「依頼中だったからです」


「それだけ?」


「それだけではありません」


 俺は少し迷った。王女に言うには無礼で、新人に言うには少し照れくさい言葉だった。


「昨日今日の君は、王宮で見ていた殿下とは違いました。足を痛めて、黒パンに驚いて、礼を言う練習をして、怖くても結界を張った。だから、今はソフィとして扱うべきだと思った」


「……そういうところよ」


「何がですか」


「わたくしが、ずっと見てほしかったところを、あなたは今になって急に見るの」


 責める声ではなかった。悔しそうで、少し嬉しそうな声だった。


「あなたが辞めるなんて思っていなかったの。呼べば来てくれる。怒っても困った顔で聞いてくれる。無茶を言っても、最後には何とかしてくれる。そう思っていた」


「殿下」


「今はソフィ」


「……ソフィ」


「本当は、気づいてほしかっただけなの。髪飾りも、庭園も、図書室も。あなたと話す理由がほしかった。命令すればそばにいてくれると思っていた。でも、命令でしかそばにいられないのは嫌だったの」


 彼女は登録証を胸の前で握りしめた。王家の紋章も宝石もない、ただの木札のような小さな証だ。


「あなたのいる場所に、わたくしが行けばいいと思ったの。王女として命じるのではなく、新人として頼めば、あなたはわたくしの言葉を聞いてくれるかもしれないって」


「王女がそんな簡単に王宮を出ていいわけがないでしょう」


「よくないわ」


「即答ですか」


「お姉様が、正式な市井視察ということにしておくと言っていたもの。たぶん」


「たぶんで王宮文書は動きません」


「お姉様なら動かせるわ」


 否定できなかった。第一王女殿下は、優秀で、豪胆で、面白いことが好きすぎる人だ。


 王都から鐘の音が聞こえる。


「あなたがいなくなって、やっと分かったわ。わたくしは、あなたに護衛としてそばにいてほしかったんじゃない」


 ソフィアは一歩近づいた。


「あなたの隣に、わたくしがいたいの」


 頬は赤く、目は真剣だった。


 俺は一瞬、言葉をなくした。剣を向けられた時より返答に困る。胸の奥が妙に熱くなり、視線を外す理由を探してしまう。


 これは、おそらく、とても大事な場面だ。


 まっすぐ受け取れば、十年分の何かが言葉になって出てきそうだった。だが俺は、その何かをまだ自分でも整理しきれていない。守る相手に好悪を感じてはいけないと自分に課してきた十年が、すぐには解けない。受け取り損ねるくらいなら、一度横へ置いた方がいい。


 だからこそ、俺は慎重に言葉を選んだ。


「つまり」


「ええ」


「パーティー継続希望ということですね」


 沈黙。


「……はい?」


「今回の依頼で適性は確認できました。結界魔法は実戦で有効。依頼人への態度も成長が見込めます。今後も俺のパーティーメンバーとして正式に受け入れましょう」


「ち、違うわ!」


「違う?」


「違わないけれど、違うの! わたくしがどれだけ勇気を出したと思っているの!」


「加入の意思表明にしては、たしかに勇気ある発言でした」


「加入の話だけではないわ!」


「では宿の話も含みますか。部屋は必ず別です」


「そういうところ!」


 ソフィアは真っ赤になって地団駄を踏んだあと、両手で顔を覆った。


「もういいわ。あなたが理解するまで、隣で何度でも言ってあげる」


「それは助かります。連携のためにも意思疎通は大切ですから」


「連携の話ではないわ!」


 怒りながら、ソフィアは笑っていた。涙を少し残した、けれど晴れた顔だった。


 王都の門をくぐると、ギルドの前が騒がしかった。ミーナが入口で青い顔をしている。


「アイザックさん、王宮から使者が来ています」


 俺はソフィアを見た。ソフィアは目を逸らす。


 ギルドの中から、王宮紋章入りの封筒を持った近衛騎士が現れた。俺の元部下だ。


「アイザック元副騎士団長。国王陛下ならびに第一王女殿下より書状を預かっております。それと、第二王女殿下にも」


 封筒の封蝋には、王家の紋章の隣に第一王女殿下の私印が押されていた。あの人、本当に動かしたらしい。俺は頭痛をこらえた。


 封筒の端には、小さな追伸が添えられている。


『妹の社会勉強を任せます。逃げたら王宮から迎えを出します』


 丁寧な筆跡なのに、内容は脅迫だった。自由とは、思ったより足が速いらしい。もう追いつかれている。


 追伸の裏には、さらに小さな字が続いていた。


『なお、北方辺境から街道沿いの魔物出現が増えているとの報告あり。市井視察の範囲内で確認されたし。王宮からの正式依頼は追って通達する』


 第一王女殿下は、抜け目がない。妹の冒険を許すだけでなく、ちゃんと王家の仕事に絡めてくる。そしてこの一文は、俺たちの冒険者としての日々が、いずれ王宮と無関係ではいられなくなることを意味していた。


 ギルド中の視線がソフィアに集まった。彼女は一瞬固まり、それから堂々と胸を張る。


「わ、わたしは新人冒険者ソフィよ」


 元部下の近衛騎士は、王宮仕込みの無表情で頷いた。


「承知しました。新人冒険者ソフィ様」


「様はいらないわ」


「では、ソフィ殿」


「殿もいらないわ」


「では、ソフィさん」


 そこまで言って、彼は助けを求めるように俺を見た。王宮の人間にとって、王女をさん付けするのは竜の背に乗るより勇気がいるらしい。


「よく言えたな」


「副騎士団長時代のご指導のおかげです」


「俺は王族をさん付けする訓練をした覚えはない」


「応用です」


 近衛騎士も、ミーナも、ガレンまで、全員が俺を見る。何とかしろという目だった。


 自由な冒険者生活。王宮のしがらみから離れ、気ままに依頼を受け、広い空の下で眠る生活。


 そのはずだった。


 なのに、なぜか王女もパーティーに加入しました。


 俺は封筒を受け取り、ため息をついた。


「ソフィ。まずはギルドの奥で事情聴取だ」


「冒険者らしい響きね」


「王族らしくない響きです」


「わたしは今、冒険者だもの」


 彼女は得意げに笑い、俺の袖をつまんだ。


「明日の依頼も、わたしを連れていきなさい」


「命令か?」


「お願いよ」


 俺は少しだけ考えるふりをした。


「なら、考えておく」


「そこは即答しなさいよ!」


 ギルドに笑い声が広がる。こめかみの奥がまた少し疼きそうだった。


 けれど不思議と、王宮にいた頃の痛みとは違う。


 たぶんこれは、面倒な依頼を引き受けた冒険者の痛みだ。


 そして俺は今日から、その面倒を少し楽しみにしている。


 認めるのは、まだ少し先でいい。


 なにしろ俺は、鈍いらしいので。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今回は読み切りとして、元護衛騎士アイザックとお忍び王女ソフィアの物語を書きました。

二人の冒険者生活や、王宮から届く無茶ぶり、北方辺境の魔物騒動など、続けようと思えばまだまだ広げられそうな形になっています。


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