5話 落ちる子1
ペンションの玄関扉は、少し重い。
「ただいまー」
野比野蒜の声が、建物の中に響く。
「おかえりー」
キッチンの方から返事がした。
母――野比向日葵だ。
エプロン姿で、鍋をかき混ぜている。
「今日の魔法、どうだった?」
「制御できた」
野蒜は靴を脱ぎながら、ちょっとだけ胸を張る。
「えらいじゃない」
向日葵はちゃんと褒めてから、すぐ現実に戻る。
「……で、問題はなかった?」
野蒜は一瞬考えてから、あっさり言う。
「朝、ゴブリン出た」
鍋をかき混ぜる手が止まった。
「……どこで」
「バス停の手前」
フロントの方から、父の声が飛んでくる。
「怪我は?」
野比旅野が、宿帳から顔を上げている。
したから読んでもノビタビノだ。
「してない」
「ハンター来た?」
「来た」
「なら大丈夫だな。」
向日葵はため息をつく。
因みに両親もゴブリン位なら余裕で倒せる。
現代の生き残ってきた大人は皆んな強い。
この国はAR以降、18歳以上は全員、精神物質取扱免許の講習と精神生物対策講習を受けなけばならなかった。
「ほんと、気をつけなさいよ」
「はーい」
野蒜は軽く返事をする。
「でもイベント発生したから、今日は勝ちの日」
「その基準が良く分からないのよね」
向日葵はツッコミながらも、少しだけ表情を緩めた。
旅野は立ち上がり、娘を一瞥する。
「最近、変なゴースト増えてるからな」
「うん」
「一人で変なことしないように」
「しない」
即答。
過去は振り返らない女である。
なお、この返事に深い意味はない。
向日葵が鍋に蓋をして言った。
「ごめん、倉庫の奥にあるタオル箱取ってきてくれる?」
「はーい」
野蒜は迷いなく外へ出る。
玄関を出ると、
庭の緑が目に入る。
木製の小道。
花壇。
木製のベンチ。
いつも通りの、ペンションの庭。
倉庫は少し奥だ。
白い壁の、小さな建物。
――その途中で。
「……?」
野蒜は足を止めた。
庭の端。
木の影のあたり。
何か、白いものが動いた気がした。
(……今の、なに?)
目を凝らす。
草むらの向こうから、
ひょろっと、小さな白い影が顔を出す。
蛇だった。
ただし――小さい。
手に乗りそうなサイズ感。
体も細くて、やけに白い。
「……ミニハクちゃん?」
思わず、口に出た。
白蛇は、野蒜を見ると、
ぴょこっと動き、庭の奥へ逃げる。
「あ、待って」
今日、ゴブリンを見たばかりだというのに。
ハンターの話をしたばかりだというのに。
(ちょっと気になる)
その気持ちが、全部を上書きする。
野蒜は、呑気に後を追った。
倉庫の裏手。
普段はあまり近づかない場所。
白蛇は、そこで一瞬立ち止まり――
くるりと、こちらを見た。
「……?」
次の瞬間。
足元の感触が、すっと消えた。
「え」
地面が、抜けた。
声を上げる間もなく、
野蒜の視界が下へ落ちていく。
空。
緑。
白。
全部が裏返る。
(あ、これ、、、ダンジョンだ)
理解だけは、異様に早かった。
そして――
野蒜は深く落ちていく。




