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36話 共有する子


「動く高純度の魔力結晶はどこっ!!」


嵐のように部屋へ飛び込んできた黒瀬三佐だったが、すでに妖精たちは夜の闇へと霧散した後だった。


「……消えた……私の、私の研究対象が……」


ガックリと膝をつき、目に見えて肩を落とす黒瀬。その絶望ぶりは見ていて不憫なほどだ。


「黒瀬先生、大丈夫ですよ。ちゃんとスマホで撮っておきましたから!」


野蒜がそう声をかけると、黒瀬は弾かれたように顔を上げた。


「……見せなさい。今すぐ、全フレーム、最高画質で!」


スマホを囲んで一同が覗き込む。画面の中で、光り輝く小さな少女のような姿がくるくると舞い、レンズを覗き込んでいる。


「素晴らしいわ……! この発光パターン、意志を持っている証拠よ! ああ、網膜で直接見たかった!」 


黒瀬はスマホの画面を食い入るように見つめ、また何やら専門用語をブツブツと呟き始めた。


「……本当に、意思疎通が可能なのか。驚いたな」


佐々木一尉も、動画の中で野蒜の指示に従ってポーズを変える妖精の姿に、戦慄にも似た感嘆を漏らす。

しかし。


「……あの、野蒜? 何が映っているの? 真っ暗なんだけど……」


「そうだな。お父さんには、ノイズが走っているようにしか見えないぞ」


旅野と向日葵は、困惑した顔で首を捻っていた。認知の壁を超えていない彼らには、高エネルギー体である妖精の姿は「映像データ」としてさえ認識できないのだ。

佐々木は少し考え込んだあと、意を決して提案した。


「……お二人にも、見えるようになっていただいた方が良さそうです。この状況で一人だけ『見えている』のは、野比さんの負担にもなります。野比さん、ご両親に『魔力』のコツを教えていただけますか?」


「え、いいんですか? 私もその方が嬉しいです!」


野蒜は快諾した。自分の見ているこのキラキラした世界を、大好きな両親にも見せてあげたかったのだ。


佐々木から改めて、現在の日本の状況や、野蒜が持つ「魔力の認知」の重要性について丁寧な説明がなされた。すると両親は、反対するどころか意外なほど乗り気だった。


「野蒜が見ている世界、私たちも見たいわ。何より楽しそうなんですもの」


特に母の向日葵は、「実は奥様魔女になるのが密かな憧れだったのよ」といたずらっぽく微笑んだ。さすが、野蒜の母親である。


「よし、じゃあ早速……」


野蒜が手を伸ばそうとした時、黒瀬がギラリと目を光らせて割り込んできた。


「ちょっと待って! ついでに実験をさせてちょうだい!」


「実験、ですか?」


「ええ。複数人で手を繋いで魔力を流した場合、どういう変化が起きるか試したいの。自衛官たちでも実験は始めているけれど、野蒜さんが『起点』になった場合の差異が見たいわ!」


黒瀬の知的好奇心は、すでに深夜の疲れを完全に凌駕していた。


野蒜は、デスクに固定したスマホのカメラがしっかりと自分たちを捉えているか確認した。

もちろん自衛官の人もカメラを構えているが、野蒜自身に記録をつけさせるように佐々木はしたかった。


この数日、自分の行動を「記録」として残すためにカメラの前で喋る機会が劇的に増えた。すっかり慣れた手つきで画角を調整すると、野蒜はレンズに向かって渾身のドヤ顔を決め、それから両親の手を取った。


三人で輪になる。


父・旅野の手は、庭仕事や木工のせいか少しゴツゴツとしていたが、包み込むように大きかった。


母・向日葵の手は、いつも厨房で魔法のような料理を作る手だ。しっとりと柔らかく、触れているだけで安心感が伝わってくる。


野蒜はそっと目を閉じ、心の中で願った。


(これから世界がどんどん変わってしまうかもしれないけど……せめて、この人たちがずっと笑っていられますように)


その祈りと共に、野蒜は自身の内側に灯る光を、二人の方へとそっと流し込んだ。


午後の授業で黒瀬三佐や佐々木一尉に説明した時と同じ言葉を、一言ずつ、噛みしめるように繰り返していく。


「自分の中にある、あったかい『色』を探してみて。それが、私たちが繋がってる証拠だよ」


野蒜から溢れ出した魔力は、ただのエネルギー以上の熱を持って、旅野と向日葵の身体へと流れ込んでいく。


佐々木や黒瀬が傍らで見守る中、部屋の空気が微かに震え、目に見えない光の渦が親子を包み込んだ。


「……っ」


二人の肩が、小さく震える。

今まで「何も無かった」はずの景色の中に、脈動する色彩が、命の輝きが、滝のように流れ込んでくる感覚。

魔力を全身で感じながら、二人はゆっくりと目を開けた。


「……あ」


最初に向日葵が、声を漏らした。

その瞳には、今まで見えていなかったはずの部屋の隅々を漂う淡い光の粒子が、そして目の前で「ドヤ顔」を維持しようと必死な愛娘から放たれる、眩いばかりの黄金色のオーラが映っていた。


「……すごい。野蒜、こんなに綺麗だったのね」


旅野もまた、自分の大きな手を見つめ、そこに纏わりつく光の筋に驚愕の表情を浮かべていた。


「これが……魔力か。……ああ、見える。野蒜、お前の言っていたことが、今ようやくわかったよ」


認知の壁が、野比家の中で音を立てて崩れ去った瞬間だった。


「ムフー! お父さんもお母さんも、今日から魔法使いの仲間入りだね!」


満足げに鼻を鳴らす野蒜。

しかし、その光景を背後で血走った目で凝視していた黒瀬三佐が、我慢の限界とばかりに身を乗り出してきた。


「ちょっと! 感動の対面はそこまでよ! 野比さん、今、三人の魔力が循環した瞬間に観測値が通常の伝達実験の10倍を超えたわ! そのまま手を離さないで、次は私と佐々木一尉も加わるわよ!!」


感動の余韻を粉砕する黒瀬の叫び。

深夜の野比家は、今や「世界の最先端」へと変貌を遂げようとしていた。

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