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33話 日常を過ごす子

SPの車に送られ、野蒜は住み慣れたペンションへと帰還した。

車を降り、玄関へ向かう途中でふと庭の奥へ視線をやる。


あの日以来、家の中以外は常に護衛がつきまとうため、あの『道』へは足を運べていない。

場所は伝えてあるが、調査チームの報告によれば「何も見つからない」という。


野蒜が近づけば何か反応があるかもしれないが、現在は厳重な調査中で立ち入りの許可は下りていなかった。

庭の静寂を一瞥し、野蒜は家に入る。ここでSPたちとはお別れだ。


「ありがとうございました」


丁寧にお礼を言う。そういう礼儀は、野蒜はちゃんとしている子なのだ。


少し重みのある木製の玄関扉を開け、中へと足を踏み入れた。


「ただいまー」


廊下の先から、聞き慣れた声が返ってくる。


「おかえりー」


母、向日葵の声だ。


靴を揃えて脱ぎ、ラウンジを通り抜けて厨房へ向かう。

そこには、いつも通りの穏やかな表情を浮かべた母が立っていた。


「遅かったね」


「ちょっと居残り。明日も多分、遅くなるかも」


「珍しいね。何かあったの?」


「うーん、先生の一人が実は自衛官の人で、色々教えてたんだ。多分これからも続くと思う……部活的な感じ?」


「あらあら。まあ、大人と一緒なら大丈夫ね。一応、野蒜が帰ってくる前にも連絡は貰っていたのよ。クレープ、美味しかった?」


「ふぉ……全部バレてる件について」


野蒜は、情報の速すぎる母に戦慄を隠せない。


「ちゃんとお礼、言ったの?」


「言ったよ! なんか逆にすごくお礼言われちゃったけどね」


野蒜が今日教えた魔力の「認知」は、クレープ代程度では到底釣り合わないほどの価値があるのだが、今の野蒜にはまだその実感はない。


「お父さんは?」


「裏で木の剪定と草刈りをしてるわよ」


「お客さん、しばらく来ないのに?」


現在、ペンションは休業中だ。野蒜の失踪以来、予約を断らざるを得なかったこともあるが、発見後の現在は彼女の安全確保と国家機密保持のため、営業自粛を要請されている。


実はここ、地元でも結構な人気宿なのだ。


ARエイプリアル直後は一時的に客足が遠のいたが、巨大な白蛇を一目見ようとする観光客や、近隣のダンジョンに挑む「ハンター」たちによって、最近は以前より活気づいていた。


休業中の補償として国から相応の対価が支払われているようだが、両親はそのあたりの生々しい話は野蒜には詳しく教えない。


「しょうがないわよ。それがタビノの生き方だもの」


そこは生き甲斐とか言う所ではないだろうか?

たまに母は、人と少し違う言い回しをする。


そういう不思議な余裕がある母を、野蒜は好ましく思っている。

自分を育てた母なのだから、と妙に納得してしまうのだ。


ちなみに、父・旅野と母・向日葵は、基本的にお互いを名前で呼び合っている。


一度、二人がきりになっている時に、母が父を「タビノん」と呼んでいるのを立ち聞きしてしまったことがあるが、野蒜はそっと記憶の隅に封印した。


ラブである。


裏からブォーンと草刈り機の音が規則正しく聞こえてくる。

父・旅野が黙々と作業を続けているのだろう。


こうしている今も、ペンションの周囲には姿を見せない護衛官たちが何人も配置されていると聞かされている。


「……やれやれ、大物になったものだぜ」


野蒜はフッと遠い目をし、いかにも「物語の主人公」らしい雰囲気を出しながら、誰にも聞こえないような小声で呟いた。


「大物さんは、課題やったのかしら?」


「…………っ!」


野蒜の背筋に電流が走った。戦慄である。


「…………聞こえた?」


「何が?」


向日葵は鼻歌まじりに洗い物を続けている。振り返りもしない。


さらに戦慄する野蒜。


思考を読まれたにしてもベストすぎるタイミング。


もし本当に聞こえていないのだとしたら、偶然にしても、それはそれで勘が鋭すぎて怖い。


(恐るべしマイマザー……。魔法が使えても、一生勝てる気がせぬ)


野蒜は完敗し、粛々と課題をこなすべく、二階の自室へと引き上げるのであった。


それからしばらく自室で課題と格闘し、ようやく終わらせた頃に夕食の時間がやってきた。


今夜のメニューは、野蒜の好物であるジューシーなハンバーグ。


旅野と向日葵とのたわいもない会話を楽しみ、お腹も心も満たされた野蒜は、再び自分の部屋に戻ってベッドに身を投げ出した。


ふぅ、と一息ついてスマートフォンを眺めていると、聞き慣れた着信音が鳴る。


「ブーブー」


メッセージアプリ『BuLINEブーリン』の通知だ。

送り主はミシェル。


ミシェル:

「ねえ野蒜! 帰ってから、あんたの動画の二本目をもう一度見直してみたんだけど……魔力がちゃんと見えたの!!」


「あ、やっぱり見えるようになったんだ」


野蒜はスマホの画面を見つめながら、ポツリと独り言を漏らした。


野蒜自身は、自分の動画をチェックした時から当たり前のようにそこにある光を視認していた。

だが、今日「教える」までは、黒瀬三佐も佐々木一尉も、そしてミシェルも、画面に映るその不可思議な輝きを「ただのノイズ」か「演出」だと思い込んでいたのだ。

一度『認知』の鍵が開けば、過去の記録データの中に眠っていた真実までもが、鮮明な色を持って立ち上がってくる。


野蒜:

「ムフー! ミシェルちゃんもついに魔法少女の仲間に一歩前進だね!」


そう返信を打ち込みながら、野蒜はふと、今日黒瀬三佐が興奮して語っていた言葉を思い出した。


『網膜が捉えていても、脳がノイズとして処理していた……』


(……ってことは、世界中の人が私の動画を見てるけど、みんなにはまだ『見えてない』ってことなのかな)


自分と、ほんの一握りの人間だけが共有している、世界の裏側の色。


その特別感に少しだけ胸を躍らせた、その時。


カサリ、と。

網戸越しに、夜の裏庭から微かな音が聞こえた。


草刈りを終えて静まり返ったはずの庭。

護衛のSPたちが目を光らせているはずの暗闇の中で、何かが蠢いている。

まぁ中山湖周辺は狐や狸や熊、ムササビ、フクロウなど天然サファリパークであるのだが。


「……白蛇さん?」


なんとなくそう思って野蒜はスマホを置き、そっと窓際に歩み寄った。

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