30話 教える子
「……魔法じゃん」
ずっと圧倒されて黙り込んでいたミシェルが、震える声で呟いた。
「めっちゃ魔法じゃん! 魔法少女野蒜じゃん!」
その言葉に、野蒜はハッとした。
この数日、白蛇様に会ったり、自衛隊に囲まれたり、国家の命運を背負わされたりと怒涛の展開が続き、自分でも「本来の野蒜」を見失いかけていた。
そうなのだ。自分は今、ずっと憧れていた魔法少女そのものになっているのだ。
その実感が胸に灯った瞬間、野蒜は親友である佐藤・ミシェル・成海に対し、これ以上ないほど誇らしげに胸を張った。
「野蒜ちゃんだからね!」
最大限のムフー、である。鼻の穴が膨らまんばかりの勢いだ。
その姿を見て、ミシェルは密かに目頭を熱くした。
失踪、発見、そして厳戒態勢の再会。動画の中で不思議な力を操る野蒜は、どこか遠い世界の住人になってしまったような寂しさがあった。屋上で名前を覚えてくれてなかったショックも相まって、「もう私の知っている野蒜じゃないのかも」という不安が心の隅にあったのだ。
けれど、目の前で「ムフー」と得意げに笑う少女は、間違いなくいつもの野蒜だった。
「……バカね、本当」
ミシェルは少し涙目になりながらも、親友のペースに巻き込まれるように、自分も一緒に「ムフー」と鼻を鳴らした。
そんな微笑ましい女子高生二人をよそに、大人二人はすぐさまガチの考察モードに入っていた。
「魔力に触れる、か……。理論上、高純度の魔石に直接触れれば、微細なエネルギーの揺らぎは感じられるはずよね?」
黒瀬が白衣のポケットから、親指ほどの大きさの澄んだ結晶――魔石を取り出した。佐々木も頷く。
「確かに現在は国民への魔導教育も進み、一般家庭でも魔石に触れる機会は増えている。だが、魔力を主観的に『観測』したという実例は、これまでに数多の実験を行ってきた計器による数値しかない。生身の人間がそれを感知できるものなのか?」
「計器には映るのに、人間には見えない……。このミッシングリンクを埋める鍵が、野比さんの言う『触れる』という感覚にあるの?」
専門用語が飛び交う中、野蒜がひょいと首を突っ込んだ。
「多分それは、魔石の中の魔力には『方向性』というか……『意思』がないからだと思います」
「「「?」」」
準備室にいた全員の動きが止まった。
「意思」――科学的な分析を旨とする黒瀬や佐々木にとって、それは最も定量化しにくい、曖昧な言葉だった。
「意思って……野比さん、それは魔力自体に魂があると言いたいの?」
黒瀬が眼鏡をクイと押し上げ、食い入るように尋ねる。野蒜はうーん、と少し考え込みながら、プールの水面を指差した。
「ええと、例えば……魔石の中の魔力は、ただの『貯まった水』みたいな感じなんです。でも、私が使う魔力は『流れる川』なんです。どこに行きたいか、何をしたいかっていう私の気持ちとお願いが、魔力の形を決めて動かしてるんです。だから、ただ置いてあるだけの石を触っても、何も感じないんじゃないかなって」
野蒜の直感的な説明に、黒瀬桜の顔が再び「ぐりん」と動きそうなほど衝撃に震えた。
「……指向性。ベクトルの付与。それが『観測』を可能にするトリガーだと言うの……!?」
するとすぐに黒瀬が叫びだした。
「そうか……! そういうことか!!」
黒瀬が、弾かれたように膝を打った。その瞳には、霧が晴れたような鮮烈な光が宿っている。
「エネルギーという一点において、我々はこれまでの常識……つまり、電気や熱のような物理現象をイメージしすぎていた。そもそも、裸のエネルギーに生身で触れること自体、致死レベルの危険行為だと本能的に認識している。指向性を持たせたエネルギー流体であれば尚更よ!」
黒瀬は白衣を翻し、ホワイトボードに殴り書きを始めた。
「魔力は魔石の中にある安定した燃料だという固定観念……それが『観測』の目を曇らせていたのね。
AR後に魔法を再現しようとした試みは星の数ほどあれど、その根本である魔力を主観で捉えられなければ、制御のしようがない。……段階を踏む必要があったのよ!」
黒瀬は、興奮を抑えきれない様子で野蒜に詰め寄った。
「野比さん! 貴女は魔力を動かし、特定の形に編み上げることができる。なら……指向性を持った『生きた魔力』を、そのまま外部へ流すこともできるわよね!? お願い、それに触らせて!!」
「えっ、触るって……手を繋ぐ、みたいな感じですか?」
野蒜が困惑して聞き返すと、黒瀬は一心不乱に頷いた。
「そう! 貴女が流す魔力の『脈動』を、私の神経系に直接ブート(起動)させるのよ! 理論を頭で追う前に、感覚でブートストラップを叩き込む! これが最短の道だわ!!」
「ちょ、ちょっと待て!黒瀬三佐!」
流石に佐々木が横から口を挟んだ。
「野蒜の魔力って、さっき雨降らせたやつでしょ? 触って感電したりしないわけ?」
「ミシェルちゃん、大丈夫だよ。魔力は電気じゃないから、トゲトゲしてないもん」
野蒜はそう言って、おずおずと右手を差し出した。
魔法少女として、自分の力を誰かに「伝える」というのは、少しだけ誇らしい気もする。
「……野比さん。本当に、大丈夫か?」
佐々木が、心配そうに……あるいは、自身も興味があるのを必死に隠したような顔で問いかける。
「はい。白蛇さんの作った『道』も、こうやって私に教えてくれたから」
野蒜が微笑むと、黒瀬は神聖な儀式に臨む信者のような顔で、その小さな手を両手で包み込んだ。
準備室の中、科学の観測機が沈黙する中、人と人の手が重なる。
「……いくよ? ムー……」
野蒜が頭の中に「穏やかな水」の流れをイメージした、その瞬間。
黒瀬桜の全身が、ビクンと大きく跳ねた。
「……あ」
黒瀬の口から、魂が漏れるような声がこぼれる。
彼女の視界が、あるいは神経が、初めて「世界の裏側の色」を捉えようとしていた。




