24話 帰って来た子
抱きしめられたままの状態で、野蒜は状況を理解しきれずにいた。
三日。
自分はいなくなっていたらしい。
その事実がじわじわと実感になりかけた、その時だった。
駐車場に次々と車が入ってくる。
一台ではない。
二台でもない。
黒塗りの車。
パトカー。
消防車。
迷彩の車両。
見慣れない大型車両まで。
遠くから低い音が近づく。
重いエンジン音。
振り返ると——戦車が見えた。
「……え?」
さらに空を見上げれば、ヘリコプターが何機も旋回している。
さっきから飛んでいたのは、これだったのか。
自衛隊。
警察。
消防。
ハンターと思しき装備の人員までいる。
一瞬、現実感が消える。
まるで映画のワンシーンのような光景だった。
抱きしめていた両親も、いつの間にか泣き止み、ただ呆然とその光景を見ている。
やがて、その中から一人の女性がこちらへ歩いてきた。
迷彩服。
ショートカット。
少し鋭い目つき。
胸には星が三つと横棒が一本。
落ち着いた足取りで近づいてくる。
そして、静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。少々お話を聞かせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
父が前に出る。
「……どちら様でしょうか?」
女性はわずかに姿勢を正した。
「これは失礼しました」
「佐々木 芳恵。一等陸尉と申します」
その場の空気が、少しだけ引き締まる。
「申し訳ないありませんがお家の中で話を聞かせていただけますでしょうか?」
一同は家の中へと移動した。
リビングには、妙に現実的な緊張が満ちていた。
ついさっきまで、雲海の上にいたとは思えない。
佐々木は椅子に腰を下ろすと、落ち着いた口調で語り始めた。
「まず、現状の共有からさせていただきます」
声は硬すぎず、だが仕事の声だった。
「本日未明、富士山周辺において異常な地殻反応が観測されました」
野蒜の背筋がわずかに伸びる。
「その後、目視による確認が行われ——」
一拍。
「観測史上初めて、“白蛇”が活動している事が確認されました」
リビングの空気が止まる。
両親が息を呑む。
佐々木は続ける。
「ヘリによる偵察が行われた結果、白蛇は富士山に巻き付く形で存在しており」
「さらに——」
視線が野蒜へ向く。
「その上に、貴女が乗っている姿が確認されています」
沈黙。
言葉が出ない。
「また」
佐々木は資料に目を落とす。
「三日前より、行方不明者届が提出されていた事も把握しております」
父と母が小さく頷く。
「あらゆる情報を統合した結果」
「今回の事象において、貴女が極めて重要な位置にいると判断されました」
淡々とした説明だった。
だが、責める響きはない。
事実の整理だった。
佐々木はゆっくりと顔を上げた。
「そこで」
真っ直ぐに野蒜を見る。
「何が起こったのか」
「お聞かせいただけますか」
逃げ場のない問いだった。
しかし、圧はない。
ただ、知ろうとしている。
野蒜は、少しだけ迷った。
白蛇の言葉。
役割。
伝える者。
胸の奥で、静かに何かが動く。
「……えっと」
小さく口を開く。
何から話せばいいのか分からない。
でも。
話すしかないのだと、なんとなく思った。
野蒜は少しだけ視線を落とした。
頭の中を整理する。
混乱はまだ消えていない。
でも、順番に話すしかない。
「……三日前の、学校から帰ってきた後です」
ぽつりと語り始めた。
「裏山の方に、変な道があって」
「そこに、小さい白蛇がいました」
「その白蛇が、奥へ進んでいくみたいで……」
少し間を置く。
「最初から、ついて行きました」
佐々木は黙って聞いている。
「途中で、穴みたいな場所に落ちました」
父と母が同時に顔を上げる。
「地下みたいな空間で……」
「ただの洞窟じゃなくて」
言葉を選ぶ。
「最初はダンジョンみたいだと思ったんですけど……」
視線を上げる。
「白蛇は、そこも“道”だって言ってました」
空気がわずかに張り詰める。
「紋様があって、魔力みたいなものが流れてて」
「それを通って、また上に出ました」
「その先が、雲海の上でした」
部屋の空気が静まる。
「そこで、大きな白蛇に会いました」
母が息を呑む。
佐々木の表情は変わらない。
野蒜は続ける。
「白蛇は、世界が重なり始めてるって言ってました」
「道の中にあった紋様は、魔力を変化させて事象を起こす術だって」
「それを使えるように修練しろって」
「あと、記録した方がいいって思って……スマホで話も撮りました」
佐々木の眉が、ほんの僅かに動く。
「それから……」
少し迷う。
「世界が重なると、土地だけじゃなくて、そこにいるものも重なるって」
「別の世界の人とか、生き物とかも来るって言ってました」
静かな沈黙。
「そのあと、日が暮れるから帰るってなって」
「白蛇に送ってもらいました」
父が思わず口を挟む。
「送って……?」
「はい。小富士から裏山まで」
さらりと言う。
「気づいたら家の前でした」
野蒜はゆっくり息を吐いた。
そして、少し首を傾げる。
「……あと」
佐々木がわずかに視線を向ける。
「お腹も、喉も、全然空かなかったんです」
沈黙。
「疲れた感じもなくて」
「だから、そんなに時間が経ったと思わなくて……」
小さく付け足す。
「……体感では、そんなに経ってませんでした」
三日という時間だけが、そこに存在していない。
しばらくの沈黙のあと、佐々木が静かに口を開いた。
「あの巨大な白蛇と——会話が出来たのですか?」
声は落ち着いている。
だが、その問いには明確な重さがあった。
父と母も、同時に野蒜を見る。
野蒜は一瞬、言葉に詰まる。
「……はい」
小さく頷く。
佐々木の視線が僅かに鋭くなる。
「言葉を発したのですか?」
「いえ」
首を振る。
少し考えてから言い直す。
「声じゃなくて……頭に直接届く感じでした」
「思念……?」
佐々木が低く呟く。
「たぶん」
野蒜は肩をすくめる。
「口は動いてなかったです」
「でも、意味ははっきり分かりました」
「会話、してたと思います」
佐々木は数秒黙る。
「……意思疎通が成立していた、と」
「はい」
「内容は理解できた?」
「全部じゃないですけど……大事な事は」
父が不安そうに口を開く。
「危険なことは言われなかったのか?」
野蒜は少し考える。
「……危険っていうより」
言葉を探す。
「現実が変わる話、でした」
空気が張り詰める。
佐々木は静かに次を問う。
「その存在は、自らを何と?」
野蒜は迷わず答える。
「白蛇です」
間を置く。
「あと——」
少しだけ目線を下げる。
「世界の境に居て、見守るモノみたいな事を言ってました」
野蒜は続けた。
「あと……『観測者』って言ってました」
少し言葉を選ぶ。
「大きな白蛇は、ただの獣じゃないけど」
両親と佐々木の視線が集まる。
「ただの生き物でもある、って言ってました」
佐々木の眉がわずかに動く。
「どういう意味ですか?」
野蒜は首を傾げる。
「……うまく言えないけど」
思い出しながら話す。
「神様とか、そういう特別な存在じゃない、って感じでした」
「でも普通の動物とも違う」
佐々木が静かに繰り返す。
父が思わず口を挟む。
「じゃあ……守ってるのか?」
野蒜は少し考えた。
「守るっていうより……」
言葉を探す。
「ただ見てる?」
母が不安そうに呟く。
「敵では……ないの?」
野蒜はすぐに答えなかった。
白蛇の思念を思い出す。
「……敵とか味方とか、そういう感じじゃなくて」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「ただ、見る存在だって言ってました」
佐々木の視線が鋭くなる。
「見る?」
野蒜は頷く。
「人を見るのが、好きなんだって」
佐々木は、すぐには言葉を返さなかった。
ただ静かに、野蒜を見つめている。
その視線は疑いではなく、
測っているような、確かめているようなものだった。
やがて、ゆっくりと視線を落とす。
腕を組み、わずかに目を閉じる。
考えている。
部屋には誰も口を開かない時間が流れた。
外では、ヘリの回転音がまだ遠くに響いている。
数十秒。
それから佐々木が顔を上げた。
「……先程」
静かな声。
「記録したと仰いましたね」
野蒜は頷く。
「スマートフォンで、白蛇とのやり取りを撮影したと」
「はい」
すぐに答える。
「動画、あります」
父と母が同時に野蒜を見る。
佐々木の視線がわずかに鋭くなる。
「見せていただけますか」
野蒜はポケットからスマートフォンを取り出した。
操作は少しぎこちない。
まだ現実感が薄い。
だが、迷いなく動画を開く。
「……これです」
差し出す。
佐々木はそれを受け取り、
隣に座る両親にも見えるように角度を調整する。
再生。
画面には、雲海の上。
そして——
巨大な白蛇。
静かに、とぐろを巻いている。
母が息を呑む。
父の手がわずかに震える。
その圧倒的な存在感は、
画面越しでも現実を否応なく主張していた。
しばらく、誰も言葉を発さない。
やがて佐々木が低く言う。
「……確かに、存在している」
映像の中の白蛇は、ゆっくりと頭を動かしている。
しかし。
音声には——
風の音しかない。
佐々木は眉を寄せる。
「……会話は?」
野蒜は画面を覗き込む。
「ここです」
動画のある場面を指さす。
「この時、話してました」
佐々木は再び再生する。
風の音。
雲の流れる気配。
白蛇の動き。
——だが、声はない。
佐々木は音量を上げる。
「……何も聞こえません」
母は困惑したようにそう言った。
父も同じように頷く。
「風の音しか……」
野蒜は瞬きをした。
「やっぱり聞こえないんだ……。」
野蒜は自分で動画を見てみる。
「……聞こえる」
小さく呟く。
佐々木の視線が鋭くなる。
「今も?」
野蒜は頷いた。
「はい。白蛇が話しています」
部屋の空気が張り詰める。
父が思わず身を乗り出した。
「……どういうことだ」
野蒜は画面を見たまま言う。
「ちゃんと、入っています」
佐々木が聞き返す。
「入っている?」
野蒜は少し考えてから続けた。
「思念そのものと言うか魔力の流れは、記録されているんだと思います」
「でも」
「道で学ばなければ、理解できない」
佐々木の眉が動く。
「……つまり」
「音ではなく、意味が記録されている?」
野蒜は頷いた。
「白蛇は言っていました」
「道で学ばなければ、会話は出来ないと」
父と母が顔を見合わせる。
野蒜は続けた。
「だから」
「これは、無いんじゃなくて」
「……分からないだけなんだと思います」
彼女は動画を見つめたまま言った。
「私は、小さい白蛇について行って、道に入ってそこで学んだから意味が分かる」
動画の中では、巨大な白蛇が静かに存在している。
その思念は、確かにそこに記録されていた。
だが——
それを言葉として受け取れるのは、今のところ野蒜だけだった。




