22話 知る子2
再開します。
野蒜は、自分の家のことを思った。
残るのか。
変わるのか。
消えるのか。
さっきまで、そんな事を考えていたはずなのに。
——それどころじゃない。
頭の中で、今聞いた話がぐるぐると回り続けている。
世界が重なる。
思いで残る。
石も、植物も、家も、意思を持つ。
修復は始まっている。
そして、終わるまでには——千年単位の時間。
「……え、ちょっと待って」
思わず、小さく声が漏れた。
今、自分はとんでもない情報を聞いているのではないか。
というか。
もしかしなくても。
世界の仕組みそのものが変わる話では?
野蒜の思考が、急に現実的なところへ落ちる。
ニュース。
学校。
SNS。
誰もそんな話はしていない。
当然だ。
知らないのだから。
でも。
自分は知ってしまった。
野蒜は、軽く頭を抱えた。
「……無理じゃない?」
誰に言うでもない、素直な感想だった。
本当に。
一女子高生が処理していいスケールの話ではない。
地球の自衛機能。
多重存在。
重なる世界。
思いによる選択。
スケールが大きすぎて、逆に現実味が薄い。
けれど。
さっき歩いてきた光の道の感触は、確かに足の裏に残っている。
雲海の風も、頬に触れている。
目の前には、巨大な白蛇がいる。
全部、現実だ。
「……いや」
野蒜は、ふっと息を吐いた。
「家、心配してる場合じゃないかも」
本当に。
それどころではない。
自分が知ってしまったのは。
家が残るかどうか、なんていう小さな話ではなく。
——世界がどうなるか、という話だった。
その事実に、今さらながら、少しだけワタワタする。
どうすればいいのか。
何をすればいいのか。
そもそも、自分に何か出来るのか。
考えようとして、やめた。
考えても、すぐに答えは出ない。
それでも。
胸の奥に、妙な実感だけが残っている。
世界は、変わる。
もう、始まっている。
そして。
自分は、その話を聞いてしまった側にいる。
野蒜は、小さく肩を落とした。
「……マジかぁ」
深刻というより。
現実を受け止めきれない、素直な呟きだった。
その呟きを、白蛇は静かに受け止めていた。
急かすことも、
慰めることもなく。
ただ、見守るように。
『だからこそ』
低く、落ち着いた思念が届く。
野蒜は顔を上げた。
白蛇は、変わらぬままそこにいる。
巨大で、
静かで、
長い時間を知っている存在。
『そなたのような者が必要なのだ』
野蒜は、言葉を返さない。
返せない。
『全てを理解する必要はない』
『全てを背負う必要もない』
思念は、押し付けるものではなかった。
ただ、事実のように置かれる。
『そなたは、境に立てる』
『聞くことができ』
『見ることができ』
『選ぶことができる』
『それだけで良い』
野蒜は、少しだけ眉を寄せる。
それだけ、と言われても。
十分に、重い。
白蛇の思念は続く。
『世界は、変わる』
『重なり続ける』
『全てを導く者は存在せぬ』
『だが』
わずかに、空気が張り詰めた。
『伝えられる者は必要だ』
野蒜の胸の奥が、微かにざわつく。
『恐れず』
『拒まず』
『ただ、見て、聞いて、伝える』
『小さな石で良い』
『やがて波紋は広がる』
その言葉は、
使命というより、
役割だった。
押し付けられるものではなく、
そこに“置かれた”もの。
野蒜は、しばらく黙っていた。
すぐに答えを出すような話ではない。
でも。
逃げたい、とも思わなかった。
ただ。
「……ふむ」
小さく、頷いた。
全部は無理。
でも。
聞くくらいなら。
そのくらいなら——出来るかもしれない。
白蛇は、何も言わない。
ただ、静かに見ていた。
まるで、
それで十分だと知っているかのように。
しばらく考えたあと。
野蒜は、肩の力を抜いたまま尋ねた。
「……じゃあ、具体的に何すればいいんですか?」
白蛇は、すぐには答えなかった。
問いの重さを量るように、
ほんのわずかに沈黙が落ちる。
『大きな事は求めぬ』
野蒜は、少しだけほっとする。
『まずは』
『気付くことだ』
「……気付く?」
『ずれに』
『重なりに』
『違和に』
雲海の向こうを見ながら、
白蛇は続ける。
『そなたには、それが見える』
『聞こえる』
『他の者が見過ごすものを』
野蒜は思い出す。
光の道。
魔力の流れ。
さっきまでの会話。
確かに、
普通じゃない。
『次に』
『記すことだ』
「記す……」
『忘れぬため』
『歪めぬため』
そこで野蒜は、
手の中のスマホを思い出す。
『形は問わぬ』
『言葉でも』
『映像でも』
『記録でもよい』
ふむふむ、と野蒜は小さく頷く。
『そして』
白蛇の思念が、
ほんの少しだけ強くなる。
『伝えることだ』
『理解できる形で』
『恐れを生まぬ形で』
『拒絶を招かぬ形で』
野蒜は、
ちょっとだけ顔をしかめた。
それ、地味に難しくない?
白蛇は続ける。
『全てを語る必要はない』
『出来る範囲で良い』
『小さな波で良い』
野蒜は、息を吐いた。
「……観察して、記録して、伝える」
整理するように、ぽつりと呟く。
『そうだ』
シンプルだ。
シンプルだけど。
軽くはない。
でも——
出来なくはない気がした。
野蒜は、スマホを軽く握り直した。
「……まあ、とりあえず」
少しだけ、口元が緩む。
「出来そうなところから、やってみます」
白蛇は、静かに頷いた。
野蒜が、出来ることを頭の中で整理していると。
ふと。
「あの……」
思い出したように口を開く。
「道の中で見た、あの紋様って……何だったんですか?」
光の道。
足元に浮かび上がっていた、
円が重なる様な、流れるような線。
まるで意味を持っていたような、あの形。
白蛇は、わずかに意識を向けた。
『見ていたか』
「見てました」
なんとなく。
綺麗だな、くらいの感覚だったけど。
『あれは』
『術だ』
野蒜は、瞬きをした。
「……じゅつ?」
『魔力を変化させ』
『事象を起こすための形』
「形……?」
『魔力そのものには意思はない』
『だが、流れ方を変えることで』
『現象は変わる』
野蒜は、ふむ、と頷く。
なんとなく、
水の流れみたいなものを想像する。
『紋様は』
『魔力に方向を与える』
『意味を持たせる』
『結果を引き起こす』
「つまり……」
少し考える。
「スイッチ、みたいな?」
白蛇は、ほんのわずかに沈黙した。
『近い』
「やった」
ちょっと嬉しい。
『そなたは、あの道を通った』
『つまり』
『あの紋様を通過した』
野蒜は、ゆっくりと息を吸う。
「……影響、受けてる?」
『理解できる状態にある』
それはつまり。
使える、ということだ。
野蒜の表情が、
ほんの少しだけ引き締まる。
『観測し』
『記し』
『伝えるだけでは足りぬ時が来る』
『その時』
『紋様を使え』
雲海の上で、
風が流れる。
『世界は修復を始めている』
『だが』
『その過程で歪みも生まれる』
『整える者が必要となる』
野蒜は、静かに聞いている。
『そなたは』
『それを行える』
沈黙が落ちる。
少しだけ考えて。
そして。
「……練習とか、出来ます?」
白蛇の思念が、
わずかに揺れた。




