21話 知る子
雲海の上は、変わらず静かだった。
けれど。
白蛇の言葉が続くにつれ、
その静けさの奥にあるものが、少しずつ姿を持ち始める。
『これから起こる変化が、どのような形を取るか』
『それを完全に知ることは、我にも出来ぬ』
野蒜は小さく頷く。
なんとなく、そうだろうと思った。
未来が完全に決まっているなら、
選ぶ意味がなくなってしまう。
『しかし』
白蛇の思念は、静かに続く。
『予想は出来る』
その言葉に、野蒜の背筋が少しだけ伸びる。
『残るのは』
一拍。
『思いの強いものだ』
「……?」
野蒜の首が、少し傾いた。
白蛇は問いを重ねる。
『二つの世界の、同じ場所に』
『違う家があるとする』
空間に、像が浮かぶ。
同じ場所。
しかし形の違う二つの家。
材質も、色も、時代も違う。
『それが重なった時』
『どうなると思う?』
野蒜は、少し考えた。
そして、素直に答える。
「……合体する?」
白蛇の思念がわずかに揺れる。
『そうなる場合もあるだろう』
像の中で、二つの家が溶け合う。
柱が混ざり、屋根が歪み、
一つの不思議な形へと変わっていく。
『だが』
像が変わる。
今度は、一方の家が薄れていく。
もう一方が、くっきりと残る。
『多くの場合』
『思いの強い方が優先される』
「……思い?」
野蒜は眉を寄せる。
「それって、誰の思いですか?」
白蛇は即座に答える。
『全てのものだ』
「……?」
理解が追いつかない。
けれど。
野蒜の中で、何かが引っかかる。
思い出す。
ここへ来る途中。
葉が道を作り、
石が沈黙の中で存在を主張し、
全てに魔力の流れがあった。
「……石とか」
言葉が自然に出る。
「植物とかも、ですか?」
『全てだ』
その一言は、重かった。
野蒜は息を呑む。
つまり。
石も。
木も。
水も。
家も。
そこに在った時間も。
触れた人も。
記憶も。
全てが「思い」を持つ。
それは。
——存在してきた、という事そのもの。
野蒜の中で、何かが繋がる。
昔から語られてきた話。
八百万の神。
山に神が宿り、
川に神が流れ、
道具に魂が宿るという考え。
そして。
ふと、ある映画の場面が浮かぶ。
顔の無い存在が、
波に揺られている瞬間。
あの、不思議な静けさ。
野蒜はあの場面が、なぜか好きだった。
理由は分からなかったけれど。
今なら、少しだけ分かる気がする。
あれは、空想ではなく。
観測の形だったのかもしれない。
そして同時に。
これからは、それが現実として現れ始める。
怖さよりも。
先に、ワクワクが来た。
世界が、静かに賑やかになっていく。
野蒜の思考が巡るのを、
白蛇はただ見守っていた。
干渉せず。
導かず。
ただ、待つ。
しばらくして。
野蒜は、ふと気づく。
「……じゃあ」
少しだけ声が小さくなる。
「ウチが、なくなったりすることもあるんですか?」
像が浮かぶ。
野蒜の家。
別の世界にある、違う家。
同じ場所。
違う歴史。
『そういう事もあるだろう』
即答だった。
けれど。
白蛇の思念は続く。
『だが』
『思いが強ければ、残る』
野蒜の胸が、少しだけ軽くなる。
『そして』
像が変わる。
同じ家。
けれど少し違う。
窓の位置が違う。
壁の色が違う。
古い柱が残っている。
『強く「こう在る」と願われたものは』
『残るだけではない』
『変化を伴って存在する事もある』
野蒜は、その意味を考える。
思い出がある場所。
守りたいと思った場所。
帰りたいと思った場所。
それらが、形を保つ。
あるいは。
形を変えてでも、残る。
世界は、物理だけで出来ているのではない。
観測と。
記憶と。
願いで出来ている。
そして。
それらが重なり始めている。
野蒜は、雲海を見下ろした。
そこにはまだ、何も見えない。
けれど。
確かに。
何かが、変わり始めている。




