14話 進む子
ジャングルの中を、野蒜は進む。
一歩、足を踏み入れただけで分かる。
ここは、さっきまでの場所とはまるで違う。
「……でか」
思わず、声が漏れた。
目の前にある葉は、野蒜の身長よりも大きい。
横に広がり、厚みがあり、表面には水滴がいくつも残っている。
一枚一枚が、まるで屋根のようだった。
野蒜が近づくと、葉の影が落ちる。
自分が小さくなったわけじゃない。
――周りが、とにかく大きいのだ。
まるで小人になったみたいだ。
見た目は子供だが、そこは置いておく。
「これは……迷うやつだな」
足元にも注意を向ける。
苔に覆われた地面は柔らかく、踏みしめるたびに、少し沈む。
ところどころ、太い根が地上にむき出しになっていて、つまずきそうになる。
蔓は視線の高さにも伸びている。
下をくぐったり、手で分けたりしながら進まなければならない。
野蒜は、自分の手を見る。
小さい。
枝や蔓と比べると、頼りないくらいだ。
「……完全に、子ども向けサイズじゃないな」
誰に向けた文句でもなく、ぼやく。
それでも、不思議と怖くはなかった。
音がある。
葉が擦れる音。
どこかで水が滴る音。
見えない場所で、何かが動いている気配。
静かすぎない。
だから、安心する。
「……生きてる、よね」
ここ全体が。
植物一つ一つ、というより、
この空間そのものが、呼吸しているような感じがする。
ふと、野蒜は足を止めた。
前方に、さらに大きな葉がある。
完全に道を塞ぐように、垂れ下がっている。
避けて通れそうにない。
「……押す?」
軽く触れてみる。
びくともしない。
さすがに無理か、と考えかけた、その時。
葉が、わずかに揺れた。
風ではない。
野蒜が触れた、その一点から。
「……え」
もう一度、そっと触れる。
すると、葉はゆっくりと持ち上がった。
まるで、「どうぞ」と言うように。
野蒜は、息を呑む。
「……通して、くれるんだ」
命令もしていない。
お願いも、祈りもしていない。
ただ、触れただけ。
それでも、ジャングルは反応した。
野蒜は、慎重にその下をくぐる。
背中に葉が触れる。
重たいはずなのに、圧迫感はない。
通り抜けると、葉は元の位置に戻った。
「……やっぱり」
野蒜は、歩きながら小さく頷く。
「ここ、全部……分かってる」
自分が何をしようとしているのか。
敵じゃないこと。
壊すつもりがないこと。
祈らなくても。
願わなくても。
“そういう態度”でいれば、通じる場所。
野蒜は、ジャングルの奥を見た。
まだまだ、続いている。
自分より大きな葉も、蔓も、木も。
「……考えるのは、後だな」
今は。
「とりあえず、進もう」
小さな体で、大きな世界を進む。
野蒜は歩きながら、ふと顔を上げた。
上。
そこには、天井があった。
岩でも土でもない。
絡み合った枝と葉、その隙間を満たす淡い光。
「……天井、あるんだ」
昼間のように明るい。
太陽は見えないのに、影は柔らかく、均等に落ちている。
光そのものが、ここを照らしているようだった。
見上げている間にも、前方の葉が静かに動く。
重なっていた葉が、少しずつ退いていく。
通れる幅だけ。
ちょうど、人ひとり分。
「……道、作ってくれてる」
野蒜は、そのまま歩いた。
葉が擦れ合う音が、すぐ近くで鳴る。
進むたびに、前が開ける。
後ろは、自然と元に戻っていく。
振り返っても、もう通ってきた道は分からない。
「……迷わせないけど、戻さない感じか」
誰に向けたわけでもなく、ぽつりと呟く。
また葉っぱが退いて道を作る。
「ありがとう」
何げ無い一言を呟いた。
すると。
すぐそばにあった葉が、ふわりと揺れた。
風ではない。
確かに、返事のようだった。
「……え」
その揺れは、止まらなかった。
隣の葉へ。
さらにその奥へ。
揺れは伝わり、広がっていく。
蔓が揺れ、枝が揺れ、
遠くの葉も、かすかに動く。
まるで、水面に落ちた一滴の波紋みたいに。
ジャングル全体が、静かにざわめいた。
音は大きくない。
でも、確かにそこにある。
「……伝わった、のかな」
野蒜は立ち止まり、周りを見回す。
敵意はない。
拒絶もない。
ただ、受け取られた、という感じだけが残っている。
「……祈らなくてもいい時も、あるんだ」
さっきまで考えていたことが、少しだけ整理される。
願う時。
頼る時。
教えてほしい時。
そして、ただ一緒にいる時。
その全部を、ここはちゃんと分けている。
「……難しいな」
でも、不思議と嫌じゃない。
野蒜は、もう一度だけ上を見上げる。
光る天井は、変わらずそこにあった。
「……行こう」
葉が、また静かに退く。
野蒜は、その道を進んでいった。




