Case3 姫川せせらぎの場合 ~ニセモノ頂上決戦~
都内某所の出版社。深夜になってビルの電気がほとんど消えていても、ただ一人作業を続ける記者がいた。パソコンの画面を見て、にやりと下品な笑みを浮かべている。今回のターゲットだ。
「熱心ですねー。こんな夜遅くに、捏造ですかー? いや、悪いことはみんなが帰ってからじゃないとできないのかな?」
彼女の肩に手をかけ、軽くジャブを打つつもりで声を掛けてみる。
「きゃああああああ!」
突然彼女は悲鳴を上げて椅子からひっくり返った。
「誰、誰なのよあんた! 新人? どこの部署? さっさと帰りなさい! どどどどど泥棒かとおもったじゃないの!」
「泥棒って言うか、警察の方が怖いんじゃないの? 悪いことしてるとさ」
「悪いことなんてしないわよ!」
「んー、たとえば、不倫とかー?」
不倫、と口にした瞬間彼女は半狂乱になって叫び始めた。
「不倫なんて汚らわしい真似、私がするわけないじゃない、おぞましい!」
そう、彼女はいわゆる下半身スキャンダルに対して、非常に強い嫌悪感を示す潔癖な人間だ。そういういやらしいスキャンダルが最も人間の価値を下げる。そう思っているからこそ、その手のスキャンダルを捏造する。それが人を貶める一番てっとりばやい手段だとわかっているから。好きなだけ見下して好きなだけ叩いていい人間の世界一簡単な作り方。そういう下世話な記事が一番売れる、彼女はわかったうえで百パーセントの悪意でやっているのだ。
「ごめんごめーん、そういうウソ記事ばっかり書いてるから、君もそういうの好きなんだと思っちゃったよー。残念だったねー、姫川せせらぎも本当はそっち系のスキャンダル捏造したかったよね? でも、素性まったくわかんないもんねー。だから、いじめでお茶を濁したんでしょ?」
「捏造って、なんのこと? ふざけるのも大概にしてよね! 私は忙しいのよ!」
「しらばっくれんな」
宗田の関節を固めて拘束し、後ろから腕を回して頸動脈にナイフを突きつける。当然、カメラを回すことも忘れない。
「写真しか捏造できない素人が調子乗んなよ。こちとら、DNA捏造してんだよ」
「だから、捏造って何? 私本当に分からないんですってば」
ほう、命の危機に瀕してもまだ白を切るとは。でも、いつまでその威勢が持つかな?
「へー、じゃあどうやってその若さでここまで出世したんよ? あ、もしかして編集長と枕した?」
彼女にとって最大の地雷発言をぶっこんでやる。
「するわけないじゃない! 侮辱罪で訴えるわよ! 私は実力でのしあがってきたのよ!」
「なるほどね、君の言葉では捏造のことを実力と呼ぶわけだ。じゃあ、こっちも“実力”行使で行かせてもらうよ」
彼女の眼球に向けて、少しずつ刃先を近づけていく。
「止めてほしかったら、ごめんなさいって言おっか」
「私は、謝るようなことなんてしてない! 世間が望む記事を書いただけよ! それが編集長に認められたから出世した、それが実力でなくてなんだというの!」
「そう、つまり何もやましいことはしていないというわけだ?」
「ええ、もちろんよ!」
「じゃあ、パソコン見られても問題ないね」
「バカじゃないの? そんなの見せられるわけないじゃない。記事だけじゃなくて、個人情報も機密データも全部入ってるのよ」
「うん、だから勝手に見るね」
彼女をロープで縛り上げ、動けない状態にする。両手が開いたので、仕事開始だ。
二代目終電の殺し屋が、唯一初代よりもちゃんとできること。それがIT関係のミッションだ。デジタルネイティブとして育ったのでじーちゃんが感じているよりも、機械は身近な存在だ。
その特性を活かして、じーちゃんがちゃんと教育してくれたから、今ではハッキングもお手の物。ここに来るまでに防犯システムの類は全部落としておいたし、宗田のパソコンにアクセスするのも簡単なことだ。ほら、ログイン完了。
その画面を見た瞬間、宗田は半狂乱になって叫び出した。
「あああああ! やめてえええええええええ!」
出るわ出るわ、捏造の証拠。むしろ真実の記事探す方が難しいんじゃないか、これ。
「ねえ、これさあ、ライバル会社に送ったらクッソ面白いことになると思わない?」
「やめて! お願い、本当にやめて!」
「んー、君が今まで人生めちゃくちゃにしてきた人たちはさ、やめてって言う機会すらなかったんだよ? それわかってる? なんか言うことない?」
「違うの! 私じゃない! やれって言ったのは編集長よ! 私じゃない! 過激な記事書いたら、ポストを用意してくれるって言うから! 私は騙されてただけよ!」
「いや、でも実際にやったのは君じゃん。しかも、思いっきり私利私欲目当てで報酬までがっつりもらってさ。被害者の人たちに、何か言う事ないの?」
「ごめんなさい! 謝るから! 許して、お願い、なんでもするから!」
「本当? じゃあこのお水、かぶってくれる?」
鞄からガソリン……の色をした液体を用意する。本当にガソリンを使ったら危ないので、ただの色水だ。パソコンを人質にとったまま、拘束をほどいてやり、バケツに入った色水を自ら被る様子を撮影する。よし、素材収集完了。用が済んだので、ふたたび拘束してやる。ただし、今度はお口にガムテープもセット。
「ごめんねー、ちょーっとじーちゃんと電話するから静かにしててねー」
「んー! んー!」
口ふさいでてもうるさいのか。ウケる。これ、口ふさがなかったら電話聞こえなかっただろうな。ナイス判断。
「あ、もしもしー? じーちゃーん? 準備できたから焼死体持ってきてー」
「んー!」
「うっさいなー。電話してんだから静かにしろって。社会人として最低限のマナーだろ。それに、泣いてもわめいてもだーれもこないから無駄だよ」
さて、じーちゃんに連絡も入れたし、じっくり育てたAIが豊富な素材を取り込んで、素敵な映像を作ってくれた。
「じーちゃん来るまで暇だしさ、冥途の土産にいいもん見せてやるよ。いいか、捏造ってのはこうやんだよ」
ここに来てから宗田を撮影していた映像と音声を取り込んだ最強のディープフェイク映像。
「このたび私は、姫川せせらぎさん、カルマさん、朝比奈ほのかさんのスキャンダルを捏造いたしました。ごめんなさい」
映像の中で宗田が泣きながら謝っている。世間で出回っているAIよりよっぽど優秀だから違和感がない。
「今までも数々の記事を捏造し、不当に多くの方の名誉を貶める極めて下劣な真似をしておりました。すべては、編集長の気を引くためです」
その言葉を聞いた途端、現実の宗田が目を見開いた。
「私は編集長と不倫関係にありました。関係は私から持ちかけました。スキャンダル記事を真偽を問わず書き続けることを条件に、関係を継続してもらっていました」
ねえ、どんな気持ち? 自分が一番軽蔑するタイプの人間だって捏造されるのどんな気持ち? これが、今まで君がやってきたことだよ。
「ですが、編集長に関係を清算しようと言われました。編集長に捨てられたら生きていけません。だから、全部暴露して私は命を絶ちます」
その言葉を最後に、映像の中の彼女はガソリンをかぶって焼身自殺をした。火をつける部分はディープフェイクのたまものだ。
この映像とパソコンにあった捏造の証拠をライバル社とインターネットに片っ端から放流して、今回の仕事は終わりだ。
「良心の呵責に耐えかねて死にます、なんてまだマシな終わり方させてあげないよ。君は芸能人の捏造スキャンダルを餌に不倫してもらってたけど振られたから死を選んだバカな女として死ぬんだよ」
この映像が何に使われるのか分かった宗田は泣きわめいていたが、情けをかけてやるつもりはない。
「安心しなよ、君の評判が地の地まで落ちた世界に君は戻ってくることはないからさ。せいぜい、地下の世界ではまっとうに生きなね」
*
編集長主導のもとにおこわなれた、あまりにも露骨かつ悪質な捏造が白日の下にさらされ例の週刊誌は廃刊となった。関係者は今裁判でてんてこまいらしい。
不倫の部分は捏造だが、編集長と宗田が共謀して数々のスキャンダルを捏造していたことは紛れもない事実だ。今回の依頼人は宗田のしっぽはつかめたものの、編集長がグルということまではつかめなかったらしい。なので編集長は殺さなかった。
しかし、生きて地上の世界ですべての責任を背負うのと、自分が最も軽蔑すべき人間だと捏造された不名誉な死を抱えたまま地下の世界で生きるのと、どちらが不幸なのだろうか。
「ねー、じーちゃん。今回のターゲットのこと、いじめすぎちゃったかなー?」
今回のターゲットは控えめに言ってクズだったし、被害者はみんな可哀想だった。でも、結構私情をはさんだ部分も大きい。
「んー、どうしたー、セイ?」
じーちゃんが大きな手で頭を撫でてくれる。ちょっと嫌なことを思い出して甘えたい気分の時をじーちゃんは察してくれる。
「あーいう私は悪くありませんみたいな、責任転嫁女ってなんか生理的に嫌いなんだよねー」
“お母さん”に似てるからじーちゃんに拾われる前のこと思い出して嫌な気持ちになる、とまでは口に出さなかった。
「そいつはよくねえなあ。自分のしたことの責任はちゃんと自分でとらなくちゃいけねえ」
「だよねー」
「おう、嫌なもん見ちまったんならいいもん見て中和しとけ。ほら、最近なんかはまってんだろ」
「はまってるってほどでもないけどねー」
依頼人やターゲットの捜査をきっかけに、複数のバーチャルアイドルのチャンネルをチェックするようになった。
姫川せせらぎのスキャンダルの際、多くのバーチャルアイドルはその件にだんまりを決め込んだし、中には嘘の証言を行ったやつもいた。「いじめをするやつなんて二度と戻ってこないでほしい」と暴言を吐いていた輩も多かった。
その中でただ一人、姫川せせらぎを庇い続けたバーチャルアイドルがいた。
「せせらぎはいい子だよ。週刊誌の言ってることなんて絶対嘘!」
杜若ゆいな、せせらぎを殺したいほどに誰よりも憎んでいたはずの女だった。せせらぎの味方をしたことで、一部の心ない人間からゆいなもいじめ犯というレッテルを貼られた。それでも、彼女はせせらぎの擁護をやめなかった。
宗田の悪事が白日の下にさらされ、せせらぎの無実が証明されると情勢は一転した。「私はずっとせせらぎを信じていた」「せせらぎは親友」「早く戻ってきてほしい」と一斉に掌返し。捏造に加担した人間も「脅されていた」だの「私はそんなこと言ってない」だの言い出す始末だ。普通ならこいつらも殺したくなる。そんな中、生配信でゆいなは配信者からせせらぎについて質問されて、こう答えた。
「私も含めてさ、バーチャルアイドルって正直みんなせせらぎに嫉妬してた。せせらぎがぬれぎぬ着せられてた時のみんなの反応見たでしょ? あれがすべてだよ。いい子ぶるつもりはないよ。私だって同罪だもん。一歩間違えたら、私だってせせらぎにひどいことをしていたかもしれないし、ちょっと庇ったくらいでせせらぎは簡単に私を信用しないでほしい。せせらぎは“ホンモノ”だからさ、別格なんだよ。バーチャルアイドルがせせらぎに嫉妬しないなんて無理だから、私を含めてバーチャルアイドルを信頼して傷つかないでほしい。代わりに、バーチャルアイドルじゃない配信者さんとか、利害関係にない人はせせらぎを支えてあげて欲しい」
そう語った後、最期に補足した。
「あ、せせらぎに復帰しろってプレッシャーになるから、今後これ系の質問には答えません」
せせらぎはいまだ配信に戻ってくる気配はない。今後バーチャルアイドル情勢はどうなるのだろうか。しかし、一つだけわかっていることがある。
「今のゆいなは間違いなく、ホンモノのアイドルだよ」
約束通り一度にぶちこめる上限額の赤スパを突っ込んだ。ゆいながホンモノのアイドルであり続ける限り、依頼料返金の分割払いを続けていこうと思う。