Case2 高遠原晴翔の場合 ~諭された子供~
違和感があった。学校での話をするときも、依頼のメールをするときも、彼は一度もクラスメイトの個人名を出さなかった。最初からクラスメイトを殺すつもりなどなかったのだろう。
「ずっと前から何度も、もう死んじゃいたいって思ってたんです。でも、ぼくが自殺したって知ったら、パパとママが悲しみます。ニュースで、自殺しちゃった子のパパとママがすっごく泣いてたのを見ました」
時折世間を騒がす子供の自殺。たとえ自殺でなくても、“普通”の親は子供の死を悲しむだろう。しかし、自殺となればさらに親は自分を責めることになるだろう。
「でも、我慢できなくなって、電車に飛び込もうって思ったんです。そしたら、ぼくよりも先にセーラー服のお姉さんが飛び込んで、大変なことになっちゃったんです。それで、怖くなりました」
おそらく先週月曜日の女子高生の自殺のことを言っているのだろう。
「それで、痛くなくて自殺じゃなくて事故だってパパとママが思うような方法を調べたら、好きな死に方で殺してくれる殺し屋さんの話を見つけたんです」
終電の殺し屋は依頼者ファーストだ。だから、殺し方は依頼人の希望を可能な限り聞く。だから、たまに自殺願望者から依頼を受けることもある。
「ぼくのこと殺して」
晴翔の目から涙がぽろぽろ零れ落ちている。話し方もどんどん余裕がなくなっている。
実際に殺すわけではない。にっちもさっちもいかなくなった人間を死んだことにして新しい人生を用意してやったこともあった。
アメリカには証人保護プログラムと言って、重要事件の証言者を犯人の報復から守るために新たな戸籍を用意するシステムがある。じーちゃんはそっち方面のお偉いさんにコネがあるらしく、その制度を悪用できてしまうらしい。
子供ひとりの人生をリセットしてやるくらいわけのないことだ。しかし、こいつの場合もう少し問題が根深い気がする。
「君には四つ選択肢があります」
泣いていた晴翔が顔を上げた。きょとんとしている。
「一つ目。今日君がここに来た目的そのまんま。君は死にます。苦しむことはありません。いじめられることもなくなります。でも、もうピアノは弾けないし、パパとママには会えない。本当にそれでいいの?」
淡々と一つ目の選択肢を言うと、晴翔はしばらく黙り込んでしまった。ハンバーグのソースは既に乾き始めている。
「二つ目は、なんですか」
死ぬ以外の選択肢に興味を示したようだ。いいね、そういう自主性。でも、言葉にはしてやらない。二つ目の選択肢を事務的に言うだけだ。
「二つ目は、簡単に言うと死んだふり作戦だよ。高遠原晴翔は死んだとみんなが思い込む。でも、実際には君は生きていて、高遠原晴翔じゃなくて、たとえば佐藤太郎として新しい人生を歩み始める。パパやママには会えなくなるけど、新しいパパとママが可愛がってくれるだろうね。当然そこにはいじめっ子もいない」
「そんなこと、できるんですか……?」
少しだけ声に希望の色が見えた。なんだよ、やっぱりお前死にたくないんじゃないか。
「できないことできるって言ったら詐欺だろ」
また晴翔は黙りこくってしまった。
こんなに物騒な話をしているのに、誰もこの席を気にかけないのはラッキーだ。さっきまで高校生もしくは大学生が小学生を泣かせている構図にしか見えなかったのに、店員にとってはさほど問題ではないようだ。
店内では少し頭の悪そうな高校生がドリンクバーを混ぜて大騒ぎしている。その近くで勉強会をしている高校生の集団は心底迷惑そうにしているが、ドリンクバーだけで長居している彼らも店員から見れば迷惑だろう。
先ほど酒に酔った大学生の集団が入ってきた。高校生と同じようにドリンクバーで大はしゃぎしている。金がないからと言って二次会をファミレスでやろうとするな。
要するに、店員たちは静かにきょうだい喧嘩をしているだけの客など知ったこっちゃないのだろう。
「えっと……」
「ウエエエエイ!」
晴翔の声が楽しそうにはしゃぐ大学生の声にかき消された。晴翔は気まずそうにうつむいてしまった。
「ごめん、聞こえなかった。何?」
「あ……えっと」
「ちょっとコーヒーにメロンソーダはやばいってー!」
うるさい。とてもうるさい。
「いやー、あの人たちはしゃいでんねー。楽しそうだねー。ごめんねー、もうちょい大きな声でしゃべってくれるかな?」
「大学って、楽しいですか?」
晴翔に唐突な質問を食らった。
「知らない。行ったことないし」
「じゃあ、高校って楽しいですか?」
友達とはしゃぎまわる彼らが楽しそうに見えたのだろうか。未来に興味を示すのはいい傾向だ。しかし、高校がどんなところか知らないので答えようもない。
「知らない。自分で確かめてみたら?」
晴翔はすっと息を吸い込むと、もう一つ質問を重ねた。
「三つ目が何か聞いてもいいですか」
中学は楽しいか、と聞かれるかと思ったが本題に戻ったようだ。これだけ騒がしければ何を言っても問題ないだろう。
「いじめっ子を殺すんだよ。ていうか、これが本来の殺し屋の使い方。自分じゃなくて嫌いな奴を殺すの」
強い言葉を使うと、晴翔はびくっとしてまたおどおどとし始めた。
「父も母も命を救う仕事をしています。なのに、ぼくが人を殺してなんてお願いしてるって知られたら、嫌われちゃう」
「ばれないよ。そんなヘマするような雑魚はこの世界でやっていけないっつーの」
「……でも、やっぱりよくないです」
「真面目だね」
まだ彼は自分がどうしたら一番楽になれるかわかっていないようだ。
「あの……四つ目って……」
「君、頭よさそうだからクイズにしよう。四つ目、なんだと思う?」
晴翔は考え込んでいる。しばらく悩んだ後、首を横に振った。
「わかりません」
「じゃあヒント。一つ目は要するに君を殺す。二つ目は君を遠いところに連れていく。三つめはいじめっ子を殺すって選択肢だ。じゃあ、四つ目は論理的に考えると?」
晴翔は頭がいい子供だ。ヒントでひらめいたのだろう。
「御堂くんを遠いところに連れていくってことですか?」
「正解」
あえて晴翔自身に言葉にさせた。晴翔はいじめのボスの名前を口にした。
「御堂くんだけじゃなくて、他の奴らも何人でもいい。みんなに死んだふりをさせて、君と二度と会わないくらい遠くに連れていく。大人の言葉で言うと隔離だね」
「でも、もし、会っちゃったらやり返されちゃう」
「だから、そんなヘマしないっつーの」
こいつは悪い方に考える癖があるようだ。境遇を考えれば、恐怖を植え付けられていても仕方がないが、力量を疑われるような発言を繰り返されると少しイラっとした。
「とりあえず、選択肢を二個に絞ろう。どれとどれで迷ってる?」
こちらの質問には困ったような表情を見せる。迷っている間に店員がやってきた。
「申し訳ございません、当店23時以降は保護者の方がいらしても15歳以下のお客様のご滞在をお断りしております」
もうすぐ23時だ。店員の言葉を聞いて晴翔はあわてて残ったハンバーグを綺麗に食べると手を合わせてごちそうさまをした。皿を下げてもらった後、もう一度聞く。
「二択に絞るところまではここでやっちゃおう。最終的な答え出すまではまだ時間あるから」
「じゃあ、2と4にします」
つまり、殺さないということだ。終電の殺し屋精神にのっとった、理想の答えが返ってきた。
話の続きは駅のホームのベンチで行うことにした。死にたい、殺したいではなく、逃げたいという気持ちが強そうなのでようやくホームで話ができる。最初会った時のような放っておくと線路に飛び込みそうな雰囲気はなくなっていたから。
こいつの問題は、頭がいいくせに思考がロックされがちなところだ。死にたいと一度思ったら、問題を解決するためには死ぬしかないと思い込んで他の方法を選ばない理由を探してしまう。
しかし、ようやく死ぬ以外の方法もあると説得できたのでこの調子だ。
「4番って、誘拐ってことですか?」
「まあ、そういうことになるな」
「大人に頼んで誘拐してもらうのって、卑怯ですか?」
「御堂くんに、卑怯だって言われたの?」
そう言うと静かにうなずいた。
「先生にチクったり、大人になんとかしてもらうのは卑怯だって」
また、思考ロックがかかっている。未希の時にも思ったが、長期にわたって破壊された人間は反撃する気力を失い、何かと理由をつけて現状維持を選ぶ。
「ぼくはどうしたらいいんでしょうか」
「それは君が決めることだよ……って言いたいけど、時間は無限にあるわけじゃない。タイムリミットを決めよう」
目の前の電車を指さした。
「君は好きなタイミングでお家に帰っていい。寝て起きたら、いじめっ子たちはいなくなってる。4番の選択肢を選ぶことになる」
何も問題がない。これを選ぶべきだ。
「でも、電車に乗るチャンスはあと3回だけだ。終電が行ってしまったら、君は家に帰れないから、自動的に2番の選択肢を選ぶことになる」
どこかで席をたって、自分の足で電車に乗らない限り、“高遠原晴翔”は死ぬ。
「そうしたら、ぼくはどうなるんですか」
「弟にしてやる。責任もって面倒見てやるよ」
あえて、家に帰る選択肢を勇気がいる方にした。恵まれた家庭に生まれたんだろ。両親に愛されてるんだろ。それでも、戦う勇気が持てないというならその根性叩きなおしてやる。
「殺し屋さんの弟?」
「そうだな。そうしたら、君の名前は明日から殺し屋権兵衛」
「えー、それはなんかいやだ……」
年相応の表情で焦っている。そうだ、せっかくかっこいい名前つけてくれるパパとママがいるんだからそこに帰れ。
電車が一本過ぎ去った。ホームに酔っ払いの親父とそれを支える若者がやってくる。
「ったく、酒弱いくせに飲みすぎなんだよ」
若者がぶっきらぼうに吐き捨てる。
「許してあげて、お父さん嬉しいのよ。あなたがあんなに素敵なお店に連れて行ってくれたから」
そばにいる女性も少し酒気を帯びているように見える。
「まあ、せっかくの銀婚式祝いだからね。体壊したら元も子もないから明日からは飲みすぎんなよ」
「おまえええ生意気になったなあああ。立派になりやがってえええ」
「おい、親父。公共の場なんだから静かにしろよ恥ずかしい」
両親の銀婚式に給料で食事をごちそうした若手社会人。憎まれ口をたたき合いながらも和やかな雰囲気が漂う家族だ。
晴翔はじっと彼らを見つめていた。彼らは次の電車に乗り込んでどこかへ去っていった。
沈黙が流れる。次が最終電車だ。痴漢やスリを取り締まるポスターを指さして、わかりやすい言葉で説明してやる。
「君が漢字読めるかわかんないけど、人に嫌な事すると警察に捕まって牢屋に入れられますよって書いてある」
「嫌なことって、いじめとかですか?」
「そうだね。大人はいじめをすると牢屋に入れられることもある。でも、日本には少年法ってルールがあるから、子供を牢屋に入れられない。牢屋って何のためにあるかわかる?」
「悪い人を反省させるため?」
「そう。警察は悪い子供を反省させることができない。だから、警察の代わりに犯罪をした子供を捕まえて反省のための場所に連れていく。でも、それをしようとすると頭の固い大人がダメですって言うから、死んだことにする。それが終電の殺し屋の仕事」
更生の余地のない大人は雑に扱うが、更生の可能性がある子供は真人間になるように専門施設に入れる。
「つまり、殺し屋さんは警察なんですか?」
斜め上の解釈をされた。でも、嘘も方便だ。
「そんなところかな。さて、選択の時間だ。警察と一緒に悪と戦うか、全部捨てて逃げるか。未来は君次第だよ」
そういった瞬間、ホームに風が吹き抜ける。最終電車が到着し、扉が開いた。晴翔は椅子から飛び降りて、電車へと駆けていく。軽やかなステップを踏んで電車に入ると、こちらを振り返った。
「おうちに帰ります。ぼく、戦います」
さて、警察と言った手前、警察らしく振舞うとしよう。
「送っていくよ」