表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

Case1 糸井未希の場合 ~トップ・シークレット~

 未希の声には怒りがこもっていた。鉄は熱いうちに打て。その殺意が冷めないうちに、段取りを説明することにした。


「今回のターゲット、田原は奥さんと離婚して一軒家に一人暮らし。君の家とは反対方面だ。君はこのまま家に帰る。翌日には田原が死んでる。パスモの履歴があるから君にはアリバイがある。近所のコンビニで買い物すればなおよし。オーケー?」


 未希がうなずく。上り列車、ターゲットの家へと向かう終電が近い。一緒に駅構内に入る。


 上り列車と下り列車は同じホームだった。改札を抜けてからホームのベンチに腰掛けて電車を待っている間の時間、未希は一言もしゃべらなかった。ちょうど同じタイミングでホームに電車が進入してくる。といっても、下りの終電はもう何本か後だけれど。


 ドアが開いた。ベンチから立ち上がって、ターゲットの始末へと向かう。振り返って未希に告げた。


「これで、君の苦しみは終わる。新しい人生を生きるんだ」


 ドアが閉まった。さて、仕事の時間だ。




「待って……」


 未希がついてきてしまった。厄介なことになった。


「ダメだよ。次の駅で降りて、ちゃんと帰りな」


 未希が泣きながら小さな声で呟いた。


「だって、人殺しになっちゃったら、おばあちゃんに顔向けできない」


 未希の話を思い出した。彼女は自分の尊厳を傷つけられることよりも、友達や祖母に対する申し訳なさを強く感じていた。何より、彼女は最後に「自分がいなくなれば他の人が犠牲になる」と言った。あれだけの仕打ちを受けながら、「他の人のため」という理由が必要だったのだ。


 優しい子なのだろう。だから、孫が殺人の依頼などしたら天国の優しい祖母が悲しむと思って直前で思いとどまってしまったのだろう。




 いくら一号車の人が少ない場所で、小さな声とは言え「死ぬ」だの「殺す」だの言っている状態はよくない。連結部へと移動して、小さな声で彼女にトップシークレットを話す。


「本当に殺すわけじゃないよ」


 じーちゃん、先代の“終電の殺し屋”はいわゆるマッドサイエンティストだ。年老いて身体能力が低下してきたので実際の“殺し”の任務は引き継いだが、後処理はじーちゃんの仕事だ。


 “終電の殺し屋”はターゲットを誘拐し、死体とすり替える。死体の処理に困っている同業者など星の数ほどいる。そして、労働力を欲しがる裏社会の人間も。要するに、“終電の殺し屋”はターゲットの死を偽装するのだ。


 なぜ、我々にしかそれができないのか。それはじーちゃんの作った特殊な薬品に秘密がある。現在警察などの期間が使っているDNA捜査の結果を偽装する薬だ。これを死体に注入することで、謎の死体Aは実は生きているターゲットBの死体として処理される。


 ターゲットは地下労働施設で働くことになる。地上に出てくることは二度とない。しかし、ターゲットに恐怖を植え付けられた依頼人は恐れるだろう。


「もし、あいつと再会してしまったら」


 だから、終電の殺し屋の真実はトップシークレットなのだ。特に今回のようなパワー・ハラスメントの被害者に対して真実を伝えることは通常ない。しかし、未希のように殺しを躊躇してしまう優しい人には後押しが必要だ。


「殺さないんですか」


「そう。田原が二度と人を傷つけないように、閉じ込めておくだけだよ」


 未希が戸惑っている。もう一押しだ。


「君にしか、君の未来は守れないよ」


「私は……」


 車内放送が、もうすぐ次の駅に着くことを伝えた。連結部を出る。駅に到着すると、反対ホームには下りの電車が停まっていた。おそらくあれが終電だろう。


 こちらのドアが開くと同時に、発車ベルが鳴り響く。下り列車の発車ベルだ。これはきっとルール違反。それでも彼女の背中を押さずにはいられなかった、物理的に。


 トンッ、と彼女を押してホームに下ろす。


「おうちに帰りな」


 最後にそう促した。未希はこちらを一瞥した後、涙を拭うとまっすぐに駆けていった。彼女が無事電車に乗り込んだのを確認して、胸をなでおろした。




 さて、今度こそ仕事だ。電車が目的地に着くや否や、現場へと向かった。現場には既にじーちゃんが車で待機していた。


 防犯システムの類はついていない。鍵を昔ながらのピッキングでこじあけ、侵入する。田原は二階で寝ていた。いやらしい夢を見ているのか、とてもだらしない顔をしていた。田原を担ぎ上げて、車に運び込む。そして、どこぞの料理番組のように既にDNA偽装処理を施した焼死体をもともと田原がいた場所に設置した。


 そして、田原の唾液が付いたタバコを使って部屋に火をつけた。じーちゃんは先に帰って、田原を労働施設に送る。命まではとらないが、存在を表の世界から抹消する。


 近隣の住宅に燃え移らないように、火を見張った。余計な殺しはしない、無関係な人間への損害は最小限に。それが“終電の殺し屋”のポリシーだ。




 翌朝、田原の死が報道された。殺人ではなく、火事として。死者一名、その他に怪我人なし、近隣住宅への延焼なし。原因は寝たばこによる失火。


 任務完了だ。あとは未希に平穏な日々が戻ることを願うだけだ。




 数日後、依頼人と東京駅で待ち合わせることになった。待ち合わせ時刻は午後22時だが、18時半についたので適当に時間をつぶすことにした。適当に構内で夕食を食べられる場所を探しているとにぎやかな声が聞こえてきた。


「もう、糸井先輩! なんでスーツケース二個も持ってくるんすか! 一個にまとめてくださいよ!」


「だってー、二週間分も服入らなかったし、家族にも友達にも久々に会うからお土産もいっぱい渡したくてー」


 聞き覚えのある声がした。


「実家なら服も洗濯機もあるでしょーが! 俺が荷物持ち手伝わなかったら絶対終電間に合ってないですからね!」


「いやー、面目ない。いっぱいお土産買ってくるから許してー」


 声は確かに未希のものだったが、随分と明るい声だった。姿を確認すると、ずいぶんと清々しい顔でスーツケースを引いていた。


「じゃ、久しぶりの里帰り楽しんできてくださいね」


 新幹線の改札前で後輩と思われる男は未希にスーツケースを渡した。どうやら新幹線に遅れそうな未希の荷物持ちをただ手伝っていただけで、一緒に行くわけではないようだ。


 東京発博多行のぞみ最終電車は18時51分発だ。残り数分。だいぶぎりぎりだが、おそらく間に合うだろう。未希はこちらには気づいていないが、見守る意味を込めて入場券を買った。


 幸いにもエレベーターの順番待ちをすることなく乗れたようで、ホームに無事ついた。乗車するための列に並んでスマートフォンをチェックしている。かと思えば、電話をかけ始めた。


「あ、もしもしお母さん、電話くれてた? うん。今から新幹線乗る。えっ、迎え? 別にいいのに……23時51分着だってさ。うん、ありがと。よろしく」


 未希の声は後輩と話しているときより、少し甘えたトーンに聞こえる。


「あ、そうそう。冷蔵庫開けといてね。おばあちゃんが好きだったモンブラン買ったんだ。明日も車出してもらっていい?」


 どうやら、明日祖母の墓参りに行くのだろう。


「じゃ、もう乗るね。はいはーい、またあとで」


 電話を切って、未希が電車に乗り込むのを無事見届けた。きっと彼女はもう大丈夫だ。




 なぜ、わざわざ依頼人と直接会うのか。それは依頼人がなぜターゲットを消したいと思ったのか。何が彼らをそうさせたのか。依頼人にとって譲れないもの、一番大切なものは何なのか対話の中で向き合わせるためだ。


 なぜ、終電間際の時間を選ぶのか。それは、決断には期限が必要だからだ。人は弱い生き物だ。だから、永遠に迷い続けて決断を先延ばしにしてしまう。


 タイムリミットを前に、助言をすることもある。ちょっとだけ背中を押すこともある。本当にそれでいいのかと問い直すこともある。


 その介入が正しいのかは神様にしかわからない。でも、未希は最終的に自分の足で走って下り列車の終電に乗った。計画続行の意思表示をした。結果として、未希は平穏な日々を勝ち取ったのだ。


「さーて、今日もがんばっていきますか」


 二代目“終電の殺し屋”、世直しのために今日も出陣します。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ