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Case1 糸井未希の場合 ~パワー・ハラスメント~

 普通の人生を歩んできたと思う。初恋の相手は幼稚園で一番早かった男の子、小学校の時のあだ名はミキティ、中学の部活は合唱部。地元で二番目に頭がいい高校に進学して、都会に憧れて大学受験を機に東京に進学した。


 奨学金を借りて、格安女子寮に下宿。ケーキ屋のアルバイトとゆるい音楽サークルを両立しながらキャンパスライフを楽しんだ。クリスマスの激務を乗り切った後、売れ残ったクリスマスケーキをもらって「カップルはみんな爆ぜろ!」って言いながら寮のみんなと女子会をした聖夜はなんだかんだで最高に楽しくて、ずっとこの日々が続いたらいいなって思った。心のどこかで、これからもずっと平凡で幸せな日々は続いていくんだって信じてた。


 あの悪魔、田原部長にすべてを壊されるまでは。




 三年前、新卒で入社した会社はホワイト企業のはずだった。別に結婚する予定は特にないけれど、産休育休完備で転勤なしというのは魅力的に見えた。初任給は高く、有休消化率も良好、離職率も決しておかしな値ではなかったので安心していた。


 きっかけは部署の飲み会だった。社内でも忙しい部に配属されたけれど、閑散期には部署で飲み会をする程度の余裕はあった。酔った田原部長に馴れ馴れしく話しかけられた。


「彼氏はいるの?」


 新入社員研修の一環のコンプライアンス研修では、こういう質問はNGと習ったはずだった。


「いません」


 でも、これくらいの質問だったら別に不快じゃなかったから答えた。答えなければよかったのか。どうすればよかったのか。もう全部、たらればだ。


「へえ、どんくらい前から彼氏いないの?」


 質問はだんだんエスカレートしていった。だんだん言葉が直接的になっていって、体に触っていなくても明らかにセクハラの部類の言葉を投げかけられて、我慢の限界が来た。


「やめてください。気持ち悪いです」


 空気が凍った。




 次の日からあからさまなパワハラが始まった。繁忙期でもないのに、退社時刻直前に翌日の朝一までに必要な仕事を命令されて残業を強要された。書類にひとつでも誤字があると、何十分も何時間もかけて人格否定レベルで説教をされた。


 絶対におかしい。そう思って就業規則を確認した。パワハラを受けた場合の内部通報システムにのっとって社内機関に報告した。でも、そううまくはいかなかった。パワハラが横行しているような企業ではなかったから前例がなく、そのあたりの規則は形骸化していた。


 結論、証拠不十分。要するに被害妄想で片付けられた。私の立場はますます危うくなった。そうこうしているうちに繁忙期に入り、私はさらに消耗していった。寝不足のクマもストレスでできた蕁麻疹もファンデーションで隠して戦い続けた。




 そんな中、地元の幼馴染・真由美が結婚することになった。一番の親友だった。「ミキティ」というあだ名ももともと真由美、まゆっちが呼んでいた呼び方だった。友人代表のスピーチをしてほしい、そう言われた。式は土曜日。会社は土日休み。でも、休日出勤は日常茶飯事だった。どうしても行きたかったので、直属の先輩に相談することにした。三か月前に言えば、さすがにどうにかなるんじゃないかと淡い期待を持っていた。


 先輩はうまいこと私がお休みをとれるように動いてくれたけれど、部長に邪魔をされた。


「ダメに決まってんだろ、くだらないこと言ってないで社会人としての自覚を持て」


 友達の結婚式はくだらなくなんてない。そう言いたかった。でも、恐怖を植え付けられて言い返せなかった。




 まゆっちには電話で謝った。


「ごめんね、仕事忙しいからいけない」


「いいよいいよ、仕事なら仕方ないもん。ミキティずっとお仕事大変そうだもんね。でも、ミキティがすっかり東京の人になっちゃってちょっと寂しい」


 ごめんなさい。せっかく一生に一度の結婚式なのに、悲しませちゃってごめんなさい。




 転職を考えた。親友の晴れ舞台にもいけない状況はおかしいと思ったから。


「お前みたいな給料泥棒がよその会社でやっていけるわけがないだろ」


 そうだ、私には何のとりえもないのだから。この会社を辞めたら、再就職できない。お給料がないと奨学金が返せない。私みたいな愚図はここでやっていくしかない。




 繁忙期に祖母が危篤になった。夕方に母からLINEが来ていた。すぐに田舎に帰ろうと思った。定時は十八時。事情を話して定時で帰らせてほしいとお願いした。


「何で仕事中にスマホ見てるわけ? 社会人としてありえないよな、そもそもおまえは人間としてなってないんだよ」


 会議室に軟禁されて説教が始まって、そのあとも仕事が終わるまで返してもらえなかった。深夜、空港行きの最終電車が発車するその時間までずっとパソコンの前に、見えない鎖で縛りつけられていた。


 祖母は亡くなった。最後まで私の名前を呼んでいたと後から聞いた。




 小さいころからおばあちゃんとずっと一緒に住んでいた。おばあちゃんが大好きだった。初めて好きな人ができた時、お母さんより先におばあちゃんに報告した。


 まゆっちが遊びに来たときは手作りのケーキやクッキーを焼いてくれた。部活も受験もたくさん応援してくれた。


 おばあちゃんの死に目に会えなかった。




 部長は忌引き休暇を取らせてくれなかった。私が休むとみんなが迷惑する、仕事が滞る、損害賠償になる。


 お葬式には出られなかった。心はとっくに壊れていた。まともに仕事なんてできるわけがなかった。


 仕事のペースが下がった私に部長は言った。


「お前がまじめに仕事しないからばあちゃんが死ぬんだよ」


 私の中で、何かが切れた。




 おばあちゃんを愚弄するな。私の大切なものを何度も踏みにじりやがって。許さない。絶対に許さない。


 このまま会社を辞めたって、私が命を絶ったって、こいつは同じことを繰り返す。そうしたら他の人が犠牲になってしまう。




 こいつは生きていちゃいけない。絶対に殺してやる。

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