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纏屋書店の裏噺 肆章 【夜纏い鴉が鳴く頃に…】後編

作者: 絢凪

"夜鴉鳴く頃 消人由無し"

(よがらすなくころ、しょうじんよしなし)


 この言葉と共に"六花(ろっか)(しも)の声"と呼ばれる時期に差し掛かる此処、北海道の空には御召鼠(おめしねず)色の雲帯(うんたい)が広い冬の地にまるで絨毯の様に敷かれていた。


 その空を埋め尽くす鼠の群衆を見上げながら煙管と、口からでた紫煙を纏わせ佇む不思議な人物が1人。


 狼を思わせる毛先が銀に染まった黒髪に、銀に光を放つ金剛石にも似た眼、薄い唇と高い鼻、青みが混ざる白い肌はこの周りを囲む銀世界に、一つの絵画のように綺麗に馴染んでいる。


 白の襟付き、ボタン留めシャツの上から黒鳳蝶が全体に彫られた手広の黒カーディガンを羽織り、黒のスキニーを履いている。


 その人の右肩には紫に光る眼を持つ鴉が一羽。


 飛ぶ前の準備と言わんばかりに翼を(くちばし)で軽く突き、少し広げて見せる。

 

 

 凡そ1メートルは下らない程の全長の、大鴉というより此処まで大きくなると最早怪鳥という言葉がしっくりくる。


 その黒鳳蝶を纏う女性は肩に乗る大きな鴉に少し首を引き、顔を向ける。


 「さぁ、行ってくると良い…。これからは"君の時間"だ。」


 その言葉を聞いた鴉が紫の眼で、御召鼠の空を熟視する。その奇奇怪怪とした身姿から覗く眼には妖惑・思惑が宿り、その隙間から少しばかりの溺惑(できわく)が漏れ出ているように影を覗かせる。


 そして空へ勢いよく飛び立ち、紫眼の夜鴉は天蓋を覆うネズミの腹の様な雲に溶けて行った。




 場面は変わりとある海沿いの街にある屋台が移る。

 現代では数を減らし見る事も少なくなった屋台居酒屋。

 少し小汚いその出立ちは、此処"古平(ふるびら)"の町の古き良き、その中に物悲しさも混ざる風情に一役買っていた。


 黄昏の夕日と宵の闇が入り混じり、そして入れ替わる不気味な時刻。 


 夕日が小波を立てる海に映り、二つの太陽は陰と陽、暁光(ぎょうこう)曙光(しょこう)の様に

対にして(つが)いのような光景が広がっていた。


 時がにつれ光を失う夕日の明かりを背負うように

屋台居酒屋の提灯が光を放つ。


 その屋台で熱燗を煽る1人の女性…。

 この寒空の下では熱燗が程良く喉と胸を温め、心と頭も仕事の荷を下す。

 齢25程の屋台に最も似付かわず、近寄らずの年齢層の女性だった。


 その屋台には大将とその女性客の2人きり。

 なんてこともない噂話を酒のアテにしていた。


 大将が女性に話しかける。


「にしてもよく来たね。若い子が1人で…

 その格好を見るに、仕事終わりってわけ

 じゃないだろうに」


 青のスキニーに首と顎を隠すほどの首周りが高く囲んでいる黒いパーカーを身につけた女性が返す。


「はい。この時間の此処の景色が好きでゆっくり見てて…」


 今日も来たら貴方のこのお店がやっていたので

と呟きながら落ちていく夕日と上がる夜月(よづき)を眺めて熱燗を煽る。


 大将が海の風景に目線を投げながら女性に一つの話題を投げかける。


「なぁ、嬢ちゃん…。この黄昏時から(いぬ)の刻なんて呼ばれる時刻までに起きてる最近の怪事件は知ってるかい?」


「ん?はい、あの夕方から夜にかけて人が

行方不明になっているって言うあの…」


 最近よく聞くよなぁと呟き大将は続ける。


「あぁ、これから訪れる時間…21時頃はな、

 よく"童消え入る、戌四つ時"

 (わらべきえいる、いぬよつどき)

なんて呼ばれる事もあるんだがね。」


 人は怖いもの見たさで恐怖を覗く、というが

大将も類に漏れず、この話を嬉々として語り続ける。


「この時刻がまた、厄介みたいだ。一度は聞いたことあるだろう?

 "草木も眠る丑三つ時"

 あの忌々しい時間とまでいかないがね…。」


 そう語る大将に耳を傾けていると、右の方から大きな鴉の鳴き声が響き渡る…。


 その鳴き声は、しゃがれていてまるで死の(ふし)に立たされた女性の叫喚(きょうかん)にも似た声だった。


 その鳴き声はまるで真横で鳴いているように聞こえ、

心臓が早鐘を打つ。即座に右の道路に目を向けると、海と山を隔てるように続く道路のそばに建てられた電柱に、(おおよ)そ三歳児程の大きさをした大鴉がこちらを見ながら鳴いていた。


 その大鴉…………。

 大きさもそうだが異様な箇所は他にあった。


 その眼だ……。その眼は紫に染まっている。


 それが夕日の朱を取り込み朱殷(しゅあん)に変わって、辺りを見渡していた。


 (はや)る鼓動を落ち着け周囲を見ると、

夕暮れの(あかね)を夜から漏れた濡羽(ぬれば)色が押し出していた。


 その薄暗い情景に混ざり、右の方から道を歩いてこちらに来る人影が一人。


 見姿は一言にまとめると美青年といった風貌だったが、その立ち姿には何処か違和感が混ざる。


 まずはその服装。その格好は大正時代を思わせる学生服を身につけ、左手には学生帽が握られている。

 そして腰までたれた黒マントを首から掛け、それがひらりひらりと風を掴む。


 前髪は右目の上辺りから分かれ左に流れていて、横髪は耳に掛かる程度。

 頭の上からは跳ねる癖っ毛が2つほど遊んでいる。


 その白くサラリとした髪がなぞる顔は、まさに眉目秀麗と言った所だろう。


 小さく細い鼻に、少し薄広い口。そして白い肌はまるで能面の様に不気味なほど綺麗に見える。


 その整った顔の部位と白い髪に挟まれ見えるのが

違和感の要因、いや原因なのだろうその眼だった。


 左眼はまるで何度も繰り返し染められた黒みがかった深い紫、それだけでも極稀(ごくまれ)な眼の色なのだが。


 異様なのはその右眼……。


 白目に挟まれた瞳孔は濃い紫の縁に覆われその中に、黄色に光る。

 まるで猫の目のように縦細い線の入った水晶体が

瞳孔の中からこちらを見ていた。


 それと目が合うと背筋をなぞられた時のような悪寒が走る。


 その黄色く光る三つ目の猫のような目をした少年は

屋台に向かって歩いてくる。そしてお酒を飲んでいる女性の隣に腰掛けた。

 数秒の沈黙が周囲を取り囲む。大将がそれを切り裂くように声をかける。


 「いらっしゃい。まずは飲み物、どれにいたしましょう?」

 と、その少年に声をかける。


 まずはお水をもらえますか?と返した後、女性の方に話しかける。

「こんばんわ、隣失礼致しますね。」

 丁寧に断りを入れるその声は、芯がある中にも包み込むような耳触りの良い、声高な優しい声だった。

「あ、はいどうぞ。」

 近くで見ると、先程まで感じていた不気味な雰囲気は整った容姿の影に隠れ、一頻り(ひとしきり)雑談に花が咲く。


 その後話題は例の怪事件の話に移る。その訝禍山(いぶかざん)と名乗った青年が語る。


「知ってますか?最近札幌市に始まり、隣町を含む周辺地域で起こっている、人が消える怪事件。」

 

「はい、知っていますよ。1ヶ月で3人の方が犠牲になってるみたいですね。共通点もない人たちが。怖いですよね…。そう、本当に怖い……。」


 まさに神隠しと言った所だろうな、と少ししゃがれた声の大将が話に入る。

 

 神隠し……そう言われるのには前兆と言うべき2つの理由があった。

 一つは、厚い黒雲が太陽の光さえも遮り、極夜のような限りなく黒に近い紺が空を覆う。

 そしてもう一つは失踪者が出る町を徘徊し飛び回る、紫の眼をした不吉で不快で不詳(ふしょう)な大鴉……。

 この不気味で気味の悪い2つの前兆が一つの噂となって広がっていた。


――夜纏い鴉が鳴く頃に――


 その文言を口にした訝禍山は先程鳴いていた鴉を一瞥(いちべつ)し、女性を見直す。

 

「行方不明、いや此処では神隠しといったほうが合っているようですね。

 その被害者の関係者達は総じて同じ事を言うようですよ。消える直前、不気味な大きい鴉が、死ぬ間際の女性の悲痛な叫びのような鳴き声を……」

 

 出していた。そう語る青年は不気味の一言だった。

 思わず怖気づいて、女性は身を少し引く。すると青年は徐ろに立ち上がり、屋台の暖簾(のれん)に手をかける。そして

「先程から居るあの鴉……眼が紫ではありませんでしたか?」

 では、失礼しますね。そう言うと夕日も沈み、完全に夜が訪れた古平の町に姿を消した。

 流石に不気味な雰囲気はお酒の力を持ってしても振り払えるものでもなく、屋台は店終い。

 女性も帰路についた。

 時刻は21時、戌の刻と呼ばれる時間になっていた……。



 さて、場面は変わりとあるアパートの一部屋。ベットから女性が起き上がる。

 

「うーん…変な夢見ちゃったな……」

 

 昨日飲んだ屋台があった場所からすぐ近くの山道。横には琴平神社へと続く道が口を開いている。

 その道に沿って赤い鳥居を抜け歩いていくと枝分かれした一本の獣道が見えてくる。

 自然と体が引っ張られるように獣道に吸い込まれていく。

 聞こえていた波の音はもう聞こえない。

 開けた林の中に2メートル程の木像が立っていて、それと彼女が向き合っている夢だ。

 

 ぼーっとする頭とは真逆で体はテキパキ動き、出かける準備を整える。

 扉を開けて出て見る外は昼を少し過ぎた頃だったがやはり厚い雲に覆われ灰色が世界を染める。

 なんと無しに向かうのは昨日呑んだ屋台居酒屋の周辺。

 夢で見た山道だ。確信は無いがきっと夢で立っていた雑木林も、あの木像も近くにある。

 そんな気がしてならない。


 日が傾き始めた頃彼女の姿は夢で見た琴平神社の山道の上に影を落としていた。

 体は神社の方に向いている。投げる目線の先には赤い鳥居と神社に続く道。

 反対からは波の音が少しばかり聞こえた。まるで神社へ背中を押すように……。


 高々とした木の群れ中に続く枝分かれした獣道が招くように繋がっている。

 誘われるように進んでいく。光が木々に遮られて、尚の事薄暗くなってくる。

 暫く歩くと色も塗られていない簡素で質素な3メートル程の鳥居がありそこをくぐると円形の林に出た。

 

「ここは、夢で見た…。それにあの木像見たことあるわ。猿田彦の大神象に似ている。昔から祭りの時に見てたから間違いないわ。

 にしてもなんでこんな所に。社もないし雨ざらしなんて…。」


 そう、彼女は知っていた。別名太陽神としての一面も魅せる土地神。猿田彦大神。

 

 彼女の言う通りここ古平町には昔から罪や(けがれ)を忌み火で焼き祓う祭りが年に1回あるのだ。

 

 ――天狗の火渡り――。


 天狗の面を付け、猿田彦大神に(ふん)した人間が、噴き上げる大焚き火の上を何回も行き来し罪や不浄を祓う、火渡り神事が。


 目の前に立つ木像は、言い伝わる等身大の猿田彦大神の全身像だった。

 腰に貝の緒と引敷(ひっしき)坐具(ざぐ)。 足に脚絆(けゃはん)を着けた山伏(やまぶし)のような格好に錫杖(しゃくじょう)を持ち立っている。

 背中から天狗のような鴉の羽根が大きく生えていた。


 顔は大きく、伸びた鼻に裂けた口から除く2つの歯。

そこから本物のように生えている顎髭。

 目は……見えなかった。

 その猿田彦の木像は黒い布で目隠しをされていた。


 「っひ・・・」


 彼女に恐怖と恐懼(きょうく)が混ざる悲鳴を上げさせたのはそれだけではなかった。


 その猿田彦像の後ろと左右には小柄な鴉の死骸が血溜まりを作り、血沼(ちぬま)に濡れている。

 死に伏している鴉に挟まれる像の目の前には多分、大人のものであろう肘から千切られた右腕があった。

 所々血肉が飛び出し、裂け割れた骨を覗かせながら置かれている。


 そしてその腕の隣には不気味な神隠しの噂とともに広まっていった鴉……。

 あの紫の目をした不吉で不幸、不祥で不浄な鴉が降り立ち彼女の方を見つめていた。

 羽根をたたんでいるにも関わらず、4~5歳の幼児程の大きさをしている。


 悲惨で苦惨(くさん)で無惨な惨状の舞台に立つ大鴉の嘴には、赤黒い粘りのある糸が引いている。


 眼の前に広がる惨劇と鴉の紫眼に睨まれ、

体は震え、冷や汗が流れ、足から力が抜けていく。

 そう、恐怖と狂気が彼女の体を蝕み(むしばみ)犯す。


 すると鴉は大きく黒い翼を広げ、宙に舞い上がり姿を消した。

 飛び去る鴉の姿を眼でなぞり、森の木々へ消えていったその時、後ろから最近聞き覚えた声高で耳当たりの良い細い声が彼女を呼ぶ。


「こんばんわ。やはり貴方が呼ばれたみたいですね。嬉しい限りだ。」


 優しく柔らかい声でも此処の不気味かつ薄気味悪いこの場で声をかけられたらそれはもう意識を持っていかれるほど驚くものだ。

 まさに、心臓が飛び出そうになる程に。


 早鐘を打つ心臓と固く閉じられた口から漏れる息を整えながら咄嗟に後ろを振り向く。

 そこに居たのは、昨日の訝禍山と名乗った青年だった。

 貴方は、誰で一体何者なんですか。そう返すと不敵で不穏な笑みを浮かべ答える。

 

「昨日お会いした訝禍山というものです。」

 

 昨日にも増して不気味で不可解な雰囲気が青年を纏う。



「貴方は言葉を信じやすいようだ。それに信心深い。

だからこそ此処に来ることができた。他の3人のように。」


「貴方は、今しがた神隠しにあった。そして今から神隠しに成る。いや、一部に…と言った方が正しいですね。」

 そう話すと同時、周囲を取り囲む森の木々が風も吹いていないのにも関らずガサガサと揺れだした。だんだんと大きく揺れて枝が、葉がしなり、(こす)れ合う音が大きくなっていく。

 「え、なんで急に・・・こ、怖い!怖い!」


 狼狽(ろうばい)する女性を横目に訝禍山がクスリと笑う。揺れ動く木々に恐怖を感じ目を閉じ、耳を塞ぐ。

 遠くになっている森の揺れる音に混じり別の異音が聞こえてくる。

 

 ケタケタケタケタケタ

 

 その音は耳からと言うより、頭の中に直接打ち鳴らされているように聞こえる。

 恐怖心がさらに増したが、それよりも音の出所が気になり好奇心に負け目を開け周りを見渡す。

 いつのまにか揺れていた木々は落ち着つき、擦れる音は小さくなっていたが、それが尚の事あの異音をはっきりとさせた。ついに彼女の目線はその異音の原因である異形を捉えた。


 恐怖で足先から下半身、上半身にかけて動けなくなりとうとう顔まで引き攣る(つる)筋肉が言うことを効かなくなっていた。痙攣にも似た震えを起こす咽喉から捻り出したような僅かな悲鳴が漏れる。


「ヒッ……た、助け……」


 そこには、神隠しにあったであろう3人の姿があったが、凡そ人と呼べる形はしていない。

 体の所々が(ついば)まれ、その傷口からは血が流れ落ちている。抉られている箇所からは(うみ)が混じる黄色い瘡蓋(かさぶた)に塞がれ血は止まっているが、肌は赤黒く鬱血していた。それに加え(うじ)が肌を食い破り這い出て、地にぼとり、ぼとりと落ちている。


 もう生きているとは思えないが囲むように三方向から出てきた人だったのであろう”それら”は、立って体をビクビクと小刻みに揺らしている。

 その死体の異常、いや異様さはそれだけではない。立ち方もおかしい。見えない糸に操られている人形のように力なく垂れ下がっていた。


 その死体は総じて手足の指が根本から食いちぎられて甲までしかなかった。そして背中からは鴉の翼が左右から生えている。その翼には食いちぎられたであろう指が節々に混ざり朱殷の液体に塗れていた。

 顔には天狗の御面が被されて首は据わってないかのようにゆらゆらと、だらんだらんと顔が普通じゃない方向に向いている。


「い、嫌だ。き、気持ちが悪い。わ、私が何をしたっていうの!」


 狂気狂乱、そして錯乱手前の彼女の悲痛な叫びを聞き、その天狗のような死体達は肩を揺らしまるで新しい仲間を見つけて笑うように震えだす。

 頭の中で響いている異音は尚一層大きく鳴る。


 ケタケタケタケタケタ……ケタケタケタケタケタ。


 怯えきって両手で頭を抱え(うずくま)った姿の彼女を見て、訝禍山が狂った笑みを浮かべ雄弁(ゆうべん)に語る。


「目隠し、猿田彦、鴉、天狗、此処に伝わる伝承もそうですが、いくら猿田彦の神が太陽神の一つとして信仰されていたとしても、人間が貴方を含め4人も神隠しに合うほどの力はなかった……。

 では何故此処まで大きい力になったんでしょう?

 そう、貴方も昨日、興味を惹かれていた噂ですよ。人間の言葉、言霊で紡がれることで力を得た。」

 

 そう語る訝禍山は両手を広げ何かに魅せられている様に恍惚(こうこつ)な表情を浮かべていた。


「あぁ、もうすぐ、貴方も神隠しの一部に成る…。」


 その言葉を吐いた瞬刻、蹲った彼女の体は高く宙に浮いて磔にされたキリストの様な体制になっていた。

 その十字架に引っ張られた体がよほどきついのか

苦し紛れの呻き声が漏れる。

 宙に浮いて最初に異変が起きたのは左腕だった。肘関節を中心に左右に捻られ、腕の肉が、筋が砕けた骨に裂かれブチブチと音を立てて血を撒き散らし捻じ切られた。

 彼女はあまりの苦痛に叫ぶ。それは絶叫であり号叫であり哀叫(あいきょう)だった。

 まさに叫喚にして喚叫(かんきょう)と言うべき惨状だ。

 その悲痛の叫びに重なるように別の泣き声、いや鳴き声が聞こえてくる。

 それは、幸か不幸か先に飛び立った紫眼の鴉だった。

  鳴き声には怒気、威嚇、悲痛、蛮勇の感情が垣間見える。向けられる相手がどちらかまでは、鴉は語らない。


 その鳴き声の意味する、いや、意図する事はすぐに、わかりやすい様に目に見えて起こった。

 其の鳴き声に当てられたのか、周りの囲んでいた天狗面の死体人形達はそこには居なかった。彼女も縛っていた糸が切れた様に地に落ち、左腕の付け根を残った右手で抑え、摩りながら喘鳴混じりの悲鳴を漏らし泣いている。

 天に穿つ様に生える木枝に爪を立て、翼を折っていた紫眼の大鴉が彼女の顔の側に飛び降りた。そして残念そうな表情を浮かべる訝禍山を睨みつける。

 

「ほう、鴉…。貴方はもう"成った"モノの様だ。いずれは喰い・喰われると言うのに…そこまでして…。」

 

 一瞬鬼が宿ったかの様に口元が裂けた笑いを浮かべ踵を返し森の中へ姿を消す。


 いつの間に、木々の揺れは止まり静寂が辺りを包む。


 鴉は彼女の方に跳ねて、振り返りその大きい嘴を彼女の頬に当てる。

 まるで娘に頬擦りをする母親の様に…。


「やはり、守る事はできなかったようだね。退ける事はできたようだが…。」

 

 そう呟く声に彼女は力なく目を向ける。そこには黒鳳蝶の装飾が彫られたカーディガンを羽織り、銀煙管を片手で持った妖麗な美人が立っていた。

 疲弊しているからだろう、その美人の後ろに黒い靄が蠢く様に浮いている様に見えた。


 もう、声を出す気力も余裕もない。ただ地に身体を乗せて項垂れ(うなだれ)ていた…。

 すると、ふふっと妖艶で蠱惑的な笑みを浮かべ、鴉に声をかける。

 

「さぁ、君の役目もこれで終わりだ。よくやったよ。」


 【(こく) (びゃく) (かい) (じょう)


 そう呟くと後ろの靄が、尚の事濃ゆくなる。

 蠢く闇に向かって鴉が飛び、黒に呑まれて消えてしまった。そしてその美女が彼女の方を向いて、薄い笑みを浮かべて語りかける。


 

「よく、頑張ったね。君は私の中で最良の扱いで生かそう…。まぁ、君が望むならの話、いや噺だがね。」

 語りかけると喉を鳴らしクックと口元を隠して笑う。


 

 ◯

 旭が夢中になって、その巻物を読み進めてどれだけ経ったのだろう。巻物の物語が、煙管を持った女性が鴉を闇に引き戻す所で終わっている。

 中途半端だ。あの腕を折られた女性はどうなったのか。あの訝禍山と呼ばれた男の子は誰なのか。

 どうも釈然としないし疑問が残る。もしかしてまだ未完なのだろうか。そう思いながら半分強制的に物語の世界から押し出された。


 少し残念そうにため息をつき周りを見渡す。そこは読み始める前にいた巻物に囲まれた文殿(ぶんでん)・纏屋書店ではなかった。周りは一面の黒。そう、漆黒だ。その黒の世界に白く蛍の様な淡く、小さな光が無数に飛び回っている。不思議と恐怖は無かった。旭が最初に口から出た感想は…。

 

「き、綺麗…」

 その細い声が漆を(こぼ)したような黒の世界に小さく薄く木霊した。 すると後ろから声が掛かる。

 

「これはまた意外な反応をしてくれるものだね。嬉しい限りだよ。大体の者、いやモノは恐れ、怖れ、そして畏れが先に来るというのに…君は特殊、いや特別と言った方が正しいと見えるね。呼んだ物語との因果かな?」

 

 そう言われ振り返るの纏屋の店主が銀煙管を右手に持ち不敵で素敵な笑みを浮かべ、少し首を傾げこちらを見ている。両隣には青色と赤色の子供達が立っていた。そう(いみな)(あざね)と呼ばれていた子だ。確か、青髪の子が字。赤髪の子が諱、と呼ばれていたはずだ。

 

「すまないね、驚かせてしまったね。その物語はまだ途中なのさ。だから色々不安定だ。そうとても…だがどうしてもその子は君に読んでもらいたかった様でね、だから止めなかったのさ。」


「何処ですか…。貴方の書店に居たはずなのに。暗くて、新月の夜みたい…」

 

「ほう、君は綺麗な喩え(たとえ)をしてくれるね。感性は(いつ)するものがあるようだ。」

 

 赤髪の諱が元気よく語る。

「君のね!お母さんが"呼んだ"んだよ!やっと会えたね!ほら!すぐ後ろにいるよ!感動の再開ってやつだ!」

 

 いや、そんな訳はない。なにせ旭の母はとある夜交通事故に遭い、そこから行方不明になっている。

 何故今、母の存在が出てきたのかと思案している旭の後ろから錆びたネジを閉めるような、不気味な不協和音が聞こえてくる。そして生暖かい風が背中を押す。

 

「ギギギギィ…」


 それを感じた旭は確信する。後ろにとてつもなく、そしてとんでもなく大きい動物がいる。多分異音と異臭はその動物の息遣いなのだろう。

 確かに身体が恐怖に染まるのを感じてはいたが、"お母さんがすぐ後ろにいる"その言葉が気になり後ろを振り向こうと体を反らす。

 

 その瞬間、旭の左右を挟んで迫る物があった。それは大きく開いた鴉の嘴だった。

 

「お母…さ…」

 

 そう口にする間も無く旭は鴉に喰われて死んだ。


 頭と太もも、そして足先を残し全て大鴉に噛み切られて血溜まりだけが足元に広がっていた。

 食った鴉の紫の眼からは大粒の涙が流れ落ちて、それは周囲の黒に溶けて消えていった。

 残った頭は両足の間に落ちで血に濡れている。それに向かって周囲に飛んでいる白い蛍の様な光が無数に集まり包み込んだ。

 

「これで寂しくはないね!なぁ字!」

「うん、可愛い顔してた。ねぇ諱」


 そう掛け合う丹青(たんせい)の双子に挟まれ纏屋の店主は巻物を広げ、そっと手を離す。胸の前に巻物が浮いて揺れている。

 そこに暗闇から現れた硝子ペンで文字を書いていく。

 そのインクはこの空間から切り取られた様な光沢のある黒が混ざる紺だった。硝子ペンに彫られている月の模様がキラリと光る。

 一通り書き終えたのだろう。口角がゆっくり上がり

 "旭喰い鳥(ひくいどり)か…"と声を漏らした後、呟く。



 




「夜纏い鴉の"泣く"頃に…」。

 

 

 

 

 

 

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